ハレーといえば、ハレー彗星で有名な科学者ですが、この人、なかなかおもしろい人物なのです。社交家で冒険家、カフェを愛し、そして人々から尊敬された人気者でした。17世紀から18世紀に活躍した、この人物について、ちょっとご紹介してみましょー。リア充爆発しろ? まあ、そういわずに。

エドモンド・ハレーの肖像画

エドモント・ハレーは、英国の科学者です。1656年生まれですから、同じ英国人で、1642年生まれのアイザック・ニュートンより、14歳ばかり年下ってことになりますな。ニュートンは「リンゴが木から落ちるのを見て」、万有引力の法則を発見した科学者でございますが、いろいろ偏屈なおじさんだったそうです。一方で、ハレーは社交的な人物でしかも冒険家でした。

ハレーといえば、ハレー彗星で有名ですが、とりあえず次の2つは覚えておくと、鼻ぴくぴくぅ、になれます。

1. ハレー彗星そのものは、ハレーが発見したのではない

2. ハレー彗星の出現を予報したが、それをみずにハレーは亡くなり、死後、ハレー彗星と呼ばれるようになった

ハレー彗星は、最近ですと1986年に接近し、75~76年周期で太陽を巡る彗星でございます。76という数字を使ったポップソング(レベッカの76th star)など、これを折り込んだ文化もいろいろございます。で、ハレーはなーにをみつけたかというと、古代から再々レポートされている、いくつかの大彗星が、実はたったひとつの彗星だということを見抜いたのでございます。

ハレーは、1705年に過去のいくつかの彗星の軌道について研究していました。そうしたところ、1456年、1531年、1607年、1682年に出現した彗星が、よく似ていることに気がついたのですね。これらの出現間隔が75~76年であることから、この4つは、同じ彗星が周期的に地球に近づいているのを見ていると見抜いたのですな。そして、次は1758年に帰ってきて、どこに見えるかまでを計算して予言したのでございます。

ハレーは、この彗星の再訪をみずに、1742年にブランデーを飲み過ぎ、勤務先のグリニジ天文台で意識不明になって死んでしまうのですが(あちゃー)、後の科学者が彗星の再訪を確認し、ハレー彗星と呼ぶようになったのですな。現在は、彗星の名前は、発見者の名前を最大3人までつけることになっているのですが、その大きな例外がこのハレー彗星なのでございます。まあ、もうひとつ、エンケ彗星もそうなんですけどね。こちらは3.3年周期なので、エンケさん、ちゃんと再訪を確認できています。

さて、そんなハレーさんなんですが、自分が予言した彗星を見ずに死んじゃって、後世になってその業績が認められた人……じゃあありません。ハレー彗星は彼の有名な仕事のひとつにすぎないのです。じゃあ、何があったか。いくつかご紹介いたします。

まず、ハレーが世の中に大貢献したエピソードとしては、ニュートンとの交友関係があります。ハレーは、大きな商店のお坊ちゃまで、裕福な家庭に育ち、学問も優秀という人だったのですが、残念ながらというやっぱりというか、リア充だったのでございます。

特に、アルコールではなく、新しい飲み物であったコーヒーを楽しむ「コーヒーハウス」が彼のリア充ライフの拠点となっていました。これが、フランスだとカフェでございます。で、17世紀なかば(ってことは日本では江戸時代初期にあたりますな)に登場したコーヒーハウスは、コーヒーを飲むだけではなく、人々が集まり、さまざまな議論をしたり、起業したり、新聞を発行したりという、まあそういう場だったのでございます。

で、27~28歳のハレーさんも、1864年、リア充な一人として、学者仲間と会談をしていたのですな。大学とか研究所とか、そういうところじゃなく、コーヒーハウス(まあ、フランスならカフェ)で学問談義でございます。で、そのときの話題で「天体が距離の2乗に反比例する力を受けるとして(小難しく書いていますが、後の力学です)、惑星の軌道はどうなるのかなあ」ということを話していたのですな。結局、それはうまく解決できなかったのですが、ハレーはふと思い立って、なんとニュートン当人にたずねたのでございます。メールもSNSもない時代ですから、天真爛漫というか、スゴイというかそんな感じ。で、ニュートンはあっさり「あ、そのことならもう考えてあるよー」と答えを示したのでございます。

3人が寄ってたかって、でなかった答えを、あっさり解答したニュートン(14歳年上)に、若干27歳のハレーは言ってのけました「ニュートンさん、これ出版しなよ」「出版費用がない? じゃあ、ぼくが出すから」。こうして出版されたのが、今の科学の基本となる古典中の古典、万有引力の法則ほか力学について示した『プリンキピア』でございます。まあ、名前は知らなくても、これがないと、自動車がどう動くか、月がいつどこにくるのか、ビルをどう建てるのがいいのか、そんなことを科学的に検討できなかったという基本でございますな。謝辞には、ハレーよありがとうとさんざん書いてあるそうでございます(読んでないのか! >すみません)。

さて、ハレーの進撃はこれにとどまりません。南の方の測量をするのに、天文学者が必要となると、志願して南アメリカまで赴き、天体観測をします。船長として荒くれ者も指揮しながらの航海でしたが、ちゃあんと成果をおさめています。社交性がここでも発揮されたんでしょうねえ。そればかりか、そのときに、方位磁石と実際の方角のズレについても調べ、世界初となる、このズレの図表を描いています。

さらにさらに、ハレーは、天体を詳しく検討し、動かないというのが常識だった恒星のなかに、移動しているものがあることを発見します。

ハレーはこうした業績から、英国の王立グリニジ天文台の台長にまでなります。ただですね。何年もかかる航海をまぎらわすためのアルコール趣味が悪い方に働きます。最後は、ブランデーを飲んで、体調が急速に悪くなって天文台の中で死んでしまうのです。

ハレー彗星でのみ世の中に知られているハレーですが、いろいろな意味で調べていくと、おもしろい人物でございます。おしむらくは、同時代にニュートンだの、後にファラデーだの、有名科学者が英国にはわんさかいて、彼がやや埋没してしまっているんですな。

彼のリア充ぶりを、小説かまんがにしたら、結構おもしろいんじゃねーかね。といいつつ、ご紹介を終わらせていただきます、まる。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。