
BMSG所属の8人組グループ・MAZZEL、ソロインタビュー連載。「Maze=迷路」、「Zeal=情熱」、「Mazel=幸福」の意味を持つ「MAZZEL」のメンバーがどんな人生の迷路を歩んできたのか、それぞれのライフストーリーを聞いてきた。2024年3月から掲載スタートしたこの連載も、ついに最終回を迎える。ラストを飾るのは、KAIRYU。
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オーディション「MISSIONx2」の審査を終えてMAZZELのメンバーが発表される際、最初に名前を呼ばれたのがKAIRYUだ。その際、SKY-HI(BMSGの社長・プロデューサー)は「夢を目指すということの視座が一番ブレなかった」という言葉を彼に贈った。MAZZELは自分の夢や過去の悔しさから逃げずに生きてきた人たちの集まりであるが、KAIRYUは特別強い。このインタビューでは「逃げないというより、逃げられなかっただけ」という想像を超える言葉が語られている。
またKAIRYUは、歌謡曲とR&Bをルーツにした圧倒的な歌唱力を誇る。その歌力と「逃げられなかった」という言葉の背景にある、KAIRYUのライフストーリーを語ってもらった。
―みなさんに幼少期から今に至るまでの話を聞かせてもらっています。KAIRYUさんはいつ頃から音楽が好きでしたか?
小学生のときに徳永英明さんをテレビで見て……ということを、いろんなところでしゃべってきたんですけど、本当は……。
―本当は!?
本当は、徳永英明さんのモノマネをする英明(えいめい)さんを見たんです。英明さんが初めて『ものまねグランプリ』に出て優勝したときに徳永英明さんの曲を歌っていて、「なんて声だ」と思って。そこから徳永さんご本人のことも調べて、当時出ていたカバーアルバムの『VOCALIST』を全部買って聴くほどのめり込んだのがきっかけです。……実は英明さんから入りました(笑)。これを言ったのは初めてです。
―初出しの面白いエピソードをありがとうございます(笑)。そこからどういう流れで「自分も歌いたい」となっていったんですか?
小学生のときからそれなりに音程を取って歌うことはできていて、歌うことはずっと好きでした。アーティストを目指し始めたのは中3でK-POPに出会ってからですね。
―「それなりに音程を取れていた」というのをちょっと突っ込んで聞いちゃうと、学校で褒められていたとかですか?
いや僕、デビューするまで人前で歌ったことがなくて。お母さんは「めっちゃ上手いのに」って言ってくれていたんですけど。僕のクラスに歌の上手い子が1人いたんですよ。「賞総ナメ」みたいな子で、歌のコンテストもその子が代表で出ていたりしたので、「俺も上手いねんけどな」と思いながらも歌うのが恥ずかしいからずっと隠していて。「俺が出たら勝てる」と思いながら出ないっていう、ズルいことをしてましたね。歌の自信だけは小学校の頃からありました。
―自信を心の内に秘めていたんですね。お母さんの前だけでは歌っていた?
そうですね。家族の前で、徳永英明さんに出会ってからは、主に徳永英明さんがカバーしている歌謡曲を歌ってました。あとはCMソングをよく口ずさんでいたり。CMソングをすぐに覚えて歌うのが特技みたいになってましたね。
―KAIRYUさんの強みといえばR&B、ブラックミュージックを経由した歌で、それがMAZZELのボーイズグループとしてのユニークさのひとつになっていると思うんですけど、それはどういう流れで体得したんですか?
きっかけは、久保田利伸さんの「LA・LA・LA LOVE SONG」のMVを見たことですね。当時は「R&B」という概念も知識も全然なかったですけど、今思うと、ブラックミュージックに影響を受けている人たちの歌唱が好きでした。中学生の頃は、スティーヴィー・ワンダーや清水翔太さんにもハマったり。スティーヴィー・ワンダーに一番影響を受けているかもしれないです。歌が上手な人のアレンジに惹かれていたので、基本的に音源よりライブ映像が好きで、海外の歌番組とか、名前もわからないアメリカ人が地下鉄で歌っている映像をずっと見たりしてました。ソウルフルな歌い方が一番かっこいいと思っていたんだと思います。
―そこから中3でEXOに出会って、K-POPアーティストを目指すようになっていくんですよね?
そうですね。もともとお姉ちゃんがSMエンタテインメントを好きで、その影響で東方神起やSUPER JUNIORを聴いていたんですけど、EXOにハマって。中3のときに京セラドームであった『SMTOWN LIVE』に行って、その日から目指すようになりました。
―そのライブの何がそこまでKAIRYUさんを突き動かしたんですか?
京セラドームの近くのイオンもそのライブに合わせて装飾されていたり、「帰りの電車は混むから」ってみんな先に切符を買っていたり、何万人もの人たちが楽しみにしている状況がすごいなと。実際に会場入ったらスモークが焚かれていて、たった数人がステージに出てきたら歓声が上がって……というのが、もうかっこよすぎて。EXOはもちろん、SHINeeのジョンヒョンとf(x)のアンバーが特に刺さりました。応援する側もステージに立つ側もどちらも特別だと思うんですけど、自分は立つ側になりたいなって、その日に思いました。小さい頃から「目立ちたい」「すごいと思われたい」「褒められたい」という気持ちはめちゃくちゃあったんだと思います。
―目立ちたい気持ちも自信もあるのに、人前で歌うのは恥ずかしい、というタイプだったんですね。
おちゃらけたりするのは余裕でできたんですけど、かっこつけるほうの目立ち方が小っ恥ずかしくて。田舎の学校だったので、急にかっこつけて歌うとかが、自分には無理だったんですよね。今も友達がライブを見に来ると恥ずかしいです(笑)。ふざけてしゃべって笑ってるところしか見せてこなかった友達の前でかっこつけるのが、慣れてはきたんですけど、最初は恥ずかしかったです。
―中3からアーティストを目指すようになって、そこからはどういう日々を過ごしていたんですか?
最初はSMしか目指していなかったので、「アーティストになりたい」とかじゃなくて「K-POPアーティストになりたい」「SMでデビューしたい」と思っていて。京セラドームでライブを見た翌月から、日本でやっていたSMのオーディションを受け始めました。最後のほうまで残してもらうこともけっこうあったんですけど、「受かると思ったら無理やった」みたいな経験をしながら、結局学生のうちは受からず。高校を卒業してからようやく受かって渡韓しました。
―高校卒業までのあいだに「音楽の道は諦めて違う道に行こう」と考えることはなかったんですか?
それはなかったですね。中学のときは「中学を卒業するまでには(事務所に)入りたい」、高1のときは「高1のあいだに」、高2のときは「高2のあいだに」と思っていたんですけど、結局気持ちが強すぎてズルズルいっちゃって。いつまでも目指していた、という感じですね。
―MAZZELのメンバーに選ばれたときに日髙さん(SKY-HI)から言われた「夢を目指すということの視座が一番ぶれなかった」という言葉、そのままですね。
そうですね。ブレてほしいときもあったくらい、夢に執着しすぎてしんどかったです。それ以外をする自分が嫌で、しがみついてましたね。
BMSGのオーディションに挑戦した理由
―KAIRYUさんはBE:FIRSTを輩出したオーディション「THE FIRST」にも参加されていましたが、「THE FIRST」に応募したとき、環境やメンタル的にはどういう状況だったんですか?
当時いた事務所で自分が思っているような評価をなかなか受けられなかったり、いろんなことがあってつらい日々を送っていたんですけど、そこを退社することが決まって。そのあとまた同じところを受け直したり、違う韓国の事務所を受けたりしていたんですけど、コロナが始まっちゃって。事務所に入る前のほうが、事務所が近かった感覚があったというか。一回入って出ちゃったからこそ、入る前よりも遠いものになっちゃった気がしたし、自信だけを持ってやっていたのにそれが閉ざされて、しんどかったですね。
―それはかなりデカい挫折だと思うんですけど、その悔しさから逃げなかったのが、KAIRYUさんの強さですね。
逃げなかったというか、逃げられなかっただけで。ここまで来ちゃったら他にできることもないし、やりたいのはこれだけやし。今思えば、屈強な精神力があるから逃げなかったとかじゃなくて、他のことをしている自分を想像するほうが怖くて、目指しているのが一番楽だったのかもしれないです。
―いろんなアーティストを取材していても、そういう境地に立っている人の強さは尋常じゃないなと思います。
本当ですか。特にボーイズグループは、(夢を叶えるまでの)タイムリミットがないようであるのが現実なので大変でしたね。
―K-POPアーティストを目指していた中で、何に惹かれてBMSGのオーディションにトライしようと思ったんですか?
「THE FIRST」に関わるプロデューサー陣にChaki Zuluさんとかがいるのもデカかったです。「YENTOWNの人がボーイズグループのオーディションのプロデューサーとしておんの?」みたいな。それはもちろんSKY-HIがやるからこその色だなと思って、初めて「日本でやりたい形のグループができるかも」って思いました。ずっと目指していたのは「アイドル」だったんですけど、なかなか夢を叶えられなくて歳を重ねるうちに好きな音楽も変わっていって、それこそSM以外は食わず嫌いの状態だったのが、韓国のK-R&Bにハマったりして。ちょうどEXOのソロ活動が増えて、僕の推しのD.O.やBAEKHYUNがそういう音楽をやっているのを見て、ボーイズグループでありながらも自分のやりたい音楽ができるようなところがいいなと思い始めたときに、BMSGを見つけて「ここしかない」と思ったんです。
―2020年から、個人のアカウントでVaundy、Suchmos、星野源などのカバー動画を上げていたじゃないですか。そのときは、自分がやりたい方向性を模索しているような時期だったんですか?
韓国から帰ってきて、コロナも始まって、オーディションもなくなっていたときに、「ソロでプロデュースしてあげる」と声をかけてくれた事務所があったんです。そこで話を聞いたりして、それまでは複数人いる中のメンバーとしての自分しか考えてなかったのが、「もしかしたら1人でも歌に価値を感じてくれる人がいるのかもしれない」「ソロでもいけるのかも」と初めて思えて、ちょっと前向きになれた瞬間でした。
―それは大きな希望の光をもらった感覚になりますね。
あのときはそうでした。初めてそういう評価をもらって、ちょっと気持ちが軽くなりましたね。でもその話のために東京へ行って、兵庫に帰ってきて、家のリビングのソファーで「最後に1回だけ、オーディションがないか調べてみよ」と思ったらavexのホームページに「THE FIRST」が出てきて……最後のつもりで応募したという感じです。
―そこで最後の希望だと思って応募した「THE FIRST」の3次審査で落ちたときは、どういう気持ちでした? この取材の前に映像を見返していたんですけど、日髙さんに結果を告げられるとき、すごい顔してましたよね。
すごい顔してましたね(笑)。誰に対してなのかはわからないですけど、それこそ怒りもありましたし。本当にお先真っ暗な状態。審査中、自信がないわけではなかったんですけど、「もしかしたら今回はまた受からないかもしれない」という肌感はあって、漠然と不安を抱えながら結果発表を迎えた感じでした。SMもBMSGもダメで、もし今後夢を叶えたとしても、そこはもしかしたら自分が本当にいたいところではない可能性が出てきてしまって、もう絶望でしたね。
―ソロに傾いた瞬間もあったけど、やっぱりグループだ、という気持ちがあったということですか?
そうですね。「THE FIRST」に落ちて、どうしようかなというときに、BAEKHYUNの「Bambi」という曲が出たんですよ。それがかっこよすぎて、また諦めきれない素材になったというか。グループで活躍している上でのソロ曲であり、ソロもできるグループの人だということに、やっぱり惹かれました。あとは少し現実的な話をすると、ソロよりグループの方が見てくれる人が多い場合もあるし、それこそおしゃべりも好きなのでバラエティに出たりラジオ番組を持ったりしたいし、自分が描いている未来像や夢が「グループの自分」に詰まっているように思えてしまって。それで諦めきれずに、ダンスもイチから学ぼうと思ってスクールに通い始めました。
―今思うと、「THE FIRST」を受けたときは何が自分に足りなかったのだと思いますか? 何が肌感で「違うかも」ってなっていたのでしょう。
当時はあまりよくない方向での自信ばかりを持っていたんだと思います。「自分には歌があるし」とか、ダンスも自信がないわけではなかったので「やっていけば」くらいに思っちゃっていたというか。いつまでも自分がたまたま持っている才能だけに縋っていても痛い目に合うなと思って、スクールに通い始めました。
―その時期にBMSGのホームページで募集しているのを見て、また応募した、という流れですか?
落ちてすぐくらいから「随時募集してます」と書いてあるのは見ていたんですけど、当時はギラギラしていて、プライドもあったので、「違うところで成功して、(BMSGに)あのとき取っておけばよかったなって一瞬でも思ってもらえたら」くらいのことをモチベに頑張っていたんです。でも、そのスクールが「自分のスタイルとは合わないな」と思う部分も多くて、そのスクールの事務所がやっているオーディションにも参加していたんですけど、「やっぱりBMSGじゃなかったら嫌だな」と思うようになって。社長(SKY-HI)とは連絡を取っていて、そのオーディションがどんどん進んでいったときに「電話させてください」って言って、普通に考えたらありえないんですけど「受かったらそっちに行くしかないけど、本当にほしいんだったら早く言ってください」という話をしたら、「ほしい」と言ってもらって。そのあとすぐに上京しました。社長もアーティストで、エンタメの世界で芽が出ることや生き残ることがどれだけ難しいかを知っている人なので、正直に話しましたね。
―そこまで腹割って話したからこそ、日髙さんと本気の話し合いができたということですよね。その行動力も、自分の夢に対してブレない気持ちの強さの表れだなと思います。そのあとオーディション「MISSIONx2」があって、メンバーに選ばれるかどうかが確定していなかった中で、最終的にMAZZELのメンバー決定の際に最初に名前を呼ばれたときはどう思いました?
いよいよ始まって答えが出ちゃうな、という不安とか恐怖が一番大きかったですね。
―恐怖?
夢を目指しているあいだは、いつまでも夢を語っていられるわけで。デビューが決まったら、ずっと描いていたものがいよいよ現実になって、これで生活をしていくことになる。そういう緊張感がありました。「デビュー」が夢だったことは1度もなくて。デビューしたあとに自分のなりたい像に近づいていかなければならないので、「よし、デビューできた。夢が叶った」という気持ちではなかったですね。「やっと夢がちゃんと始まる」くらいの感じでした。
―本当にKAIRYUさんは、夢や理想から目を逸らさない人ですね。
自分が思うかっこいい自分でいる。言葉で言うのは恥ずかしいですけど、ずっとそれをモットーに生きていますね。
「夢が始まるのはデビューのあと」迷いも恐れも超えて
―ここからは実際にMAZZELになってからの話を聞ければと思うんですけど、自分のボーカル力でグループを引っ張るんだという自覚は、いつ頃からありました?
オーディションの段階から、これからもここでずっとやっていくという気持ちだったので、「歌で秀でたい」という気持ちはその頃からありました。
―ソングライター・ALYSAさんが「Parade」の制作エピソードとして、「他のメンバーもKAIRYU先生の歌に追いつこうと実力を伸ばしている中で、KAIRYU先生はさらに先を行こうとする」ということを本誌のインタビューで語ってくれてました。「Parade」のドキュメンタリーには、他のメンバーのレコーディングのときにブースに一緒に入ってサポートしているシーンが映っていましたけど、それは今もよくやっているんですか?
最近はいろんな人とコミュニケーションを取ることで各々がより自分に合うパートをもらえる曲作りができるようになったので、自分が入ることはあまりないですね。今より発展途上だったときは、自分の歌が力になれるかもと思って入ってました。
―先月リリースされた、KAIRYUさんとAile The Shotaさんの曲「Candle」もめちゃくちゃいい曲ですね。
めっちゃいい曲ですよね! ショウちゃん(Aile The Shota)とは好きなものが近かったりするので、リファレンスを色々出して、その場で作り上げていった感じでした。初めて自分もがっつり制作に入ったので、気持ちよく歌えましたね。(Aile The)Shota節な、ちょっと後ノリで乗るのは苦手だったりして、それは「Memoria」(「BMSG MARINE」名義でリリースしている、Aile The Shotaがプロデュースを手掛けた曲)でも苦戦したんですけど、今回も頑張りました。ショウちゃんがいろいろ教えてくれて、めちゃくちゃいい時間でした。
―これはみんなに聞いている質問ですが、KAIRYUさんの中で、MAZZELに入ってから一番のターニングポイントは?
どこだろうなあ……目指しているところが変わったことはないですね。「アリーナに立てて嬉しい」「初めてMUZE(ファン)に会って喜びを感じられた」とかはもちろんあっても、デビューしてから何かがブレたことはないので、ターニングポイントはないかもしれません。……申し訳ないです(笑)。
―いやいや、名アンサーです。目指す場所も、自分の視座の高さも、ずっと変わってない証拠ですよね。自分の歌に関して、「ここでさらに覚醒できたな」と思う楽曲はあったりしますか?
それこそALYSAさんの曲をたくさんやらせてもらったことが、自分の歌唱力が上がった理由だと思います。異次元に難しいラインをいっぱい挑戦しまくった結果ですね。「Parade」の高いラインとかも、レコーディングではてこずったのに、今は毎回ライブで平気でできるようになっています。しかも毎回海外の人が歌っているデモがくるんですけど、それが半端じゃないので「その人 vs 自分」みたいな感じで、食われないように、なにより僕らが歌ったものを聴いて「やるやん」って絶対に思ってもらえるように、というのが基準で。海外の圧倒的に上手い人と戦い続けたことで成長したと思います。何事も上を見なきゃ成長しないと思うので、明らかに格上を自分の敵にしてやっていました。
―「悔しさから逃げないんじゃなくて、逃げられないんだ」という精神が、全部の行動と結果につながっているんですね。
そうですね。「教訓」という言葉は、なくてもよかった過去をどうにか正当化するための言葉だと思っていて。「苦しいだけの日があったから今がある」みたいな綺麗事を言うけど、「いや、ないほうがよかったやろ」と思うくらいのしんどい経験なんていくらでもあって、それをできるだけ薄めていきたい。それを無意味な日々には絶対にしたくない。そのためにいっぱい成功経験をして、もっとかっこいい自分に近づいていきたいなと思っています。まだまだ遠いですけど、そのためにやっているという感じですね。
「僕にとってMAZZELは、自分の才能を放出する場所」
―KAIRYUさんの夢に向かい続ける強さの理由を、今日はたくさん見せてくれてありがとうございます。この連載が始まったのは2024年3月で、この1年はMAZZELにとってポジティブな変化が多かったんじゃないかというふうに見えているんですけど、KAIRYUさんから見てどうですか?
1年の中でめちゃくちゃ落ちた時期もありましたけど、EP『Royal Straight Flush』は自分たちのやりたいことや、今の自分たちが出せる一番いいものを出せた気がします。「あまり結果が出なかった」「思ったよりかっこよくならなかった」とかいろんな経験を積んだからこそ、こういう作品を出せたのだと思います。ここ1年というより、2025年に入ってここ数か月で、そういう作品を出せたり、それが直接的に数字につながったりしているなと。残酷な話ですけど、結果が一番自信につながっちゃうので。結果のせいで自信を失うこともあるけど、今は聴いてくれる人が決して遅すぎないスピードで増えている感覚がありますね。オーディションバズが大事になってしまっている時代に、別にそういうものがあるわけじゃなかった僕らがどこまで行くかというのは、シーンにとっても、BMSGにとっても、意味のあることだと思うんです。ちょっとモヤモヤした時期はあったんですけど、そんなことを思っていても仕方ないので、今は「MAZZELがこういうことをやったら絶対にかっこいいやん」ということを一番に考えてやってます。
―『Royal Straight Flush』の5曲の中で、楽曲の内容や数字的な部分も含めて、一番手応えが強いものはKAIRYUさんの中でどれですか?
「J.O.K.E.R.」を出して、いい幸先を切れたと思います。強みを詰められた曲で、そこでちゃんと「いいね」って言ってくれる人がガッと増えた感覚がありますね。「J.O.K.E.R.」は、僕らのアイコンみたいな曲になってくれたらなと思います。
―「J.O.K.E.R.」はMAZZELの世界観も、8人それぞれの声やダンスの特徴も、ルーツも、わかりやすく伝わる表現がされている曲とMVだったんじゃないかなと思っていました。
ありがとうございます。
―MAZZELの成功を通して「オーディションバズじゃなくても、こうやってグループが輝けるんだよ」ということを音楽業界に示す意味も、たしかに大きいですね。
そうなりたいし、そうなったときにBMSGの進化をもう1個、僕らが証明できるのかなと。それができると、僕らだけじゃなくてBMSGにとってもデカいんじゃないかなと思っています。
―KAIRYUさんは、R&Bで夢見る次世代の子たちにボーイズグループで輝ける方法を教えているという意味でも、希望の存在なんじゃないかなと思います。
それも大きな夢ですね。「THE FIRST」を落ちたとき、ポジティブな意味で、「ソロのほうがいいじゃん」みたいに言ってくれる人がいたんですけど、ソロができるくらいだからグループに行きたいんですよね。そこは韓国と日本でイメージの差があるのかもと思いました。今までだったらソロを目指したような子が自分を見て、「歌えるからグループに行こう」と思ってくれたらめっちゃ嬉しいです。
―これもみんなに聞いていることですが、今、KAIRYUさんにとってMAZZELはどんな居場所になっているといえますか?
「仲間」とかは当たり前として、ここがなかったら自分の価値を証明することもできないので、「自分の才能を放出するところ」ですかね。
―この先MAZZELとして描きたい夢を、KAIRYUさんはどのように想像していますか?
去年、デビューから1年半も経たないうちにアリーナ公演を4日間できたことは、めちゃくちゃすごいと自負していて。今回っているホールツアーは去年より公演数を増やして、最後は去年の会場より大きい有明アリーナですけど、それを余裕持ってクリアできると、アリーナツアーが見えてくると思います。アリーナに立ってからMAZZELの価値が上がったことを、すごく感じたんですよね。ということはアリーナツアーを回ったら、自分たちがどうなれるのか、周りからどう見てもらえるかということが、また1個上がると思ってます。なので目の前の目標としては、「次はアリーナツアーができるな」と思えるホールツアーにすることですね。
―個人としてやりたいことや叶えたい夢はありますか?
自分が持っているもの全部使い切りたいです。自分ができることをとにかく全部やりたい。ラジオという夢は1個叶いましたけど、芸能が好きなのでマルチに活躍したいです。グループが活動すればするほど、個人の活動に直結してくると思うし、それがまたグループに戻ると思う。みんながそれぞれのタレント性をどんどん発揮できるように、グループの人気の底上げをしていきたいなと思います。周りのスタッフはもちろん、MUZEも、「もっともっと」という歯がゆい気持ちや悔しいことを経験していると思うんですけど、そういうのを全部跳ね返せるように頑張りたいので、変わらず応援していただけたらなと思います。大きくなるためには、今応援してくれている人が今後もいてくれることがマストだと思うので。
―さっきおっしゃったように1年半でアリーナ4日間できるって、音楽業界を見渡してもかなり「成功」と呼べるものだと思います。そこで満足しないのがMAZZELで。この連載を通して、MAZZELに入るまでの「Maze=迷路」を「Zeal=情熱」で駆け抜けて「Mazel=幸福」を手にしてきた8人のライフストーリーを聞かせてもらいましたけど、この先もその循環を繰り返して、次の理想や幸福を追いかけ続けるのだろうなと想像します。その過程を包み隠さず表現に昇華しているのがMAZZELですね。
何をしていても焦る要素や横を見ちゃうことがあると思うんですけど、事実ベースだけで考えたときに、誇っていい結果はいっぱい出していると思います。ただ「アリーナ、ドームが埋められるアーティスト」ではなくて、誰が見ても「そりゃそこに立てるよね」って思われるような、アリーナとドームが似合って仕方がない人になりたいです。
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『Royal Straight Flush』
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01. King Kila Game
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03. Im yours, Youre mine
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05. HERO SUIT
https://mazzel.lnk.to/Royal_Straight_Flush
「MAZZEL 2nd One Man Tour 2025 ”Royal Straight Flush”」
5月28日(水)福岡・福岡サンパレス
お問い合わせ先:キョードー西日本 0570-09-2424 (月〜土 11:00〜15:00)
5月30日(金)広島・広島文化学園HBGホール
お問い合わせ先:YUMEBANCHI(広島)082-249-3571(平日12:00~17:00)
6月2日(月)香川・レクザムホール 大ホール
お問い合わせ先:デューク高松 087-822-2520(平日11:00~17:00)
6月11日(水)・12日(木)愛知・Niterra日本特殊陶業市民会館フォレストホール
お問い合わせ先:サンデーフォークプロモーション 052-320-9100(全日12:00-18:00)
6月19日(木)・20日(金)大阪・大阪国際会議場 メインホール
お問い合わせ先:キョードーインフォメーション 0570-200-888 (12:00-17:00 土日祝休業)
8月23日(土)・24日(日)東京・有明アリーナ
お問い合わせ先:クリエイティブマン 03-3499-6669 (月・水・金 12:00-16:00)