連載『経済ニュースの"ここがツボ"』では、日本経済新聞記者、編集委員を経てテレビ東京経済部長、テレビ東京アメリカ社長などを歴任、「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーとして活躍、現在大阪経済大学客員教授の岡田 晃(おかだ あきら)氏が、旬の経済ニュースを解説しながら、「経済ニュースを見る視点」を皆さんとともに考えていきます。


日本経済全体にとって今年の賃上げは大きな意味

今年春の賃上げ機運が高まってきました。自動車や電機など大手の労使は18日の集中回答日を控えて精力的な交渉を行っていますが、それに先駆けていくつかの企業で賃上げ回答が出始めています。

報道によりますと、大成建設は給与を一律に引き上げるベースアップ(ベア)を7900円(上昇率1.5%)、これに制度改革を含め1万2100円の賃上げ(2.3%)を労組に提示しました。さらに勤務年数に応じて給与が自動的に上がる定期昇給(定昇)分を合わせると、賃上げ率は4.2%となります。

また外食大手のすかいらーくはベア4300円、定昇も含め1万500円の賃上げを決めました。賃上げ率はベアで1.4%、合計3.5%で、組合の要求に満額回答だそうです。同社は昨年春にベア2000円を含む5931円(上昇率2.7%)の賃上げを実施しましたが、今年はそれを上回ります。

この両社の賃上げは象徴的です。建設業界は景気回復と東京五輪関連工事などで人手不足が深刻化しており、外食産業でも待遇改善が課題となっています。このため、昨年を上回る賃上げによって人材確保しやすくするのが狙いです。

日本経済全体にとっても今年の賃上げは大きな意味を持っています。焦点は賃上げ率が昨年実績をどの程度上回るのか、そのうちベアが何%アップとなるのかという点です。賃上げによって消費が上向き景気回復が広がることが期待されているからです。

賃上げの前触れとも思えるデータ、今年1月の所定内給与が0.8%増加

昨年の賃上げ率はベアと定昇などを合わせて約2%となり、15年ぶりに2%台に乗せました。連合はこの昨年実績を上回る「2%以上のベア、これに定昇などと合わせて4%以上の賃上げ」を要求しています。

こうした中で、賃上げの前触れとも思えるデータが3月に入って発表されました。厚生労働省がこのほど発表した毎月勤労統計調査によりますと、今年1月の所定内給与(基本給のこと)の平均額は24万275円(速報値)と、前年同月比で0.8%増加しました。この増加は2000年3月以来、約15年ぶりの大きさです。

この毎月勤労統計では、所定内給与の他に時間外手当やボーナスなどを加えた現金給与総額をまとめています。その推移を見ると、長年にわたって減少が続いていましたが、2013年の夏のボーナス期ごろから前年同月比でプラスになる月が出始め、2014年3月以降は11カ月連続でプラスになっています。ただ、これまではボーナスや時間外手当などの増加の方が大きく、所定内給与の増加は小幅にとどまっていました。これが15年ぶりの伸びを見せたことは、基本給の引き上げには慎重だった企業の姿勢に変化が見え始めたことがうかがえます。

政府も賃上げを後押ししています。昨年12月の総選挙の直後、安倍首相は経団連、連合との3者会談を行い、2015年春の賃上げを要請しました。そしてこの時、実は3者は「最大限努力する」との文書に調印しているのです。調印というのはかなり異例ですが、その背景には景気の持続的な回復のためには賃上げが不可欠との政府の認識があるからです。その意味では経営者側にとってすでに"外堀"は埋められていると言えるかもしれません。

昨年の賃上げは消費増税の影響で実質賃金はマイナス

もう一つ、今年の賃上げの行方は昨年の賃上げとは決定的に違う重要な要素があります。それは物価との関係です。昨年もそれなりの賃上げがあったわけですが、多くのサラリーマンはあまりその実感がありません。昨年4月に消費税引き上げがあったからです。消費増税によって消費者物価は2%程度かさ上げされる形となり、すでに物価が上昇していた分と合わせた物価上昇率の方が賃上げ率より大きくなり、実質賃金はマイナスになっていたのです。

しかし今年4月からは消費増税の影響による物価上昇のかさ上げ分がなくなりますから、正味の物価上昇率だけとなります。その正味の物価上昇は原油安の影響で大幅に鈍化しており、多くのエコノミストは今年の消費者物価上昇率を0.5%程度にとどまると予想しています。

実質賃金がプラスに転換する可能性は十分ある

仮に連合の要求通り、ベア2%、定昇など合わせ合計4%の賃上げが実現すれば、今年の実質賃金は大雑把に言って4%-0.5%(物価上昇率の予想)=3.5%アップという計算になります。現実には要求通りにはならないでしょうから、賃上げは3%、物価上昇率は高く見積もって1%としても、実質2%の賃金アップとなります。この賃上げ率は連合の数字ですから、日本全体ではもっと低くなるでしょうが、それでも実質賃金がプラスに転換する可能性は十分あると見てよさそうです。

そうなれば多くの人が景気回復を実感することもできるようになり、それがさらに経済活動を活発にすることにつながります。最近の株価上昇もそれを読み始めたことが一因です。今年春の賃上げの行方は皆さんの家計に直接響くだけでなく、大げさに言えば日本経済の将来がかかっていると言えるのです。

(※写真画像は本文とは関係ありません)

執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。