マウスで実験する意義とは

――「マウスを使って○○のメカニズムを解明」「マウスで○○の治療法の効果を確認」といったような研究成果のニュースをよく目にしますが、ヒトとマウスでは結果が大きく違ってくるのでは? と感じてしまいます。

精神疾患についていえば、もちろんマウスは人ほど言葉を喋らないし記憶もできないし、神経機能のレベルに大きな差はあります。しかし、神経の配線の仕方や脳のでき方、神経細胞の機能はほとんど共通しています。したがって、神経細胞レベルでの異常や、発達の過程での異常をマウスで明らかにすることができれば、人ではわからないような知見を得ることができるというのが、実験動物を使う重要なポイントです。

また、実験で用いるマウスは基本的にほぼクローンなので、ある遺伝子変異を入れて生じる影響は、どのマウスも皆同じになります。前の世代で統合失調症になったら、同じ変異を持っている現世代のマウスも同じ形質が出てくるかもしれない。なので、統合失調症のマウスに発達の過程で何が起きているのかということを調べることができます。遺伝的に統制されたモデルという意味でもマウスは有用です。

ただし、やはり寿命も代謝系も異なりますので、必ずしもヒトと同じ表現型が出るわけではありません。その場合は、イヌやサルに遺伝子変異を導入することもあります。たとえば、私が大学院時代に研究していた筋ジストロフィーという疾患だと、マウスでは遺伝子変異の効果が出にくかったが、イヌでは重篤な筋萎縮が現れたために、治療法開発で非常に有益な知見を得ることができたという話を聞いたことがあります。しかし、イヌやサルでは飼育が困難ですし、技術的にも難しい。高度な認知能力を持っている動物に対してどれくらいの苦痛を与えて良いのか、そこから得られる知見がそれに見合うものなのかといった倫理的な問題も慎重に考えなくてはいけません。

―古戎先生は、モデルマウスを作成するというアプローチで、統合失調症の知見を得ようとしていらっしゃるいうことですね。

統合失調症の患者さんで見られる遺伝子変異をマウスで再現した際に、患者さんと同じような脳波のパターンや神経細胞数の変化が見られれば、その遺伝子がこれらの症状を引き起こしているんだということがわかります。私たち分子生物学者にとって勇気付けられるのは、じゃあこの遺伝子の機能を解析すれば、統合失調症の手がかりがわかるのでは? と思えることです。この遺伝子が細胞のなかで何をしているのか――タンパク質の輸送なのか、細胞内外の物質のやりとりなのか――そこを制御できれば、統合失調症治療への道筋となると考えています。

また私は、統合失調症を理解することは、とりもなおさず、脳という物質からどのように私たちの意識や思考が生まれてくるのかを理解することでもあると考えています。脳というのは臓器の中でも最も複雑なもののひとつで、この働きを解明するためには、遺伝子改変動物を用いた研究がこれからも必要であると思います。CRISPR/Cas9システムを利用しながら、効率的に遺伝子改変できる方法を構築するのが今のテーマのひとつです。

脳を知ることは、「自分」とは何かを知ること

――医療に関わる分野だと、研究成果で人の役に立ちたいという考えの研究者の方も多くいらっしゃいますが、古戎先生はどちらかというと、現象のメカニズムを解明したいという、理学的なモチベーションのほうが強い印象を受けました。

理学的な興味が強いのは確かですが、研究するうえでは人の役に立たなければならないと思っています。しかし、私にとっていちばん興味があるのは、「自分」なのかもしれません。自分の思考や感情がどのように生まれてくるのか知ったうえで、それをうまく利用して生きていきたいです。脳の仕組みがわかれば、ストレスに対する対処法やボケないためにはどうすればいいのかといったことがわかります。これはまさに神経科学の分野ですよね。適度な運動が脳の働きを高めたり、腸内の環境が脳の働きに影響を与える可能性も指摘されています。脳の働きを理解することで、記憶力を倍増させたり、悲しみを半減させたりすることはできないかもしれませんが、身体を鍛えるように、科学的なエビデンスに基づいて、心を整えることができるようになればよいと思っています。

――なるほど、「自分とは何か」という疑問を神経科学的に解決しようというわけですね。研究者として今後の目標を教えてください。

“圧倒的知識”を身に付けたいと思っています。やはり優秀な研究者はいろんなことを知っています。知識を身につけることは苦痛だし、実験をしているほうがやった気分になれるので楽しいのですが、その苦痛に堪えて、努力して、新しい発想に繋げていけるような研究者になりたいですね。その後に生まれてくるものは何かわかりません……ほかに興味のある研究分野がでてきてしまうかもしれない。ただ、今はやるべきことをやりながら、しっかりと勉強していきたいと思っています。

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