数多くの映画やドラマ、舞台に出演し、その実力から大きく注目されている俳優・中村倫也。3月5日に主演映画『星ガ丘ワンダーランド』が公開されたばかりだが、デビュー11年目をむかえ、仕事への考え方はどのように変化していったのだろうか。話を伺った。
スカウトで養成所に
――中村さんがこの仕事に入ったのはスカウトがきっかけとお聞きしたんですが。
中村:文字数を短くするとスカウトなんですけど、高校1年の時に同級生から突然電話がきて、「芸能界に興味ありますか?」と聞かれたんですよ。いきなりだったんで、「何言ってんだ?」と思いながら詳しく聞いてみると、その同級生の知り合いが今の事務所で働いていて、クラス写真で僕を見て電話することになったみたいなんですね。そのとき僕はずっとやっていたサッカーを辞めたタイミングで、やることも特になかったし、これも縁なのかなと思って社長に会ってみたんです。そしたら、事務所で養成所を始めるというので、高校2年の1年間、一期生として通って。そこで俳優ってなんとなく面白いなと思い、オーディションを受けて所属することになりました。だから、スカウトと言いつつも養成所あがりなんです。
――養成所に通ったことは、その後の仕事に生かされましたか?
中村:行っててよかったなとは思いましたね。やっぱり世に出る前に試運転じゃないですけど、いろんなカリキュラムをやったというのは役に立って、ずぶの素人の高校生が現場で何もわからないでやるっていうことにはならないで済みました。カリキュラムは芝居とダンスとアクションとボイトレなんかがあって、特にアクションはデカかったですね。"かぶり"とか"うけ"とか用語もわかってましたし。アクションで習ったことを仕事で初めて使ったのは、18歳か19歳のとき、ドラマ『相棒』にゲストで出て、高架下でボコボコにされるシーンでした。やっててよかったなって思いましたね。
表現が「フォーマット化」
――そうやって10代から現在29歳になるまでやってきて10年以上の月日が経ちましたが、現場での立ち位置も変化してきたんじゃないでしょうか。
中村:最初はわからないながらもやってきたんですけど、ちょっとずつ仕組みや接し方もわかってきて、でもそれが変に邪魔になってきたときがあったんです。腕のない中で変な知恵ばかり身について、表現者として邪魔だなと思えたときがあって。
――それはどういうものだったんですか?
中村:こういう角度でこういう目線でセリフを言えば、こういう印象になるというフォーマットがなんとなく身についてしまって。でも、それってあくまでもフォーマットなのであり、もっとむき出しにしないといけないのに、下手にできちゃうからそれに頼ってしまうというか。それがいつからか邪魔に感じるようになりました。
――気づいてから、どうやってそれをやめていったんですか?
中村:一切やらないようにしました。経験値が錆に変わって、関節が動きづらくなるような感覚があって。本当に必要な経験は外側じゃなくて内側につくもんだと思ったので、錆をひっぺがそうとしたり、無理やり動かしたりとか、そういう感覚の中にいました。急にやめられるものじゃないので、徐々になんでしょうけど。