米Meta Reality Labsが研究開発を進めているヘッドマウントディスプレイ(HMD)のプロトタイプが、幕張メッセで11月15日に開幕したメディア総合イベント「Inter BEE 2023」に登場。日本国内で実機デモを体験できるのはこれが初めてということで、さっそく足を運びました。

  • Meta Reality Labsが研究開発を進めているヘッドマウントディスプレイ(HMD)のプロトタイプ、「Retinal-resolution Varifocal VR」を体験してきた

  • Retinal-resolution Varifocal VRを装着した筆者

  • 上から見たところ。かなり大きく「ゴツい」

この試作機の最大の特徴は「VR空間内で焦点距離を変えられる(可変焦点)」ところにあります。一般的なVR HMDでは約1m先に焦点を合わせていることが多いとされ、VR空間にいる間は基本的に固定焦点。そのため遠くのモノはクリアに見えるけれど、自分の手元を見たり、顔に何か近づけたときはほとんどの場合、焦点を合わせられませんでした。この課題に対し、たとえばNHK放送技術研究所は「ライトフィールド」技術を用いて焦点を合わせやすくするVRデバイスの研究事例を2022年に公開しています。

  • 従来の固定焦点タイプのHMDでは、顔の近くにオブジェクトをもってくるとピントを合わせられない

今回MetaがInter BEE会場に持ってきた試作機は、これとは別のアプローチで課題に取り組んでおり、かなりの精度で改善されています。遠くの背景から手元に目を落とし、マニュアルなどの細かいテキストを読んだり、物体の細部を観察する……といったシチュエーションでも焦点が合いやすく、そもそも両目の解像度がこれまでのどのMeta製HMDをもしのぐスペックなので、「VR空間の中で視力が上がった感」が味わえました。

  • 試作HMDの可変焦点機構による効果イメージ

あくまで試作機なので市場で販売されることはありませんが、この技術が今後の製品開発に活かされることに期待する人は少なくないはずです。HMDにおける可変焦点はいったいどんな仕組みで実現しているのか? 簡単に紹介しましょう。

なお、この実機デモは「Inter BEE 2023」の参加者であれば誰でも体験可能です。Inter BEEは、音と映像、通信のプロが国内外から一堂に会し、コンテンツビジネス関連の最前線に触れられる国際展示会。入場は無料です(登録入場制)。会期は、幕張メッセ会場が11月15日〜17日まで、オンラインは12月15日まで。

ディスプレイ+光学系ごと動かしてピント合わせ。見通しはとても良い

Metaが出展したプロトタイプは「Retinal-resolution Varifocal VR」と名付けられており、これは8月に同社が「Butterscotch Varifocal」(バタースコッチ・バリフォーカル)というコードネームで発表したもの。米国で開催されたコンピューターグラフィックス分野の国際会議「SIGGRAPH」(シーグラフ)においてデモを実施していました。

今回、日本のデジタルコンテンツ協会がInter BEEと連携して開催している「INTER BEE IGNITION×DCEXPO」(展示ホール3)の一角にMetaのブースが設営され、来場者に最新の成果を披露するかたちとなっています。試作HMDは単体で使えるスタンドアロン型ではなく、大型のデスクトップPCと組み合わせて、親指の太さほどもあるケーブルで有線接続して使うスタイルでした。

  • Inter BEE 2023のMetaブースの様子。外からは意外と目立たない

Butterscotch Varifocalとは、Metaが2015年から取り組み始め、2018年に公表したバリフォーカル(Varifocal)技術と、2022年にデビューした“人の目の網膜並み”という解像度を持ち合わせたVRディスプレイのバタースコッチ(ButterScotch)技術を組み合わせたものです。

人の目を検知して何を見ているかをリアルタイムで追跡するアイトラッキング技術を活用し、HMDの中でディスプレイと拡大光学系を前後に動かすことで可変焦点を実現。VR内で目にオブジェクトを近づけたり遠ざけたり、視点を近景と遠景の間で移動させると、その距離に合わせて自動で焦点調整が行われ、細部もぼやけずにクリアに映し出せるようにしています。「ピントが合わないんだったら目の前でディスプレイとレンズを動かして、ハードとソフトを連携させてしまえばいい」という、ある意味“力技”による課題解決といってもいいのかもしれません。

  • バリフォーカル(Varifocal)技術のイメージ

  • 接眼部はこんな感じ

Metaではこの可変焦点技術を「Harf Dome」と名付けてシリーズ化しており、今回は“網膜解像度”の液晶ディスプレイ(片眼あたり2,880×2,880ドット、視野角は水平垂直53度)と組み合わせることで、視野1度あたり最大56ピクセル(PPD)、無限遠から25cm相当という眼球収縮範囲をサポート。同社では“正常な視力並み”(20/20 visual acuity)のVR体験を可能にしたとアピールしています。

  • 試作HMDには“網膜解像度”の液晶ディスプレイを搭載。ちなみに、最新機種「Quest 3」の解像度は片眼あたり2,064×2,208ドットで試作HMDはこれを上回っているものの、視野角に関してはQuest 3が水平110度/垂直96度で試作機よりも広めだ

  • ほとんどの自然な近距離作業をカバーできるとアピール

実際、試作HMDで見るVR空間はきわめて解像感が高く、見通しがとても良いと感じました。VR映像を見る前にはアイトラッキングのキャリブレーションを行う“お作法”があり、グリーンバック上のランダムな位置に現れる大小のマーカーを追いかけて見つめる時間が数秒設けられますが、それが終われば非常にクリアなVR体験を始められます。

たとえば、VR内に置かれた電子書籍リーダー(!?)を手元に引き寄せて小さな文字テキストを読んだり、バーチャルの電子基板の細部まで観察したりといった作業もたやすく行え、苦痛に感じません。一般的なVR HMDよりもVR内の遠近感の描写がリアルに感じられたのは、試作HMDと組み合わせていたデスクトップPCの性能に依るところも大きいのかもしれません。

  • 写真は別の体験者のHMD内の映像を別のディスプレイに写したもの。これくらいの解像感でピントもきっちり合えば、VR空間でより快適に読書できるだろう

  • 電子機器の基板のような、微細なところまで作り込んだCGオブジェクト(上)の描写にもリアリティを感じた

普段使っているメガネ越しで、短時間の体験ではありましたが、まるで視力が上がったような錯覚すら覚えました。Metaによると、現行のMeta Quest 2が視野1度あたり約20PPDで、今回の試作機はその倍以上となる約56PPDということなので、“目が良くなった感”が味わえるのもうなずけるというものです。ちなみに、ためしに裸眼でも装着してみましたが、筆者は強い近視+乱視があるので実用的ではありませんでした(Quest 3用のオプションレンズのように、度付きレンズを後付けで追加することは可能だそうです)。

なお、デモ機の側面をよく見てみると小窓が設けられているのが分かります。Metaのブースは人気で多数の来場者が訪れていましたが、他人が体験している様子を見ていると、装着者の目の動き(=VR空間内で遠くを見たり、手元を見たりすることによる焦点距離の変化)に合わせて、ディスプレイが小刻みに動いているのがハッキリと分かりました。

  • 横から試作HMDを見たところ。側面パネルの一部がくり抜かれ(左)、中の機構が見えている

  • 可変焦点機構の仕様

VR酔いの改善につながる? 「視野角」「サイズ」には課題も

会場にはプロトタイプの内部がどんな構造になっているのか分かるように光学パーツの分解モデルも展示。Metaの光学科学者であるYang Zhao(ヤン・ジャオ)氏がおり、日本のMeta社員の通訳の下で、より細かな話を聞くことができました。

まず、可変焦点を実現する仕組みについて「ディスプレイは小型のサーボモーターによって動かしている」と説明。右目と左目の前にひとつずつディスプレイがあって、それぞれ独立して動かすことで可変焦点を実現しているとのこと。人が何かを見ているとき、その対象は視野の中央だけなく、右や左にも存在します。片側に寄っていれば目からの焦点距離は当然異なるので、それを補正するために独立稼働させているというわけです。

  • 試作HMDのディスプレイ(左の黄色い丸で囲った部分)と、拡大光学系の分解モデル。赤丸で囲った部分が、ディスプレイを小刻みに動かしている小型サーボモーター

可変焦点と聞いて気になるのは「焦点が合うまでの遅延はどれくらいなのか?」ということ。人の目は100ミリ秒(0.1秒)ほどで焦点が合うそうなのですが、このプロトタイプHMDでは最大でも400ミリ秒(0.4秒)の可変焦点を実現しており、「遅延はほとんどないに等しい、人が知覚できるギリギリ」だといいます。

筆者の場合、遠景から近景に視線を移したときの焦点が合うまでにごくわずかな遅延(違和感)を感じたのですが、今回はメガネonメガネ状態で試作HMDを体験したので環境が良かったわけではなく、万全のセッティングであれば遅延を感じにくいのかもしれません。

試作HMDは側面と上面がクリアパーツでカバーされ、可変焦点の機構や基板の一部が外から見えるトランスルーセント仕様になっており、上面にはさらに空冷ファンとおぼしきシロッコファンも見えました。これは主にディスプレイの発熱を逃がすためのモノで、可変焦点機構を積んだこととは直接関係はないそうです。

  • HMDの上面。基板や空冷ファンがむき出しで、いかにも試作機然としたルックスに心惹かれるのは筆者だけだろうか

VR映像の解像度が上がり、可変焦点にも対応できるようになると、いわゆる“VR酔い”が起きにくくなることが期待できます。VR酔いは人間の視界……つまり視野角や焦点と、脳の認識がズレることで起こるとされていますが、Butterscotch Varifocalは焦点の面で改善に寄与するかもしれません。

ただ、この試作HMDには課題もあります。そのひとつが「視野の狭さ」。現在市場で入手しやすい液晶ディスプレイで、Metaが注力する網膜解像度を達成するには視野を狭くせざるを得ず、現行のQuest 2の視野角が90度以上なのに対して、試作HMDは50度まで落とされています。実機デモにおいても見える範囲は「ちょっと狭いな」と感じたので、長時間利用した場合にVR酔いを起こさずに済むかは定かではありません。

もうひとつは「本体の大きさ」で、可変焦点機構などを盛り込んだことでフォームファクタがQuest 2よりも大きくなっていること。一般ユーザー向けの最新機種で、Quest 2と比べて薄型化した「Quest 3」でさえもそれなりのサイズ感なので、大ぶりなこの試作HMDは一般ユーザーにとって適切なハードウェアとは言えません。

  • 試作HMDのコントローラーの動きを捕捉するセンサー

このように課題はあるものの、今回の試作HMD(Butterscotch Varifocal)を通してみた高品位な映像や、「VR空間内でテキストをじっくり読める」体験は率直に言って素晴らしく、来場者がそれほど多くなければもっと時間をかけてじっくり楽しんでみたかったところでした(もちろん、この技術が多くの人に体験されることを願っています)。

可変焦点はVRゲームをガンガン楽しむ人より、VR空間内でテキストを読み書きしたり細かな仕事をしたい向きに歓迎されそう……という気もしますが、今後のHMD製品群へこの技術がもっとコンパクトになって投入されれば、より快適なVR体験が期待できるだけでなく、VR空間内でユーザーができることの可能性がさらに広がりそうです。