表現は、制限の中で工夫するからこそ面白いものになる。
たとえばファミコンやスーパーファミコン時代のゲームは、今のゲーム機とは比べ物にならないくらいできることが少なかった。しかしだからこそクリエイターは知恵を絞り、限られたメモリの中で数々の名作を生み出していった。
舞台もまた同じである。映画やテレビドラマのように編集ができない舞台演劇という表現には、どうやってもできないこと、つまり"制限"がある。『もののけ姫』のような、人外の存在が多く登場するアニメを舞台化する場合、この制限にどう挑むのかが一つの見どころとなるのだ。
『Princess MONONOKE ~もののけ姫~』は、1997年に公開されたスタジオジブリの大ヒットアニメ映画『もののけ姫』を初めて舞台化した作品である。イギリスの若手劇団「Whole Hog Theatre」(ホール・ホグ・シアター)の創設者の一人、アレクサンドラ・ルターがジブリ作品に感銘を受け、「もののけ姫」の舞台化を宮崎監督に申請したことから企画はスタートしたのだという。
宮崎監督が自作の舞台化を許諾するのは初めてのことで、それだけ「Whole Hog Theatre」の表現に可能性を感じたということだろう。とはいえ、「もののけ姫」の舞台化が難しいということは素人目にも明らかだ。巨大な森の静寂や、タタラ場の和気あいあいとした雰囲気、後半の荒れ狂った山など、がらりと表情を変える場の変化を一つの舞台上でどう表現するのか。あるいはシシ神やモロ、乙事主、タタリ神といった人外の存在をどう再現するのか。若手劇団「Whole Hog Theatre」の"制限への挑戦"をレポートしよう。
冒頭。主人公・アシタカの住む村に、ヘドロのような姿のタタリ神がやってくるところから舞台はスタートする。このタタリ神のなんとも言えない気持ち悪さをどう表現するかが、舞台としての最初の見せ場だ。
舞台の向こうから姿を見せたタタリ神の姿は予想以上の不気味さを放っていて、原作映画で感じた気持ち悪さを見事に思い起こさせるものだった。ガサガサという音がさらに不快感を強調する。
実はこれ、大量のビデオテープを使って造られたもの。本舞台にはこれ以外にも廃材がうまく活用されており、例えば背景のセットには空きペットボトルが使われているという。しかし、言われなければまったくわからない。デザイナーの労作だ。
感心したのはタタリ神の表現だけではない。原作映画では、ここでアシタカがヤックルに乗って走りながらタタリ神と戦うのだが、その場面が忠実に再現されていたのだ。舞台、それもイギリス人が演じる『もののけ姫』ってどうなんだろうと始まる前は不安に思っていたが、オープニングシーンを完璧に再現されたことで、違和感はすっかり消し飛んでしまった。もちろん、これにはBGMの効果もある。音楽は全編にわたり原作の楽曲をアレンジしたものが使われているが、凝ったアレンジではなく原曲の雰囲気を大切にしているので、すんなりと耳に入ってくるのである。
ちなみにヤックルはパペットで頭部が表現されており、胴体は完全に人間である。ここが一番違和感を覚えるところだが、パペットの動きがやたらとリアルなので、すぐに慣れることができた。……続きを読む