チェンナイから南へ、ベンガル湾沿いに伸びる高速道路がEast Coast Road (ECR) だ。ベンガル湾を左に見ながら、リゾート地の中を時速100kmで世界遺産 マハーバリプラムに向かう。筆者のアパートからわずか50分の快適な旅である。この高速道路は片側1車線で中央分離帯もなく、スリル!?も味わえる。仕事を終えてからの帰国間際には必ずマハーバリプラムに行くのだが、暑いインドだから世界遺産巡りなどは1時間が限度である。あとはリゾートホテルのバーでベンガル湾を眺めながら、のんびりと過ごす。筆者にとっての至福の時である。

マハーバリプラムの「バターボール」

インド社会の一断面

3年前の夕方だったか、マハーバリプラムからチェンナイに帰る時のことだ。いつものようにECRを快適に飛ばし、料金所を抜ける。料金所を抜けてもまだまだ快適な道である。すぐに100kmの速度に戻る。しかし、もう市内は目の前。運転手のサンパス君も80、70km……と速度を落としていく。しかし……いきなり横から交通警官が現れた。サンパス君がしかめっ面をする。ネズミ捕りだ。

運転手のサンパス君と彼のフォード車

最近のインドの警察はハイテク化されており、スピード違反を取り締まるようになってきた。聞くところによると、そこで使われているのは日本製のスピードガンらしい。こんな快適な道で制限速度が50kmというのもどうかとは思うが、違反は違反だ。こちらが悪い。

しかし、ここからインドならではの話となる。

筆者は助手席に乗っていたのだが、サンパス君は「車から降りるな」と言って、警察官のところに向かう。警察官との折衝に外国人がいたら話が面倒になる。結局、300ルピーの罰金をその場で払って解放される。以前にバンガロールで一方通行無視で捕まった時は100ルピーだったが、外国人がまだまだ珍しいチェンナイでは外国人レートも高いのだろう。

ここで「罰金」と書いたが、実は正規の罰金ではない。これは速度違反の見逃し代……簡単に言えば「賄賂」である。スピードガンでハイテク化されたとはいえ、実にインド的なシステムである。運転手も減点されないし、以後は慎重になる。警察官も臨時収入にありつける。みんなが幸せになれるわけだ。痛いのは、落ち込んだサンパス君に罰金以上のチップを渡した筆者だけである。余計な出費だが仕方がない。

年末の忙しい時に店の前でわざと電源工事を始める。始めたといっても古いケーブルを切断しただけで、実際には何も進めない。たまりかねた店のオーナーが何がしかのお金を渡すと、すぐに工事が終わる……インドではこんな話がいくらでもある。

誤解しないでいただきたいのだが、筆者はこの場で「賄賂」社会を批判するつもりはない。良い悪いではなく、外国人が自分たちの物差しで口出す問題ではないということだ。

余談ではあるが、物差しの違いについてもっとわかりやすい例を紹介しよう。

サイババ師の国葬で見られる"物差し"の違い

4月24日、インドの宗教家 サティヤ・サイババ師が亡くなられた。葬儀は国葬として執り行われ、大統領・首相をはじめとする政治家、全宗教界の指導者、軍高官はもちろんのこと、数十万人が参列した。

日本では霊能者としてのサイババ師のファンが多いが、いくら神秘の国インドでも、霊能者の葬儀が国葬になるわけがない。日本ではサイババ師ファン以外からは「ペテン師」とも見られているが、インドでは偉大な社会活動家である。

サイババ師は水不足で苦しむ農民のために日本列島の長さにも及ぶ水道施設を作り、心臓手術をはじめとする高度な外科手術も無料で受けられる病院を作り、学校も作った。言ってみればマザー・テレサ女史に並ぶような人物だ。そのための"資金集めの方法"を物差しで見るのか、"資金の使い道"を物差しで見るかの違いである。

話が少し脱線した。

そんなインドでこれまで当然視されてきた賄賂・汚職社会が変わりつつある話だ。

汚職に対して数万人の怒りのハンガーストライキを

ヨガのカリスマ的な指導者であるラムデブ師が4日、シン政権の汚職体質を批判してハンガーストライキを開始した。国民的な影響度から、シン政権はハンストのために首都に着いた同氏を閣僚4人が出迎え、ハンストの中止を説得したが、失敗。4日から同氏の支持者数万人がハンストを始めた。翌5日、形式的な理由をつけて警官隊が介入し、強制排除した。

このハンストには同氏の政界進出の手段であるとの批判や、カリスマ的なヨガ指導者だからこそ数万人も集められたといった話もあるが、筆者にはそんなことはどうでもよい。事実は一点、汚職に抗議して数万人がハンストを始めたことである。

ここは中国ではない、インドである。どちらの国も汚職が蔓延しているとはいえ、中国なら汚職に対する抗議活動など日常的であり、政府も抗議の拡大を防ぐために中央政府高官でも取り締まる。

しかし、今までのインドは違った。賄賂とか汚職は当たり前のことであり、政府高官から現場の公務員、いや、民間でもその権限に応じた役得として定着してきたものだ。良いか悪いかではなく、これは一種の社会の潤滑油みたいなものだ。その潤滑油のシステムに怒りの矛先が向いた。筆者はこの流れを昨年から感じるようになった。

コモンウェルスゲームで表れたインド国民の怒り

最初に変化を感じたのは昨年の英連邦競技会 (Delhi 2010 Commonwealth Games) である。この大会の準備状況は、直前まで開催できるのか否かがわからないというひどいものだった。筆者などは、開会式の様子が「THE HINDU」のWebサイトで動画のライブ配信が行われているのを見つけて、やっと開催に漕ぎ着けたことを知った。

大会関連施設の工事の遅れ、その原因となったのが汚職である。ニューズウィーク誌には「大会の中止こそが最良の道かもしれない…… (中略) ……まずこの不名誉を受け入れさせる必要がある」とまで書かれた。

この経緯については筆者の独自コラム「インド・中国IT見聞録」の第8回「インフラはどうでも良い、インドに必要なのはF1ではなくてオリンピックだ」、第9回「頑張れインド India Do your best. For the success of the Commonwealth Games.」、第10回「続・がんばれ インド 屈辱と変革と自信」で書いた。ここでは、第10回の最後で筆者が「最大の成果」として書いた一文を紹介しよう。

「今回の大会準備の責任者であるカルマディ組織委員長に対する非難は大きい…… (中略) ……開会式では彼に対して一斉にブーイングを浴びせた。直接の利害の敵対ではインド人も怒る。しかし逆に言うと、利害に関係ないところで怒る姿はあまり見かけない。それが今回は違った。『屈辱』として怒った。オリンピックを開催すると格段にインフラが良くなる。しかしオリンピックの良いところはインフラ建設ではない。国民の一体感を作り上げる事が出来る方が大きい。民族、言語とかカーストの違いではなくて『インド国民としての一体感』が出来ない限り、いつまでたってもインドは発展途上国のままである。発展途上国というか、一部の限られた層だけが富む社会である。『労働者への尊敬がなければ、彼らがまじめに働くことはない』とはニューズウィーク誌の名言である。その意味で組織委員長は良い仕事をした。インド国内の彼に対する怒りが変革の始まりになれば、彼は最大の功労者である。」

変革の流れは続いているようだ。

マハーバリプラムのリゾートホテルからベンガル湾を望む

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「(続)インド・中国IT見聞録」も掲載中。

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