20世紀の終わりごろに、日本で「グレープ(GRAPE)」というコンピュータシリーズが開発されました。東京大学の教養学部の一研究室が、びっくりするほどの低予算で、突如として開発したこのコンピュータは、天文計算のしかも特定の用途専用ながら、世界最高性能のコンピュータとしても知られるようになります。その後タンパク質の研究などにも応用されました。今回は、グレープコンピュータのお話でございます。

先日、日本の電気情報通信学会が、100周年事業として「マイルストーン」を定めました。マイルストーンは、日本語だと一里塚。旅の経過を知る目印ですな。それが転じて、技術開発の転機となった偉業をそう呼んでいるのでございますな。

このマイルストーンは、なかなか「へぇ」という感じで、単に「すごい製品」とかではなく、基礎的な理論や概念もあれば、製品としては普及しなくても、多大な影響を与えたものなんかも入っています。一種の博物館みたいなものでございます。

まあ、身近なところではテレビアンテナに使われる「八木・宇田アンテナ」とか携帯電話でおなじみの「LTE」とか「地上ディジタル放送」なんてのあり、一方で「ファミコン」があると思えば「指紋認証」があったりと色々です。リストをながめるだけでも、なかなか楽しいですよー。それぞれに、学会が作ったにしては? やさしめのというか、ここをとっかかりに調べ物がしやすそうな解説もついています。すばらしい!

さて、このマイルストーンの中に、ちょっと異彩を放っているのがまざっております。それは「天文学のための専用スーパーコンピュータ GRAPE」でございます。これが「ファミコン」とか「LTE」とか「指紋認証」みたいに、万人が使うものにまざっているのです。また、「クロスバー交換機」とか「国鉄旅客用システム」みたいな、縁の下の力持ちでもないんですね。まあそのなんというか、ほとんど天文学者、それも計算機でシミュレーションをする一部の天文学者にしか縁がないようなものでございます。ユーザーの少なさではリスト随一じゃないかというくらいですな。

だいたい、コンピュータのGRAPEというのが変な感じです。重力パイプライン、グラビティ・パイプ(GRAvity PiPE)から来ている名前ですが、もちろんこれはアップルコンピュータをもじって、強引にグレープコンピュータにしたのです。いかにも研究室プロジェクトな名前ですな。ま、天下のiPS細胞も、アップルのiPodをもじったらしいので、似たようなものでございますが。

さて、ただこのGRAPE、ある意味、アップルコンピュータよりスゴイのでございます。マイルストーンに選ばれるのもわからんではないのです。というのは、ACMというコンピュータの国際学会にゴードン・ベル賞(Gordon Bell Prize)という計算科学の世界で高い成果を示したコンピュータに贈られる賞があってですね、その賞をシリーズで8回も取っているのです。そう「1番じゃないと取れない」賞を取っているのですね。GRAPEシリーズは世界が認めた、最高性能のコンピュータなのです。

ただ、GRAPEは、世界すべてのコンピュータで最速なのではなく(そういうこともありましたが)、価格性能比とか特殊用途で最高のコンピュータとして評価されてきました。ちなみに最初のGRAPEは20万円程度の材料費と、数名の大学院生で作られ、当時のスーパーコンピュータを超える性能を発揮したのです。その後は、この成功で数千万円~億のプロジェクトとはなったものの、トップクラスのコンピュータが1000億円以上のプロジェクトとなったので、コストパフォーマンスが非常によいコンピュータとして評価されていきます。いったいなんで、ということでございますね。

その秘密は、GRAPEが専用コンピュータであるということにつきます。専用というのは、特定の用途の計算しかできない。ということです。これは、たとえば「リンゴの皮むき器」見たいなものです。リンゴの皮むきは、包丁を使えばやれますが、専用の皮むき器を使うと一瞬で終わります。ただ、包丁は肉も切れれば、キャベツの千切りも、コンニャクに切れ込みを入れることもやれますが、皮むき器はそんなことはできません。これと同じで特定の計算しかやれないが、それのみを超高速でやれるようにハードを設計することで、目的を達成するという考え方です。最近はGPU(グラフィックプロセッサ)がそうですね。

GRAPEは「重力パイプ」の名前の通り、当初、質点の重力の計算しかしない計算機として設計されました。天体は、実際は大きさもありますし、重力以外の力、たとえば電磁気的な力だって働くし、爆発した天体から広がるガスの圧力とか放射の圧力も働きます。ただ、結構な場合は、天体はただの点とみなせ、間に働くのは重力としても問題ないのです。ただ、問題となるのは天体の数が「星の数ほど」あることですね。たとえば天の川銀河(銀河系)には2000億もの恒星があり、たがいに重力で結びついています。天の川銀河がどう変化するかは、非常に多数の天体同士の重力を計算しなければならないのです。

そして2000億の天体の互いの重力を一個一個しらべるとパンクするので、それを100個とか1000個くらいに減らして計算をしていたのですね。それでも大変なのは、想像にかたくないと思います。2個なら1つの関係ですが、3個なら3つ、4個なら6つ、5個なら10と、数が増えるほど解かないといけない関係はモーレツに増えていくからですな。

ただ、計算そのものは、距離の2乗で弱くなる重力を解くだけ。数は同時に多数の計算を並行してやることでスピードをあげられます。そうした考えで高速化をはかったのがGRAPEなんですな。その後、GRAPEは規模を大きくし、また天体の計算だけでなくタンパク質の計算などにも応用されていきます。そして1990年代から2000年代にかけて名をはせることになるわけです。

ただ、いまではGRAPEはそれほど名前を聞きません。市販のパソコンやGPUの性能があがってきて、専用の機器を作るメリットが薄くなったのかもしれませんね。ただ、GRAPEで育った人たちや考え方、アルゴリズムがその後もあちこちで活躍しているのはまちがいないことです。

ということで、いささか変わったコンピュータGRAPEでございますが、ある意味アップルコンピュータに負けない輝きを放ったのでございました。名前負けしなかったのですな。

ところで、このGRAPEの初号機を1989年に作ったのは、当時東大の大学院1年生だった、伊藤智義さんです。現在は千葉大学の教授ですが、この人、漫画週刊誌のヤングジャンプで「栄光なき天才たち」というシリーズの原作を学生のときに手がけていたのでございます。伊藤さんの本には、大学の先生たちよりも年収が上だったという話も登場します。伊藤さんは、その後、コンピュータの歴史の「BRAINS」という漫画シリーズの原作もしていますし、漫画ではないですが、GRAPEの開発のウラを赤裸々に書いた新書も出しています。いずれも面白いですので、ぜひ手にとってくださいませー。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。