今年の4月12日で創立50周年を迎える円谷プロダクション。その第一弾の制作作品となった『ウルトラQ』でヒロイン・江戸川由利子、『ウルトラマン』では科学特捜隊のフジ・アキコ隊員を演じ、現在は同社でコーディネーターを務める桜井浩子さんに、ウルトラの歴史を最もよく知る人物のお一人としてお話をうかがった。

映画女優として

――お書きになった『ヒロコ ウルトラの女神(ミューズ)誕生物語』というご本によれば、お子さんの頃、お母さまが弟さんと一緒にたびたび映画を観に連れて行ってくださったそうですが、円谷英二監督が手がけられた作品はご覧になりましたか?

自らコーディネートしたムック本『ウルトラヒロインズ』(角川書店)を手にする桜井浩子

「観たのは『美女と液体人間』あたりですね。すごくおもしろかったです。アメーバのようなものが美女を溶かしていくところが印象的で、どうやって作られているのかなと」

――まさか、後に円谷プロの特撮ドラマに出演することになろうとは……

「あの頃、純愛映画が流行っていて、そういうスターになりたくて東宝に入ったので、どちらかといえば特撮は一番遠い存在でしたね。東宝の特撮(映画)には、まったく出てませんでしたから。オーディションにも参加してませんね」

――1961年にオール東宝ニュータレントの第1期生として専属女優になられて、養成所で半年間、監督の山本嘉次郎さんらに指導を受けられたそうですが、後の女優としてのキャリアにどのように影響しているとお考えですか?

「俳優座や宝塚からもいろんな先生が来られて、基礎を叩き込まれましたね。特撮の芝居は教わってないですけど、"ここで教わったのは本当の基礎だから、君たち巣立って行ったら応用問題だらけだよ"と。退屈なんですけどね、基礎は(笑)。お腹から声を出す発声法とか、スタニスラフスキー(システム)はこうだとか」

――演技の勉強だけでなく、社会人としての教育も受けられたと……

「"東宝は会社として、お坊ちゃん、お嬢ちゃんをお預かりするんだから、ここで社会人としての常識を教えますよ"って。怒られてばかりでしたけどね(笑)。(オール東宝ニュータレントの後輩で『ウルトラマン』のハヤタ隊員を演じられた)黒部(進)さんもそうですけど、あの半年間にみっちり怒られたことについて、"よかったね、あのときがあって"みたいな話は二人でしますね。今、こうして仕事をしていられるのにも、重要だったなと思います」

――『ウルトラQ』の撮影が始まるのが東京オリンピックのあった1964年ですが、それ以前に円谷英二監督に接する機会はおありでしたか?

「本多(猪四郎)先生を真ん中に、左側に英二監督、右側に田中友幸さんのお三人が、特撮用のプールのステージから歩いて来られるのに何度も遭遇しました。英二監督はネクタイして帽子は被っておられるんですけど長靴で、動物園の園長さんみたいで(笑)。ピカピカの靴を履いた背が高くてハンサムな本多先生を見上げて同等にしゃべってらっしゃるっていう図が目に入って、"この人が、円谷英二さんか"と思いました」

――東宝から『ウルトラQ』の撮影に入られたときの感想は、いかがでしたか?

「道なき道を(スタッフ、キャスト)全員で進んでいるようなところがあって。英二さんだけだったでしょうね、進むべき道を分かってらしたのは。東宝は完成された会社でしたので、それよりは私としてはおもしろかったですね。発展途上という感じで。"これ、お蔵入りになっちゃうんじゃないの、大丈夫なの??"っていうくらい混沌とした現場の真っ直中にいられたので」

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