日本人なら誰もが知っているファッションデザイナー。ポール・スミスは、まさしくそんな存在のひとりだ。ファッション業界で働きたい人はもちろん、彼のデザインする独特の鮮やかなストライプは広く知られているし、しつらえの丁寧なスーツに袖を通してみたいと思ったことがある人も多いに違いない。
そんなポール・スミスが、東京モード学園とHAL東京の主催により、新宿・モード学園コクーンタワーで特別講演を行った。この貴重な機会を逃すまいと、講演が行われるホールに向かった。
颯爽とステージに登場したポール・スミスの第一印象は、まさに「イケメン!」。スラリと伸びた足、当然のごとく美しく着こなしたスーツに、ロマンスグレーと呼ぶには引け目を感じるほどの若々しさ。講演を聴きにきた女子学生をあっという間に虜にしてしまった訳だが、ここからはポールの講演内容をレポートしたいと思う。
自転車に没頭した青年時代だったが…
ポールは小さい頃、父から誕生日プレゼントに自転車をもらったことがきっかけで自転車に夢中になり、選手になろうと考えた。しかし、彼が18歳の時、事故で鼻や足の骨を折る大怪我を負い、3カ月ものあいだ入院することになってしまう。自転車の選手を諦めるほかなかった彼は、入院先でできた友人達と、偶然にもファッション関係の学生達が集うパブに通うようになる。その学生のひとりに、自分のブティックの手伝いをしないかと誘われた。それまでファッションには全く興味がなかったポールだが、これ以来、彼の人生は大きく変わっていくことになる。
"デザイナー"ポール・スミスの誕生
ブティックで働きはじめたポールの最初の仕事は、その店の手伝いだったそうだ。働くうちに「洋服のデザインや車の設計などで生計を立てられたら素敵だな」と考えるようになり、店の手伝いを通じて現在の奥さんとなる女性と出会い、結婚。ポール自身は経済的な事情から学校でファッションを学んだことがなかったため、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(イギリスの美術・デザイン専門の大学院大学)で学んだ彼女から、型紙の作り方からファッションデザインとは何たるかまでを教えてもらったのだという。
「「いっそお店を開いたら?」とアドバイスをくれたのも彼女です」とポールは語る。しかし、個性的すぎるポールの服は、田舎町ではお客さんにあまり受け入れられなかった。彼が作った洋服は、当然彼にとって価値がある物だ。しかし、売れなければ生計が立たない。仕事をやりだして、彼の考え方は少しずつ変わってきたという。
「たとえ心底やりたいことではなかったとしても、商用として受け入れられる服をつくることも大切だということをしっかり心に留めておいてほしい、それは将来きっとみなさん方の役にも立つと思う」。ポールは学生達に言い含めるようにして語った。
また、ポールは金・土曜日の二日だけ自分の店を開け、月~木曜日は他のアルバイトをした。そして、「ポジティブな意味で聞いてほしいのですが」と前置きした上で、「世界にはあまりにもデザイナーが多すぎる」と指摘。あまたのデザイナーの中で、企業から雇われたり、自分が生み出したデザインを選んでもらうには個性が必要であり、カリスマともいえる自分のキャラやデザインを前面に出してくことが重要だと力強く語る。
「もし自分のお店をもちたいと思っている人がいたら、夢のみをがむしゃらに追いかけるのではなく、(ポール自身がアルバイトをしながら自身の店を展開したように)生活とのバランスをとっていってほしいと思います。僕もゆっくりではありますが徐々に自分のデザインの服を増やしていき、最初はこじんまりと、そして少しづつ大きくしていったのです」。経験に裏打ちされたからこその重みのあるアドバイスを、会場に詰めかけたデザイナーの卵たちはどう受け止めたのだろうか。