――今、自分の仕事を振り返ってあらためて思ったのですが、「この時のこの気持は」と聞かれても、なかなか思い出せませんよね(笑)。

ですよね! 今が100%。明日、明後日が60~70%ぐらいで、過去は0%みたいな(笑)。逆に忘れられないのは、初めての映画やドラマ、歌の仕事、CMとか。「初めて」にとても敏感なんだと思います。あとは『電波少年』(日本テレビ系)でヒッチハイクをしたことも忘れられません(笑)。猿岩石さん、ドロンズさんの次がたぶん私だったと思います。アラスカに着いた途端に、「ここからヒッチハイクです」と突然言われて。予算をルーレットで決めるんですが、最高金額を当てて喜んでたら、スタッフさんが「もう1回……」って(笑)。言われた通りもう1回投げたら、低い金額でした。過酷なロケでしたけど、オーロラを見ることができたのはうれしかったですね。バナナで釘を打ったり、凍ったバラを握りつぶして「バラがバラバラになりました!」と報告したり(笑)。たぶん20歳ぐらいだったと思います。

――よく見てた番組でしたが、それこそ全然覚えていませんでした(笑)。17歳で芸能界デビューしてから、きっと親御さんの支えもあったと思います。今回は「親子愛」がテーマの昼ドラですが、このテーマを聞いて何が思い浮かびますか。

芸能のお仕事はたぶん特殊な世界だと思います。楽しいことばかりでなく、大変なことも多々ありましたが、今でもこうして伸び伸びとやれているのは、この性格を作ってくれた両親のおかげだと思います。結構タフで、嫌なことがある中でも楽しめるタイプ。芸能界に長くいると結構変わるとも言われますが、私にはそういう変化もなく(笑)。特殊な世界でも、自然に生きてこれたこと。それは両親に感謝しなきゃなと思います。

母はマイペース。父は口数が少ないですが、時々話すとポロッと面白いことを言うので、そこがいつも家族みんなで笑ってしまうツボです。5人きょうだいで、みんな私と同じようにナチュラル。私は4番目だったせいか、怒られた記憶があまりありません。長男がしっかり者、長女はちょっと自由な感じで、次男はさらに自由(笑)。そんなきょうだいに囲まれて育ったせいか、どんなことをしたら怒られるのか、知らず知らずのうちに学んでいたんでしょうね。

――昨年は芸能デビュー20周年でした。節目にふさわしい年になりましたか?

なんて言えばいいんでしょう……1日、1日を過ごしてたら20年というか……いつまでやれるか分かりませんが、30周年を迎えてもこんな感覚なんだろうなと思います。20周年迎えることが芸能活動の目標だったら、きっとまた違うんでしょうね(笑)。

――デビューから17年間所属していた事務所を独立し、一度フリーになってから現在の事務所に。遠藤さんの芸能生活で、ターニングポイントとなる出来事だったと思います。

以前お世話になっていた事務所は女性社長だったんですが、第二の母というか、私にとっては育ての親。小さい事務所だったんですが、私のために本当にがんばってくださって、社長と2人、二人三脚の日々でした。たぶん、一生感謝し続けると思います。

――独立の意思を伝えるのも大変だったでしょうね。

急に言ったわけでなく、ちょこちょこ言っていたので大丈夫です(笑)。伝え方も、「お芝居やりたいなぁ」みたいな感じで。モデル事務所だったんですが、私はモデルに向いてなかったので悩んだ末にタレントに。社長としては、新たにバラエティの分野も開拓しなきゃいけなかったわけで、歌もやっていましたし、その上、芝居となると難しかったみたいで。当時はそんな事情を知らずに好き勝手なことを……。今振り返ってみても、多大なる力を注いでくださっていたんだなと思います。

ただ、出会いの"縁"もあれば、離れる"縁"もあると思います。離れるというより、"巣立つ瞬間"と勝手に解釈(笑)。子どもの時はずっと親に頼り、社会に出て成長したら、今度は子どもが親の手を引くようになる。それと同じように、前の社長とは出会っていろいろ試行錯誤して離れる時期があって。ただ、フリーになったときは前の事務所が形成してくださった人脈は繋がっちゃいけないと思ったんです。それはルール違反というか。私の中での"けじめ"でした。

そうやって決めてはみたものの、いざフリーになってみると、誰一人知り合いがいないことに気づきました(笑)。それから、ブログを立ち上げたり、ホームページを作ったりしているうちに、そこにお仕事の依頼が来るようになりました。そんな中、あるドラマでお世話になったプロデューサーさんが「今後どうするの?」って心配してくださって。一人でやっていこうと思っていたのでそのことを伝えたら、「一人でやっている人は樹木希林さんぐらいだよ!」と言われて(笑)。当然、マネージャーもいなかったので「やっていけないよ!」と叱られて、甘かった自分に気付きました。

「お芝居をやりたい」という一心で決断した独立だったので、きっとそこまで深くは考えていなかったんだと思います。たまりかねたスタッフさんが「もう……」と呆れながら(笑)紹介してくださったのが今の事務所でした。「東宝芸能」なんて、前の事務所規模に比べたら、雲の上の存在。その名前を聞いた瞬間に、「私、入れないと思います」と弱気でした(笑)。それでも面接まで組んでくださって、その時期が本当に良い時期だったんです。半年早くても半年遅くても難しかったそうで。その方のおかげで、こうして所属させてもらえるようになりました。もう、一生頭が上がらない恩人。2人目の恩人ですね(笑)。

こうして、私は誰かに支えられながら生きているんだと思います。自分で道を開拓しているのではなくて。川に流されていたら、誰かがそっと拾い上げて別の大きな川に流してくれるような。私の分岐点には絶対にそんな恩人がいます。本当に大感謝です。一人でコツコツやっていくのか、お芝居のプロフェッショナルである東宝芸能に入るのか。もう、断る理由がありませんよね(笑)!

――その喜びが伝わってきます(笑)。

はい、今とっても幸せなんです(笑)!

■プロフィール
遠藤久美子
1978年4月8日生まれ。東京都出身。身長165センチ。O型。1995年に芸能界デビュー。同年、マクドナルドのCM(証明写真編)で一躍脚光を浴び、バラエティ番組の出演を機に人気を獲得。その後、CM、テレビ、ドラマ、バラエティを中心に活動し、1998年には歌手デビューも果たした。初主演作は、2003年のTBS系ドラマ『ダンシングライフ』。2011年に、デビュー以来所属していた事務所を離れてフリーとなり、その後、2012年に現在の事務所・東宝芸能に所属した。2006年からスタートしたテレビ朝日系ドラマ『警視庁捜査一課9係』シリーズにレギュラー出演中。