今年7月、茨城県つくば市において「第20回 国際生物学オリンピック(IBO 2009)」が開催される。各国から選ばれた約240名の高校生以下の生徒たちが一堂に会し、数日間にわたって生物学の知識を競うコンテストだ。IBOは7つの「国際科学オリンピック」のうちのひとつで、日本は2005年の北京大会から参加している。優秀な成績を収めた生徒のうち、約10%に金メダルが授与されるが、日本はまだ金メダルを獲得するに至っていない。

2009年は進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの生誕200年にあたる。この記念すべき年に日本でIBOを開催するからにはなんとしても金メダルを取りたい、そして同時に若い世代の生物学や理数系科目への興味を喚起し、学力の底上げを図りたい - これが関係者の切なる願いだ。そのため、IBO 2009を主催する「国際生物学オリンピック 2009 組織委員会」は7月の開催に向け、「未来のダーウィンをめざせ!」と称したプレイベントを現在展開中だ。中高生に人気の高い女優の忽那汐里さんを「生物大使」に任命、3月には上野動物園の協力を得て、トークショウなどのイベントを開催している。

3月20日、小宮輝之 上野動物園園長から1日園長を任命された忽那汐里さん

総合研究大学院大学 先導科学研究科 教授 長谷川眞理子氏。ダーウィンの生家を訪ねたこともあるという自称"ダーウィンおたく"

3月20日、IBO 2009に参加する日本代表選手4名を応援するためのイベントが上野動物園で行われ、日本進化学会会長でIBO 2009の組織委員でもある長谷川眞理子氏が『ダーウィンの見たこと、考えたこと』をテーマに記念講演を行った。進化生物学、行動生態学を専門とする長谷川氏は、自らを「ダーウィンおたく」と称するダーウィン研究家でもある。「未来のダーウィンを日本から出したい」とする同オリンピック組織委員会だが、その目標とするダーウィンとはどんな人だったのか?

遺伝の法則を唱えたメンデルと並ぶ大生物学者として後生までその名を残すチャールズ・ダーウィン。その人となりをひと言であらわすなら「たぐいまれな幸運に恵まれた人」と長谷川氏は言う。その幸運とは「超が付く大金持ちの家に生まれ、働かなくても研究に没頭できたこと、多感な時期にすぐれた師に恵まれたこと、革命的なアイデアを潰されなかったこと」(長谷川氏)の3つだという。

医者だった父親の後を継いで自らも医者となるべくエディンバラ大学に進んだが、血を見るのが大嫌いで、すぐに向いていないと悟り大学を去る。ただ、「16歳という時期に"北のアテネ"と呼ばれる同大学で得たものは大きかったはず」と長谷川氏は分析する。急進的なラマルク進化論者で無神論者のロバート・グラントともここで知り合い、大いに影響を受けたという。

その後、牧師(貴族の子弟が就く職業だったらしい)になるため、ケンブリッジ大学のクライストカレッジに入学、寮では2フロアを自室として専有し、身の回りの世話や研究の手伝いをする執事も置いていた。もっぱら神学よりも幼いころから好きだった昆虫の研究などに没頭していたらしい。ここで、ジョン・スティーブンス・ヘンズローとアダム・セジウィックという素晴らしい師に出会えたことがダーウィンの生涯を決定づけた。

ダーウィンがその名を後生に残すきっかけとなった「進化論」が、ガラパゴス諸島を含むビーグル号での航海をベースにしていることは広く知られている。ビーグル号への乗船は、ケンブリッジ大学の恩師ヘンズローの紹介によるもので、その航海費用はすべて父親が出してくれた。「医者になるといってならない、牧師になるといってならない、そうやって海の真ん中でも金を使う気か!」と当初父親は相当怒ったらしいが、最終的には全額出費してくれた。そういったところに「ダーウィンの幸運があった」と長谷川氏は言う。

ビーグル号での航海はつらくきびしかったが、生物学者としては「この上ない幸運な体験をすることができた」(長谷川氏)ものだった。ガラパゴス諸島でのイグアナやマネシツグミとの出会いもそうだが、とくにダーウィンの考え方に影響を与えたのが南米で遭遇した大地震だった。英国は地質学上、地震が起きることがほとんどない。これまで"動く"などと思いもしなかった大地の震動を直に経験したことで、「地球は動く、世界は変わる」と実感した。このときの衝撃が「生き物はつながっている」という考えを形作ったという。

その後、「進化論」は科学界/宗教界を巻き込んだ大きな論争となったが、中世のガリレオなどのようにそのアイデアを根底から否定されることはなかった。その理由を長谷川氏は「ダーウィンが"いい人"だったから」と言う。「性格的にどこか憎めないところがあり、"この人なら、ま、許しておこうか"という気持ちにさせた。それくらい性格のいい人だった。かわりに数学の才能はまったくなかった。たとえば統計が取れない、遺伝頻度の計算ができない、さらに3:1という簡単な比例すらわからない。もしダーウィンに数学の才能があったら、メンデルを完全に超えていた」(長谷川氏)

長谷川氏は講演の最後、ダーウィンが説いた「種の多様性」について、「種は均質化されすぎていると進化しにくい。異質なものを含んでいるからこそ多様性が生まれ、いろいろな進化の可能性が生まれる」と述べ、IBO 2009の日本代表の4名に「ダーウィンは決して優等生ではなく、ある意味、変人だった。皆さんもいい意味で"変人"であってほしい」とエールを送った。

"未来のダーウィン"を目指すIBO 2009参加の4名。忽那さんの隣から、大月亮太さん(千葉県立船橋高等学校2年)、中山敦仁さん(灘高等学校1年)、谷中綾子さん(桜蔭高等学校1年)、山川眞衣さん(桜蔭高等学校2年)

おまけ1: 国際生物学オリンピックのレベル

生物大使の忽那汐里さんは「1問も解けなかった」という生物オリンピックの出題レベルだが、さて、あなたは以下に挙げる用語のうち、何語くらいを理解できているだろうか。

メンデル3法則、伴性遺伝、三点交雑、フェニルケトン尿症、二重らせん構造、開始/終始コドン、PCR法、スプライシング、鎌状赤血球

-「生物学オリンピック問題集―解説・公式ガイド付き」より「遺伝と細胞」から抜粋

高校でこんな難しい用語を習った覚えはない - かもしれない。だが、世界の高校生たちはこういった用語が頻出する教科書を使い、高いレベルの授業を受けている。日本の高校生の学力低下についてはさまざまなメディアが報じているが、おそらく日本人が思っている以上に、世界との学力格差は開いているのだろう。その差を埋めるべく、未来に期待をつなげるためにも、4人の代表選手の活躍に期待がかかる。

おまけ2: 「生物大使」忽那汐里フォトコレクション

3月20日、IBOのTシャツを身につけ、国際生物学オリンピックをPRすべく上野動物園の1日園長を務めた女優の忽那汐里さん。オーストラリア育ちのネイティブらしいきれいな英語で参加者に応援メッセージを送っていた。動物に対してまったく臆することなく、自然になじんでいた姿が印象的(さすが生物大使!)。その模様をほんの少しだけお届けする。