工場のタンクが爆発し、一瞬にして数10トンもの毒ガスが噴出した。風もない冬の夜、この毒ガスが暗闇の中を音もたてずに、密集する周囲のスラム街を襲った。スラム街には毒ガスが滞留。1人、また1人……と倒れ、夜が明けるまでに2,000人以上が死亡、15~30万人が被害を受けた。その後も被害は拡大し、数ヵ月以内に新たに1,500人以上が死亡、最終的には1万5000人~2万5000人が死亡したとされる。

史上最悪の化学工場事故「ボパール化学工場事故」

これは今から26年前の1984年12月3日未明、インドのマッディヤ・プラデーシュ州の州都 ボパールで発生した史上最悪の化学工場事故「ボパール化学工場事故」である。

事故の直接の原因は殺虫剤製造の中間物のタンクに、誤って水を加えたことである。その結果タンク内部の化学反応で熱が発生し、化合物が蒸発してタンクが高圧に耐え切れずに爆発したとのことだ。

今なお事故現場は放置されたままである。数千トンの有毒物質がむき出しになり、10分以上そこに留まると意識を失うという。

この場所では、飲み水の汚染などで毎月10~30名が死亡、15万人が長期の健康被害に苦しんでいる。事故を起こした米化学大手ユニオン・カーバイド社は汚染された工場を放置したまま逃げた。

今年6月、ボパール地裁はやっと同社のインド人幹部7人に過失殺人等の罪で禁固2年と罰金10万ルピー(約20万円)、同社現地法人に罰金50万ルピーの支払いを命じる有罪判決を言い渡した。

これだけの事故を起こして禁固2年でしかない。しかも主犯とされた同社CEOは、保釈中に行方をくらまし米国に脱出。逃亡犯となったが米国政府も引渡しを拒否。沖縄でひき逃げを起こした米兵を引き渡さないのと同じだ。

あまりにも傍若無人な米国企業、政府の対応である。インド政府もまた、この事件に関しては米国に弱腰である。現在の新興国代表としての「ならず者」の動きとは程遠い。当時の危機的なインド経済の状況のなせるわざだろうし、そんな当時の経済運営責任者が現在のシン首相である。

米ユニオン・カーバイド社のWebサイトには「ボパール化学工場事故」に関する情報を掲載した「Bhopal Information Center」が用意されている

マッディヤ・プラデーシュ州政府が1998年から運営を引き継いだ「ボパール化学工場事故」に関するWebサイト

これで「厳しい」と言えるのか? インドの原子力被害民事責任法案

ブルームバーグの報道によると、インド議会は今年の8月25日、万が一原子炉で事故が起きた場合、原子炉を建設した企業と供給した企業に一定の賠償責任を負わせるよう修正した原子力被害民事責任法案を可決した。

原子力損害賠償は、旧ソ連で発生したチェルノブイリ原子力発電所事故を踏まえ、1997年に国際原子力機関(IAEA)で改正議定書が採択されたウィーン条約が存在する。しかしこれは、賠償責任を原子炉運営会社に限定したものであり、「製造物責任は問わない」という手前勝手な条約である。

この原子力被害民事責任法は、法を整備することでインドの原子力市場の開放を目指すものだが、建設企業にまで責任を負わせる修正に対しては米国政府もメディアも「海外からの原子炉関連機器の調達再開を目指すインドの取り組みは頓挫する恐れがある」と反発を強めている。

この修正は2つの出来事が契機となった。

1つは上述のボパール事故の判決であり、「この内容ではボパールの悲劇を繰り返す」との反発が強まった。もう1つは米政府が英BPの原油流出事故で厳しい追及姿勢を見せたことである。「米国の対応はダブルスタンダード。インドも外国企業には厳しい態度で臨むべきだ」との声に押されたわけだ。

しかし、これはそんなに厳しい法案か。同法案には責任の上限が決められており、最大でも300億円を払えば免責される内容となっている。約15兆円のビジネスでリスクの上限が300億円……それでも供給国側はこの法案に反対している。

そもそもインドで原子力発電所を運用できるのか

ボパール事故の原因は複合的である。根本はコスト削減を強いた米国本社の方針であろう。しかしそれだけが原因ではない。安全性を軽視した現場の責任も無視できない。実は、筆者が今回書きたかったのはこの点だ。

常々思うのだが、インドの「保守」に関する意識はあまりにも低い。インドの科学技術レベルの高さは承知している。独自にスーパーコンピューターも核兵器も作った。原発を運用する技術も持っているだろう。その点は疑いを持たない。しかし、保守はあまりにも苦手だ。この国は「作れば良い」との考えが強すぎる。

筆者は3年前にチェンナイのロイヤル・メリディアンホテルで研修の打ち上げを行った。インドでは「7スター」とされる豪華なホテルである。しかし、宴会場のドアにもじゅうたんにも穴が開いている。オープン当初は素晴らしいホテルだったが、これが6年後の姿だ。

よく「インドの水道水は飲めない」と言われるが、実は浄水場の水質は問題ない。単に水道管にヒビが入って周りから汚水が染み込むだけである。雨が降ると街は汚水の都になる。排水管がないわけではない。排水管がゴミで詰まっているだけである。これがインドなのだ。作りっ放しで保守をしない。だから問題が起きる。

筆者は原発に関してはまったくの素人だが、運用・保守に関しては当然ながら細心の注意が必要だろう。インドの国民性として、その「注意」ができるのか。筆者は無理だと考える。20基以上も原発を作れば、必ずどこかで問題が起きる。

インドは凄い。問題が発生しても何とか解決してみせる。コモンウェルス・ゲームもその力で乗り切った。しかし、原発は問題が起きたら終わりである。

日立も東芝もインドだけはやめた方がよい。いくら法律で300億円の上限が設けられるとしても、実際に事故が起きたら企業の存立の問題になるのだから。

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「[(続)インド・中国IT見聞録]」も掲載中。