通信の秘密は、日本や欧州を始めとする国々で、憲法に規定されたり、権利主張がなされてきた。しかし米国においては、憲法や議会制定法としては立法化されておらず、「プライバシーに対する合理的な期待」が、判例法上で保障されているだけだという。そのため、捜査当局がより踏み込んだ対応をテクノロジー企業に求めている。

ユーザーとしては、自身のプライバシー情報を危険にさらす「可能性」を作り出したくない、と考えるだろう。しかし一方で、自分の個人情報の保護と、自分の安全保障、すなわち命に関わる事件に遭遇しないようにすることを天秤にかけたらどうなるだろうか。Appleがバックドアを設けなかったせいで、テロ事件を未然に防げなかったとなると、Appleが主張する「個人情報の保護」という前提は、簡単に崩れ去る可能性がある。

今回の公開書簡で、人々に対して議論を呼びかけたのは、Appleの主張を知ってもらうことと同時に、その一方でユーザーである米国民に対して選択して欲しいと考えているからだ。Appleユーザーとして、自分のプライバシーを守る権利を保持し続けるのか、安全保障と引き替えに個人情報を差し出すのか。

この問題について、巨大な企業を敵視するかのように批判を展開する大統領候補、ドナルド・トランプ氏がFoxニュースで採り上げ、コメントした。裁判所の命令を拒否したAppleについて「何様だと思っているのだ」と厳しく非難したのだ。同氏は、「100%裁判所の判断を支持する。我々は犯人のiPhone(のパスコード)を解除しなければならない。安全は、総合的に判断されるべきで、我々は常識で考えるべきだ」とコメントしている。

そして日本でiPhoneなどのAppleのサービスを使っている我々は、この議論の参加者ではない、という現状も理解すべきである。トランプ氏が大統領になるかどうか、そして当選したときにこの問題を覚えているかどうかは分からないが、日本国民には米国大統領選挙の投票権はないのだ。

松村太郎(まつむらたろう)
1980年生まれ・米国カリフォルニア州バークレー在住のジャーナリスト・著者。慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、キャスタリア株式会社取締役研究責任者、ビジネス・ブレークスルー大学講師。近著に「LinkedInスタートブック」(日経BP刊)、「スマートフォン新時代」(NTT出版刊)、「ソーシャルラーニング入門」(日経BP刊)など。Webサイトはこちら / Twitter @taromatsumura