理化学研究所(理研)は、中国・大連理工大学との共同研究により、従来法と比べてより少ないエネルギーでアンモニアを合成できる手法の開発につながる技術として、新たに合成した多金属の「チタンヒドリド化合物」に窒素分子を常温・常圧で取り込ませて強力な三重結合の窒素-窒素結合を切断し、窒素-水素結合の生成(水素化)を引き起こすことに成功したと発表した。
成果は、理研 環境資源科学研究センター 先進機能触媒研究グループの侯召民グループディレクター(画像1)、同・島隆則上級研究員(画像2)、同・胡少偉 特別研究員、同・亢小輝 国際プログラムアソシエイト、大連理工大の羅一 教授、同・羅根 修士らの共同研究チームによるもの。また会見には、4月に部門として発足したばかりの環境資源科学研究センターの篠崎一雄センター長(画像3)も出席した。研究の詳細な内容は、日本時間6月29日付けで米科学誌「Science」オンライン版に掲載される。
窒素は、DNAやアミノ酸、各種タンパク質などに使われており、地球上の生物が生命を維持するのに必須の元素の1つだ。大気の約8割を占めているほど地球上ではありふれた元素だが、2つの窒素原子が三重結合により強力につながっているため非常に安定しており、その性質のために「ニトロゲナーゼ」という酵素を持つ一部の細菌以外の生物は、ヒトも含めて、自然界で大気中の窒素を直接利用することができない。稲妻や火山活動などの自然現象により、窒素酸化物やアンモニアなどの固定窒素が作られ、それらをあらゆる生物が利用し、地球上においては生命が維持されているのである。
そして現在、人類は人口爆発により、アフリカなどいくつかの地域において食糧不足による饑餓の問題は多くの知るところだ。今後も人口は爆発的に増え続けていることからも、農作物の増産に継ぐ増産は喫緊の課題のとなっているが、それに対応するだけの固定窒素は自然界によるものだけでは間に合わないことが問題である。それでは、現在はどうしているのかというと、20世紀最大の発明の1つとされる「ハーバー・ボッシュ法」という、鉄系の触媒を用いて窒素と水素からアンモニアを合成する技術が農作物の生産を支えているのだ。
ハーバー・ボッシュ法はおおよそ500℃、おおよそ300気圧という高温・高圧下において固体触媒上で反応させ、窒素分子1個と水素分子3個からアンモニアを2個合成できる技術だ(画像4)。この技術がなければ、人類は飢えてしまうこと確実で、現代人の体を構成する窒素の約半分は同技術で生み出されたアンモニアに由来しているといわれるほどだ(世界の年間生産量は約1.5億t)。まさに、ハーバー・ボッシュ法は人類の生命線ともいえる技術の1つなのである。
しかし、ハーバー・ボッシュ法も問題がないわけではない。500℃・300気圧という環境を作り出すためには当然ながら多量のエネルギーが必要で、全人類が1年間に消費するエネルギーのうち1~数%の割合を占めているという。そのため、より低温・低圧な(もちろん常温・常圧がベスト)反応条件でのアンモニア合成法の開発が望まれており、世界中で競って研究が進められているのである。
ちなみにこれまでどのような技術が開発されているかというと、近年の国内においては、東京大学の西林仁昭准教授と九州大学の吉澤一成教授らがアンモニア等価体であるシリルアミンを触媒的に合成する方法や、東京工業大学の細野秀雄教授と原亨和教授らが「エレクトライド」に「ルテニウム」のナノ粒子を固定することでアンモニアを合成する方法などがある。
しかし、それらは大過剰量の特殊な金属還元剤(電子供給源)と特殊な水素源を必要としていて工業化への展開には大きな課題があったり、400度という高温環境が必要とされていてまだまだエネルギーの消費量が大きいなど、それぞれ課題があるのが現状だ。
そうした中、金属-水素の結合を持つヒドリド化合物は現時点ではまだ窒素-水素結合の生成に実際に成功したわけではないが、特殊な試薬などを用いずに窒素を固定できる可能性を秘めていることから注目を集めている。なおヒドリド原子とは、「H-」、つまり通常より電子が多いマイナスイオン状態の水素のことをいう。つまりヒドリド化合物は、その水素イオンを含んだ化合物というわけだ。そして研究チームもヒドリド化合物に注目しており、中でも3つ以上の金属原子とヒドリド原子からなる多金属ヒドリド化合物に注目しているのである。
これまでのところ、多金属ヒドリド化合物は窒素分子の活性化に関しての報告例はないが、特異な分子活性化協奏機能が期待できる点が特徴だ。そこで研究チームは、これまでに希土類金属を中心としてさまざまなヒドリド化合物の合成や反応性についての研究を行ってきた。その結果、今回発表された新たな多金属(ポリ)ヒドリド化合物であるチタンヒドリド化合物の合成に成功。チタンはいうまでもないが、安価で入手が容易な汎用金属なので、工業化に向いているのはいうまでもない。そこで、研究チームはこれをベースに、常温・常圧の温和な条件での窒素固定の研究に挑んだのである。
多金属ヒドリド化合物は複数の金属による共同活性化機能に始まり、ヒドリド原子が還元剤と水素(プロトン:陽子)源の両方として作用が可能なこと(プロトンは、電子を取ったプラスイオン状態の水素(H+))、構造が明確で高活性で制御が可能なことなどが特徴だ。
具体的に研究チームが作ったものは、立体的にかさ高い「シクロペンタジエニル基」という有機分子を保護基とするチタンの「アルキル化合物」に水素を加えたチタンヒドリド化合物である。X線構造解析の結果、チタンヒドリド化合物のコア構造は、3つのチタン原子と7つのヒドリド原子で構成されていることが確認された(画像5)。
そしてこのチタンヒドリド化合物と窒素による反応が1気圧において行われ、20℃という常温で窒素-窒素の三重結合が切断され、その後に窒素-水素結合が生成されることが明らかとなったというわけだ。画像6を見てもらうとわかるが、中央とすぐ下の2つのヒドリドが窒素に置き換わる形だ。
なお、3つの金属原子が相乗的に働いて、温和な条件で窒素が固定されて水素化されたのは初めてのことだという。また、この窒素-窒素結合の切断および窒素-水素結合の形成には、前述した多金属ヒドリド化合物の特徴の通りで、新たな還元剤や水素源は不要な点も大きなメリットとなっている。
続いて研究チームは、反応機構を明らかにするためにこの反応を低温下で実施して観察した。その結果、-30℃で窒素分子がチタンヒドリド化合物に取り込まれると同時に4つのヒドリド原子から2つの水素分子が生成・離脱。水素分子生成により余った4つの電子を窒素が受け取り(還元)、窒素-窒素三重結合がより結合力の弱い単結合まで還元されることがわかった(画像7のA)。
さらに、-10℃で2つの3価チタン(III)から2つの電子が窒素に受け渡されて窒素-窒素結合が切断されると共に、2つの4価チタン(IV)が誕生(画像7のB)。その後、20℃で1つのヒドリド原子から2つのチタン(IV)へ2つの電子を受け渡したことで、プロトン(H+)と2つのチタン(III)が生じ、このプロトンと窒素が結合し、窒素-水素結合が生成したというわけだ(画像7のC)。
これらの反応をもう少し簡便にまとめると、チタンヒドリド化合物中の複数の金属が反応に関与して窒素を温和な反応条件で取り込み、ヒドリド原子が電子(e-)を与える電子剤として働くことで窒素分子を切断し、一方でヒドリド原子自ら有する電子を金属に与えることでプロトンとして働いて窒素を水素化したというものである。
また研究チームは、こうした実験を進めるのと同時に理論計算も実施し(担当は羅教授ら大連理工大のメンバーが担当)、より詳細な反応機構の調査も行った。その結果、まず窒素分子は3つのチタン原子の内の1つと結合し、ヒドリド原子が水素分子として1つ、2つと離脱すると共に、窒素と結合するチタンの数が2つ、3つと増えていき、窒素-窒素結合が弱められることが判明。その後に窒素-窒素結合が切断され、窒素-水素結合が生成されるというわけだ。なお、このプロセスは、先に窒素-水素結合が生成され、その後に窒素-窒素結合が切断されるプロセスよりも少ないエネルギーで進行することも確かめられている。
なお今回の反応は、あくまでも強固な窒素分子を決断し、窒素-水素結合を生成させるまでのものであり、最終的なアンモニアの生成はまだまだこれから研究が進められていく形であり、「今後10年かけて開発していく」と、侯グループディレクターは述べている。一方、篠崎センター長は、今回の成果に対し、「発足早々でホームランを出せたことに非常に嬉しい」とした。
また今後の展開としては、補助配位子と中心金属の組み合わせなどによって、窒素-水素結合の形成および金属-窒素結合の切断の促進を実現していくことを挙げた。そしていうまでもなく、温和な条件下でなおかつ「固定型」多金属ヒドリド触媒を用いて、アンモニアの効率的な合成を目指すとしている(画像8)。さらに、今回の多金属チタンヒドリド化合物は、非常に高い反応性を有しているため、窒素の固定化反応だけでなく、新たな触媒反応への展開も期待できるとした。