
米人気コメディアンによるNetflix新作『マイク・バービグリアの幸せって、めんどくさい!(原題:The Good Life)』が5月26日より配信開始。ニューヨークのビーコン・シアターのバックステージから編集室の中まで、その舞台裏に迫る。
バーでひとり語るように
20代の頃、コメディアンであり、映画監督であり、俳優でもあるマイク・バービグリアは、「演劇的なシンプルさ」に惹かれてギターを習い始めたという。「バーにふらっと入って、それだけで…ショーになるような人たちにはずっと憧れてたんだ」と彼は語る。事前の技術的な準備が不要という考え方が気に入ったのだ。サウンドチェックもなし、共演者もいない。「僕がいて──それがショーなんだ。今回の作品は、それに一番近い気がしてる。バーに入ってきて、”マイクが話を聞かせてくれるらしいよ”ってなる、そんな感じなんだ」
「今回の作品」とは、バービグリアによる新作ワンマンショー『The Good Life』のことだ。そして制作という観点では、バーで物語を語るスタイルとは比べものにならないほど大がかりなものになっている。何より、ここはバーではなく、マンハッタンにあるビーコン・シアターなのだ。ロココ調の装飾、フレスコ画風の壁画、そしてどこを見てもベルベットに包まれた、約3,000人を収容する華やかな劇場である。それでもバービグリアの言う通り、『幸せって、めんどくさい!』はあくまでも「ひとつの物語」だ。公演初日の夜、筆者はバービグリアがその物語を語る準備をしているバックステージで彼に出会った。
ビーコン・シアターに到着すると、首からラニヤードを下げた男が、まるで大学のキャンパスツアーガイドのような熱っぽさで出迎えてくれた。名前はゲイリー。彼に導かれ、私たちは一緒に4階分の階段をのぼる。そしてたどり着いた先で、ひじ掛け椅子に腰を下ろし、環境に優しい容器からサラダを食べているマイク・バービグリアの姿を見つけた。プロデューサーのひとり、メイベル・ルイスはスマートフォンに目を落としている。「ジャック」という人物から届いたメッセージを読み上げる。「到着予定は5時59分、ピエロの顔文字付き」。開演は6時だ。
バービグリアはまったく気にする様子もなく、サラダをぽりぽり食べ続けている。妻のジェン・スタインは部屋の向こう側でラブシートに座り、穏やかな空気を放っている。彼女は詩人で、その佇まいからして詩人らしい。立ち上がって、バービグリアのマグカップにミネラルウォーターを注いであげる。彼が言うには、「ジャック」とは音楽プロデューサーのジャック・アントノフのこと。バービグリアとは親友であり、これまで多くの作品で音楽面の協力もしてきた仲だ。ふたりが出会ったのは2013年のボナルー・フェスティバルで、バービグリアはその体験を「音楽付きの戦争みたいなもんだった」と笑って語る。そして、まるで私がジャック・アントノフのことを知らないとでも思っているかのように、その経歴を一気にまくしたてるのだった。
他人を褒めまくること、それはバービグリアの得意技だ。今夜の公演の前後にわたって彼と過ごした数時間のあいだ、彼はさまざまな人々について絶え間なく語り続けた。しかもそのリストは一部に過ぎない。たとえば:階段を案内してくれたゲイリー・サイモン──バービグリアのプロデューサーのひとりであり、自身もスタンドアップ・コメディアン。スマートフォンを操作していたプロデューサーのメイベル・ルイス。ブロードウェイの舞台美術家ビオウルフ・ボリット。劇中にバービグリアの背後に垂れ下がる牧歌的な背景幕を手がけた美術家イリーナ・ポートニャギナ。ドラマ『セヴェランス』で編集を担当した人物を”貸してくれた”というベン・スティラー。その編集者ジェフリー・リッチマン。長年のコラボレーターであり、代表作のワンマンショーや2012年の長編映画『スリープウォーク・ウィズ・ミー』でも共に仕事をした演出家セス・バリッシュ。バービグリアのポッドキャスト『Working It Out』や今回の新作でエグゼクティブ・プロデューサーを務めている実の兄ジョー・バービグリア。『サタデー・ナイト・ライブ』のベン・マーシャル——彼とはアップライト・シチズンズ・ブリゲード・シアターで『Please Dont Birbiglia』という即興ショーを共に手がけている。そして、今夜のアフターパーティーのためにケーキを焼いた人までもが、彼の称賛の対象なのだ。
そんな彼が、決して褒めない相手がひとりいる。それは自分自身だ。
『幸せって、めんどくさい!』は、5月26日から配信開始となるバービグリアにとって6作目のスタンダップ・スペシャルであり、Netflixとは4作目のタッグとなる。3月にビーコン・シアターで行われた6夜連続公演(ロサンゼルスのラルゴでの4公演に続く、東海岸での公演)のうち、3回分が収録対象となり、バービグリアが称賛していた制作チームが、その映像をわずか数週間でスペシャル番組として編集し上げるのだ。だが、初日の夜にはカメラは入っていない。日曜日の、やや早めの時間帯に行われるライブ。客席を見渡すと、淡い色のセーターを着た白人客が多く、みんな「今夜は常識的な時間に帰宅できそうだ」と思っている雰囲気だ。オープニングアクトとして登場したコメディアン、ハサン・ミンハジはそんな観客について、「LinkedInっぽさ全開のエネルギー」と形容していた。
バービグリアは、まるでセットの中からそのまま舞台に歩み出てくるかのようにステージに立つ。彼はこの1時間のショーを、シンプルにこう呼んでいる──「僕と娘と父親についての話」(Photo by Cole Wilson for Rolling Stone)
バービグリアは、ポートニャギナによる壮大なハドソン・リバー派風の油絵のフレームをくぐり抜け、舞台の中央へと歩みながら、その絵を感慨深げに見上げる。その舞台美術は、まさに今のバービグリアのキャリアを象徴しているようだ──派手さはなくとも野心的で、すべては”実行”にかかっている。マイクが、ひとつの物語を語る──それだけのことなのだ。
『The Good Life』というタイトル(原題)は、バービグリアの9歳の娘、ウーナとのある出来事に由来している。ある日、学校の帰り道、ブルックリンの自宅近くで彼女がふと足を止めたのは、「The Good Life」という名の大麻ショップの前。彼女は父に尋ねた──「ねえパパ、”The Good Life”ってなに?」バービグリアはこの作品を、「自分と娘と父親についてのショー」だとシンプルに説明する。そして確かに、ある意味でそれは正しい。 『The Good Life』(『幸せって、めんどくさい!』)が描くのは、ごくありふれたことばかりだ。大人になること、結婚すること、子どもを持つこと。その子どもが成長していく様子を見守ること。子どもから、過去の薬物使用について自分と妻に突っ込んだ質問をされること。子どもが「アーバン・エア」なる、名前からしてろくでもなさそうな室内ジムで腕を折ってしまうこと。親の老いを見つめること。そして、自分自身の老いにも向き合うこと。
だが、これが「ただそれだけの話」だと言ってしまうのは、カール・オーヴェ・クナウスゴールの著書を「ノルウェーについての話」と言うようなものだ。『幸せって、めんどくさい!』は、見事に語られる素晴らしい物語である。そしてそれを形にするために集められたチームとの仕事からバービグリアが感じている明らかな喜びも含めて、このショーは、タイトルに込められた問い──”The Good Life(よき人生)とは何か?”──へのひとつの答えを提示しているように思える。
バービグリアを一躍有名にした作品『スリープウォーク・ウィズ・ミー』は、激しくドラマチックな内容だった。珍しい睡眠障害の診断を受けたことが中心テーマで、深夜にホテルの2階の窓から飛び出してしまうというエピソードまで盛り込まれていた。それに対して『幸せって、めんどくさい!』は、バービグリア自身と同じく、一見すると控えめで、しかしその実とても奥深い作品だ。演出を手がけたセス・バリッシュとバービグリアのふたりともが、『幸せって、めんどくさい!』を彼のキャリアのなかで最もパーソナルな作品だと認めている。「奇妙な話だけどね」とバリッシュは語る。「だって普通、”窓から飛び出す話”のほうがよっぽど個人的だと思うじゃない?」2017年のスペシャル『The New One』(邦題:マイク・バービグリアの新しい世界!)、そして2022年の『Mike Birbiglia: The Old Man & The Pool』(邦題:マイク・バービグリアの老人と…プール!?)と合わせて考えると、『幸せって、めんどくさい!』は、まるで三連祭壇画の最後のパネルのようでもある。それは彼の中年期という人生のプロットを描いているだけでなく、語り手としての圧倒的な表現力の軌跡をも物語っている。
「デイヴィッド・セダリスが言ってたことなんだけど、ストーリーテリングについての良い視点があるんだ」とバービグリアは語る。「話を語り始めたばかりの頃は、素材になる話がたくさんあるから、面白い話ができる。でも、続けていくうちに”語り方”がうまくなるんだよね」
見ず知らずの人から笑いが生まれるか
マイク・バービグリアに対して「父親っぽさが染みついている」と言っても、彼は気を悪くしないだろう。彼のコメディに登場するバービグリア像は、ブルックリン在住の中年の父親。慌ただしくも一生懸命に、どこか居心地の悪い世界をなんとか生き抜こうとしている姿だ。もちろん、家庭での出来事をネタにしているという点もあるが、それだけではない。
2018年の舞台『The New One』(チェリー・レーン・シアター上演)について、ニューヨーク・タイムズが「テディベア体型」と評したように、見た目の柔らかさもその要素の一つだろう。また、『幸せって、めんどくさい!』で語られるジョークのひとつに、長年ナイトクラブ業界で働いてきたにもかかわらず、「一度もコカインを勧められたことがない」という話がある(ちなみにこれは事実らしい)。「その話をすると、たいてい『どういうこと?』って驚かれるんだよ」と、どこか自分の”堅物さ”に敬意すら抱いているかのように彼は笑う。「信じられないって顔されるよ」
バービグリアはよく、自分を「ぐずぐずして問題を中途半端にしか解決できない人間」として描くが、実際に彼のステージを見ていると、それを過剰に演出する気はなさそうだと感じられる。ジョークを語るとき、彼はしばしば数インチ先の床を見つめ、ポケットに手を入れながらぽつりぽつりと話す。そしてやがて、ゆっくりと顔を上げ、観客を見渡しながら、横に少し傾いた明るい笑みを浮かべる──その姿は、他の誰かならうぬぼれた印象になりかねないが、バービグリアの場合は、ただ「心から楽しんでいるように」見えるのだ。彼はむしろ、観客にとっての「頼れる親」のような存在だ。その安心感に満ちた関係性は、自然と観客とのあいだに”安全な愛着”を育んでいるようにすら見える。
ステージに向かう途中でもメモを読み返す──「バービグリアは常にネタを練り直している」とプロデューサーたちは語る(Photo by Cole Wilson for Rolling Stone)
また、バービグリアの中には、「しっかり働くことには価値がある」という、いかにも”父親らしい”信念も見てとれる。その姿勢がもっともよく表れているのが彼のポッドキャストだ。彼が敬意を抱くコメディアンや、これまで一緒に仕事をしてきた、あるいは指導してきたコメディアンたちと一緒に、舞台裏の話を語り合う番組である。彼は、まだ無名に近い若手コメディアン(少なくとも現時点では)を積極的にゲストに招いており、最近ではサイモンズも出演した。その一方で、スティーヴン・コルベア、ティグ・ノタロ、セス・マイヤーズといった大物とのトークも日常茶飯事だ。
彼らはマイクの前で、ジョーク、そして時に「人生」そのものについても一緒に練り上げていく。その空間は、コメディアンやライターにとって心地よい「着地点」のような場所であると同時に、優れたネタを生み出すために必要な厳密さも決して損なっていない(たとえば『Working It Out』の5月のエピソードでは、Please Dont Destroy(コメディグループ)のベン・マーシャル、ジョン・ヒギンズ、マーティン・ハーリヒーが「バービグリアがInstagramを使えるなんて信じられない」と冗談交じりに言いながら、『サタデー・ナイト・ライブ』のジョークのライフサイクルについて真剣に語り合っている)。その語り口はどこか親しみがあり、思わず聴き入ってしまう魅力がある。
公演終了後、バービグリアの親しい仲間たちはビーコン・シアターの地下にあるレセプション会場へと集まる。ライトビール、電飾、ピザ、そしてショーの中のジョークにちなんだケーキ。まるで、大人数で忙しくしている友人の誕生日パーティーのような雰囲気だ。バービグリアは「友人の98%はコメディアン」と語るが、この地下の光景を見る限り、それはやや誇張があるかもしれない。彼は「普通の友人」たちも多数招いていた。たとえば、彼が娘を連れて行く公園で出会ったロブ・”ブロッコリー・ロブ”・マイヤー。彼は番組中でもちょっとした言及がある人物で、「呪われたアーバン・エア」での出来事は、ブロッコリー・ロブの子どもの誕生日パーティーでのことだった。とはいえ、会場にはキ―ガン=マイケル・キー、ボブ・オデンカーク、アイラ・グラスといった大物の姿もちらほら見えた。
バービグリアは、レセプションの場でも仕事の手を止めない。彼はクルーの一人に、「なぜハサン・ミンハジのオープニングで客席の照明があんなに明るかったのか」と確認する。そしてベン・マーシャルとは、水曜夜の公演について話し合っている。その日はマーシャルが”シークレット・オープナー”を務める予定なのだ。
キャリアの初期にあるコメディアンたち──少なくともバービグリアと関わる面々は──筆者をわざわざ呼び止めて、彼がいかに献身的で親身な人間かを熱心に語ってくれる。プロデューサーのサイモンズは、同じ母校であるジョージタウン大学のスタンドアップ・コンテストで優勝したのをきっかけに、思い切ってInstagramのDMでバービグリアに連絡を取ったのだという。ちなみにバービグリアも、23年前、同じコンテストに大学生として出場し、優勝していた。その連絡に対して、バービグリアは「コーヒーでも飲もうか」と返し、さらに「週に何時間か手伝ってくれないか」と仕事まで提案してくれた。そして1年後には、サイモンズがツアーの前座として、5分間の持ち時間をもらいステージに立つまでになっていた。
バービグリアと演出家のセス・バリッシュは、『The Good Life(幸せって、めんどくさい!)』をこれまでで最もパーソナルな作品だと語っている。(Photo by Cole Wilson for Rolling Stone)
ルイスがバービグリアのもとで働き始めたのは、彼女がまだ17歳のときだった。「彼にメールを送って、『あなたのことが大好きで、夏の間だけでもあなたのドライクリーニングを運ばせてください』って頼んだんです」と彼女は語る。それからまもなく、ルイスは『The New One』の上演会場であるチェリー・レーン・シアターの天井裏を、まるでブルース・ウィリスばりに這い回ることになる。彼女の担当だったのは、作中でもっとも演劇的な瞬間──バービグリアのまわりにぬいぐるみやおもちゃがどっと降ってくるという場面の仕掛けだった。
プロデューサーのサイモンズによると、バービグリアは少人数のチームでの打ち合わせを、一種の「オープンマイク」として捉えているという。チームには、兄のジョー・バービグリア、サイモンズ、ルイス、そしてもうひとりのプロデューサー、ピーター・サラモーンがいる。彼らの前で新しいネタを試し、フィードバックをもらう場なのだ。
ルイスがその一例を教えてくれた。ビーコン・シアターでのショーの数週間前、バービグリアはその晩コメディ・セラーで試そうとしていたジョークをサイモンズとルイスに披露したという。サイモンズはその様子を「まるで”売り込み”みたいだった」と話している。「彼は『これどう思う?』って言ってきたんですよ」。そのジョークは、「友人があまりにもハイすぎて何も覚えていない」というネタで、その友人が「マイクロドージング(少量摂取)してるんだ」と言い訳する、というものだった。
ルイスはそのオチをこう要約する──「マイクが言うんです。『いや、それはマイクロじゃないな……むしろマクロドージングだよ……いや、むしろオーバードーズだろ』って」ルイス自身はあまりそのジョークに乗り気ではなかったが、サイモンズは気に入っていたので、バービグリアはそれを実際に観客の前で試すため、コメディ・セラーへ持っていったのだという。
バービグリアは「ザ・セラー(The Cellar)」でのパフォーマンスをこよなく愛している。それはこのクラブ自体が好きだからという理由もあるが、もう一つの理由は、観客の多くが観光客で、自分のことを知らない人がほとんどだからだ。「今や”ニューヨークの観光名所”みたいなものなんだよ」と、彼は心から嬉しそうに語る。「チケットを持っていない人でさえ、店の前に来て写真を撮っていくくらいなんだ」。観客たちは「特定のコメディアン」ではなく、「スタンダップ・コメディという概念」を体験しに来ている。それゆえに、バービグリアは自分のジョークに”真の跳ね返り(true bounce)”があるかどうかを見極めることができる──つまり、見ず知らずの人から自然に笑いが生まれるかどうかだ。ツアー中の公演だと、観客の多くは彼の熱心なファンであることが多く、その笑いは必ずしもジョークの純粋な力によるものとは限らない。だからこそ、「マクロドージング」のジョークがビーコン公演で採用されたということは、それが”本当の跳ね返り”を得た、つまり観光客相手にもちゃんとウケた証拠なのだ。
「バービグリアがネタの試作段階を”ごく親しい仲間だけ”に留めることも、たまにあるんです」とルイスは言う。「でも、それはむしろ例外で、たいていは”話を聞いてくれる人なら誰にでも”試すんですよ。ときどき私、心の中で思っちゃいますもん。『なんで工事業者さんにネタの話してるの?』って(笑)」
ストーリーテリングの精度を追い求めて
初日の公演から3週間後。バービグリア、演出家のバリッシュ、編集者のリッチマンの3人は、ニューヨークのファイナンシャル・ディストリクトにあるスタジオに集まり、あの「友人がハイになりすぎた」というジョークから「マクロドーズ」という言葉を削るべきかどうか、真剣に議論していた。
最近、彼らはフォーカスグループ的なセッションを開いた。参加者のほとんどが「友人の友人」といった関係で、バービグリア本人やその作品について何の予備知識もない人たちだった。目的は、未編集版の『幸せって、めんどくさい!』を見てもらい、「真の跳ね返り」がどこで起こるかを確認すること。そして今、彼らはその結果をもとにメモを照らし合わせながら、Netflix用の編集作業を進めている。編集者のリッチマンは、巨大なデスクの上に並ぶ2台の大型モニターの後ろに座り、さらにその上には未編集映像を映し出すさらに大きなスクリーンが設置されている。まるで、ラ・キンタ・イン(全米チェーンの中級ホテル)のビジネスセンターが、飛行機のコックピットに進化したかのような光景だ。
バービグリアは部屋の隅にあるグレーのオットマンに腰を下ろしている──明らかに部屋の中で最も座り心地の悪そうな椅子だが、彼は「いや、これ、実はすごくいいんだよ」と言い張っている。私にはおそろいのグレーのソファをすすめてくれた。バリッシュはオフィスチェアに身をゆったりと預け、隣にはUberの車内で見かけそうなスナック菓子のバスケットが置かれている(だが誰も手をつけない)。
ビーコン・シアターでの3公演分の映像は、わずか8週間でNetflix向けのスペシャル番組として編集される(Photo by Cole Wilson for Rolling Stone)
「ストーリーテリング」という言葉は、今ではどこか企業的なニュアンスを帯びてしまっているが、本来の意味で使うなら、バービグリアのやっていることを表すのに最もふさわしい言葉だ。彼は決して大げさに話したがるタイプではないが、日常会話のなかで話が最後までたどり着けないことには、明らかに苛立ちを覚えるタイプだ。「誰もちゃんと最後まで話を聞いてくれないんだよ」と彼は言う。「友達としゃべってるときとか、こっちは一生懸命に話をしてるのに、途中で割り込んでくるんだ。『あ、それ俺が釣りに行ったときと似てる!』みたいに。いや、黙れって! 今、話の続きをしてるところなんだよ!」。だからこそ、スタンダップ・ショーには特別な魅力があるのだと、彼は語る。誰にも遮られず、話を最後まで語ることができるからだ。というのもあって、彼が編集作業という”中断の連続”とも言えるプロセスを、意外にも楽しんでいる姿を見て、筆者は少し驚いた。
問題となっているカットについての懸念は、テスト視聴者のひとりが「”マクロドージング”のジョークが出てきた頃には、ショー全体がドラッグの話ばかりに思えてきた」とコメントしたことにある。これは、バービグリアにとって”ストーリーテリングの問題”なのだ。『幸せって、めんどくさい!』ではドラッグという題材がたびたび登場するが、それはあくまで語りのツールであり、作品の本質ではない。そのため、バービグリア、バリッシュ、リッチマンの3人は、ショー前半のリズムを調整し、ドラッグが主題ではないことをより明確に打ち出そうとしていた。
彼らは、D.A.R.E.(ドラッグ乱用防止教育)プログラムに関するくだりの編集に取り組んでいる──ネタバレを避けるため詳細は控えるが──そのジョークのさまざまなバリエーションを試すなかで、フランケンカット(複数の素材を切り貼りしてつなげた編集)により、ある一語が失われてしまうという問題に直面する。だが、編集者のリッチマンは動じない。「”ドラッグ”って言葉なら、どこからでも持ってこれるからね」と、どこか楽しげに言うのだった。
「バーにふらっと入って、それだけで…それがショーになる。そういう人たちにはずっと憧れてたんだ」とバービグリアは語る(Photo by Cole Wilson for Rolling Stone)
この手の作業こそが、舞台でのパフォーマンスを配信向けの作品に仕上げるうえで欠かせない工程だ。まず避けられないのが「時間」という制約。「コメディ・アワー(1時間のコメディ)」と謳う以上、実際に1時間以内に収めなければならない。そしてもうひとつのハードルは、「観客の集中力」だ。ブロードウェイの観客はチケットを買い、子どもの世話係を雇い、万全の態勢で観に来ている。簡単に『ラブ・オン・ザ・スペクトラム』(Netflix の別番組)に切り替えたりはしない。だが、配信では違う。だからこそ、ショーのリズムが極めて重要になる。そしてその調整作業は、地道で神経をすり減らすような工程だ。
バリッシュ、リッチマン、バービグリアの3人は、「ドラッグ/マクロドージング/D.A.R.E.」のフランケンカット問題に1時間以上格闘し、ついに納得のいく形にたどり着いたときには、皆一様に歓喜していた。彼らはすでに2週間以上このスタジオに缶詰になっており、毎日がこの調子なのだ。私が見学していた2時間のあいだに、編集が進んだのはたったの約4分間分だった。
マイクはそろそろスタジオを出る時間になった。「I ♥ NY」と書かれた傘とノートを手にしながら、出口のあたりでなんとなく足を止め、名残惜しそうに立ち尽くしている。そして結局もう少しだけ、とソファに腰を下ろし、スマートフォンを手渡してきた。メモアプリには、スタジオへ向かう途中で思いついたといういくつかのジョークのアイディアが書き込まれていた。その瞬間、私はアフターパーティーでルイスが語っていた言葉を思い出した。「私はたくさんのアーティストを知ってるけど、マイクみたいな人は他にいない。彼はいつも、『今朝こんなことを考えた』『2秒前にこれをやった』って、自分の進捗をシェアしてくるの」。彼が見せてくれたジョークのアイディアは、すでにかなり良い出来だった。そして私は確信している。これから、それはもっと良くなっていくのだろう。
さて、今度こそ本当に彼は出発しなければならない。スタジオを後にする前に、バービグリアはバリッシュとリッチマンにこう伝える。「フランケンカットの直後のセクション、15秒は削れると思う。詳しくはまたあとで説明するよ」。そしてこう付け加える──「明日また来るからね」。彼の仕事は、まだまだ終わっていない。
From Rolling Stone US.
Netflix
『マイク・バービグリアの幸せって、めんどくさい!』