本計画がまず内容ありきで進んできたのには、計画の発想や、米沢氏と森川准教授が出会った経緯が大いに関わっている。

2008年に新設された国際日本学部の准教授・森川嘉一郎氏。「おたく」展のコミッショナーを務め、「趣都の誕生-萌える都市アキハバラ」などの著書で知られる

2004年、森川氏はヴェネチア・ビエンナーレの「おたく」展のコミッショナーを務めることとなった。森川氏は「出展作家としてコミックマーケット準備会に出展を依頼したのですが、その際に米沢さんにはじめてお目にかかり、その場で(出展を)引き受けてくださいました。ヴェネチアの現地会場での設営にもボランティアの方々を引き連れてこられました」と米沢氏との出会いを振り返る。

ヴェネチア・ビエンナーレの終了後、展示物の寄贈先がなかなか定まらない中、新たに収蔵施設をつくるという構想が生まれてきたという。そして、森川氏は米沢氏と内記氏のお二人に相談したところ、お二人の蔵書と「おたく展」の展示物をひとつにした恒久的な保存ができる複合アーカイブ施設に思い至ったという。「その後、施設の計画書を作って、あちこちに提案しましたが、1年ぐらいは進展がありませんでした」(森川氏)。そして、残念な事に、計画が日の目をみないまま、2006年に米沢さんは他界してしまう。

その後、それまで森川氏とはまったく関係のなかった、国際日本学部を設立するという明治大学に計画を話す機会を得た森川氏は、自己紹介がてらに複合アーカイブ施設の話をしたところ、「駿河台キャンパスの再開発の一環として実現できるのではないか、という事になりました。それで、明治大学を主体にマンガやアニメのアーカイブ施設をつくろうという話になったわけです」(森川氏)。米沢氏のご遺族からも、蔵書も保存できるなら、と内諾をもらい、本計画は具体的に進みはじめた。

現在、東京国際マンガ図書館は2014年の開館を目指して準備を進めている。すでに米沢氏のコレクションについては相当、分類整理が進んでおり、同館の開館に先駆けて、このたび開館したのが米沢コレクションをおさめた米沢嘉博記念図書館というわけだ。

米沢嘉博記念図書館に収蔵される蔵書は、冊数、情報量ともに大変膨大なものとなるわけで、これらの分類整理について森川氏は「専門スタッフが分類整理作業を行っています。また、当初の目録は情報が必要最低限に限られたオーソドックスなものですので、これらの情報を順次拡充していく予定です。その情報には、連載期間は? だれが編集したのか? といった通常の目録には入らないような情報も入れ、充実をはかります」と語っており、学術的研究に耐えうるデータベースとしても期待できるアーカイブとなりそうだ。

順調に進んでいる本計画ではあるが課題もある。東京国際マンガ図書館では、コミックマーケット準備会が協力を表明しているが、コミックマーケットの見本誌の閲覧提供については賛同する声がある一方、異を唱える声もある。もとより2次創作が多くを占める同人誌は、参加者によっては個人的、私的なものである部分もあり、コミケという一種閉ざされた"内輪"だけのものとみる考えもある。そうしたものを、図書館という場で公にされる事に対して、反対の立場を取りたくなるのも理解できる。そうした反面、同人誌というものをよく理解せずに、批判的な言動を行う人々をはじめ、社会的な認知向上の機会となる事も重要な点と言える。

同人誌見本誌の公開については、今後、条件や環境整備が必要になるだろう。

それぞれの立場から、これからも意見は出るだろうし、すべてが納得の行く形に至るにはそれなりの労力や時間も必要だろう。そうではあっても、いずれ米沢氏をはじめ日本のマンガ文化の発展に寄与してきた先人たちの思いや志しに応えられ、それぞれがよい形で関わる事ができるアーカイブとして発展し、いまだにマンガやアニメ、ゲームを一段低い文化と見る、見識の浅い政治家や一部のマスコミに「大学がマンガ喫茶を作った」などと言わせないような施設となるものと大いに期待したい。