ここまで通算73回にわたり、世界各地の防衛産業界に関する話題を取り上げてきた。日本とその周辺だけを見ていると気付かない、意外な話が少なくなかったのではないだろうか。また、「日本の優秀な国産装備品を海外に出せば、どんどん売れるに違いない」と思っている人にとっては、水を差されたように感じられることがあったかもしれない。

それはそれとして。この業界、いまだに「朝鮮戦争特需」の時代と同じ目線で見られることが多いようだが、実のところ、特に1990年代以降は状況が大きく変わってきている。そして、その状況の変化は、「ビジネスとしての防衛産業」のあり方にも影響をもたらしている。

防衛産業と政治の介入、産業基盤保護の問題

防衛「産業」というぐらいだから、これも1つの産業分野であるわけだが、他の産業分野と比較した場合の大きな違いは「政治」が介入する度合の高さではないかと思われる。そのことは、利益につながる場合もあれば、損失につながる場合もある。

軍事力は政治目的の達成に用いるツールの1つだから、その軍備に関わる産業に政治が首を突っ込んでくるのは当然である。国防という重大な政治が関わる分野だけに、単純に企業の独自判断や市場の競争原理だけに任せておくことはできない。

例えば、A国のメーカーがB国から引き合いを受けた時、「はい、そうですか」と簡単に輸出できるとは限らない。もちろん、メーカーの立場からすれば商談が成立するほうが嬉しいのだが、まずは国から輸出許可を取らなければならない。

その過程で、「B国と対立関係にあるC国に配慮して、A国の政府が輸出を禁じる」、あるいは、「B国の国内事情(人権問題など)を理由にしてA国の政府が輸出を禁じる」といった類の話は案外と頻繁に発生する。

手近な事例では、天安門事件をきっかけとして欧米諸国で導入した対中武器禁輸措置があるのだが、中国はこれに対抗するため、「軍事転用も可能な民生品・民生技術」の入手に血道をあげている。以前に本連載で取り上げたことがある、サウジアラビア向けのレオパルト2A7戦車の輸出がドイツで槍玉に挙げられた件もそれだ。

また、輸出許可を取り付けることができたとしても、他国のメーカーとのコンペティションに負ける可能性もある。価格や性能で負けるならまだしも諦めがつくが、オフセットの条件で負けることもあるから油断がならない。ことにオフセットについては、メーカーの独力ではなく、国の後援が必要なことが少なくない。

このように「引き合いがあったからといって、商談が成立するとは限らない」状況の中で自国の安全保障に必要な防衛産業基盤を維持するのは、矛盾の塊みたいなタスクである。それをどのように切り回すかで、多くの国の政府が知恵を絞っているわけだ。しかも、売上増加の切り札である対外輸出については、ライバルが増える一方でパイはなかなか大きくならず、環境は厳しくなる一方である。

また、「産業基盤保護」といっても、政府の思惑とメーカーの思惑が必ずしも一致するとは限らない。だから、フランスでサジェム社とタレス社の光学機器部門を統合させる話みたいに、政府とメーカーの意見が合わなくてモメることもある。政府は「対外輸出でフランスのメーカー同士が競合するのは具合が悪いから統合しろ」といい、それに対してメーカー側は「うちにはうちの言い分がある」と抵抗する。

フランスは、欧米諸国の中でも特に政府とメーカーの距離が近く、何かを外国に売り込むというと、すぐに大統領がメーカーの社長らを引き連れてトップセールスをしに行く国でもある。そもそも、フランスの防衛関連企業大手は国が筆頭株主になっているケースが多い。株主が経営に口を出すのは当然の話であるが、それに唯々諾々と従っているわけでもないのが興味深い。

研究・開発から生産・維持まで自己完結させるのは困難

どこの国でも「自国の防衛に使用する装備品は自国内で製造するべき」という主張が出てくるものである。政治情勢の変化で海外からの輸入が止められたり滞ったりする事例が少なくないだけに、賛同を得られやすい話である。

ところが、それを具体的にどうやって実現していくかが問題だ。これは国防政策だけでなく、産業政策も関わってくる問題である。しかも、ほかにも国費を投じるべき分野がいろいろある中で、費用やその他の面で国防分野だけを特別扱いはできない。もしも国防のために支出を増やして国をつぶしてしまうようなことになれば、それこそ本末転倒だ。国家があってこその国防である。

その一方で、装備品の高度化・複雑化は止まらない。それだけ開発・試験・戦力化に際しておカネも時間も手間もかかるということであり、しかもその際に直面するリスクも増える。F-35の開発でどれだけ苦労しているかを見てみれば、そのことは一目瞭然である。

しかも、産業基盤の維持を図るには、新しい装備品のプロジェクトを用意するだけでは済まない。基盤を維持するには、研究開発や生産だけでなく、試験・評価のためのインフラや人材も必要である。国産化論を主張する向きが、往々にして見落としているポイントである。

結局のところ、各国がそれぞれ、自国向けの装備品を自主開発・国産化しつつ、高度化・複雑化の流れをキャッチアップして、自国の防衛に資する最新ハイテク装備品を調達・配備・維持・戦力化する、という考え方には無理が生じてきているのが現実だ。このサイクルをすべて自前で回すには、あまりにも負担が大きい。

しかし、だからといって安価で低リスクなローテク品に逆戻りはできない。装備品が安価で低リスクでも、それによって国の護りが高リスクになったのでは意味がない。それに、「リスクがない、スケジュール遅延の危険がない、価格は抑えられる、もちろん完全国産化が可能、それでいてハイテク満載で高性能で仮想敵を圧倒できる」なんていう、おめでたい装備品は存在しない。

そうなると、高度化・複雑化の流れをキャッチアップする過程で発生する経済的な負担や各種のリスク要因を、どのようにして受容可能な状態に落とし込むかが最大の問題ということになる。

その際に、産業構造、ビジネスのやり方、政府の政策などについて、「今まで、このやり方で回ってきたのだから、今後も同じやり方で行くべき」という考えで通用するのかどうか。日本で防衛産業基盤の維持が大きな問題になっている今こそ、世界の情勢に目を向けた上で、今後のあり方について再考するべきではないか、と考えるのである。

といったところで、話は次回に続く。