北陸新幹線の開通によって発展を続けている長野県佐久市には、海外からも多くの人が訪れ、暮らしている。そんな在留外国人の不安のひとつが言語の壁だ。同市は、新型コロナワクチン接種をきっかけに映像通訳サービス「みえる通訳」を導入し、分け隔てない行政サービスを目指している。

  • イオンモール佐久平の新型コロナワクチン接種会場と、佐久市役所の千葉千里氏(左)、原啓太氏(右)

急増する在留外国人にもワクチン接種を

佐久市は、日本で海から一番遠い地点がある高原都市であり、北陸新幹線の開通とともに大きく発展した街のひとつ。2005年4月に周辺町村と合併し、長野県で4番目の人口を誇る。

古くからコイの養殖で知られ、「信州佐久鯉」は伝統郷土料理として名高い。山間部に臼田宇宙空間観測所が設置されており、JAXAの施設を持つ市町村の連合「銀河連邦」に所属しているため、天文ファンも訪れる土地柄だ。ICTの導入にも力を入れており、近年はRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)を使用したデスクワークの自動化を推進している。

  • 北中込駅近くに位置する佐久市庁舎

交通の発達によって急成長を続ける佐久市では、在留外国人も増加している。とくに多いのは少子高齢化の課題先進国である日本の介護を学びに来ている事業者であり、中国人を中心に、韓国人、ベトナム人、フィリピン人など1,200名を超える人が在住しているという。

このような状況の中で起こったのが、新型コロナウイルス感染症の流行だ。これまでは佐久市役所の相談員が都度、暮らしの相談に乗っていたものの、新型コロナワクチンの接種は12歳以上すべてが対象。前例がないほど多くの市民に対応しなくてはならず、佐久市は在留外国人の対応に悩みを抱えていたという。

この課題を解決したのが、NTT東日本が提供、テリロジーサービスウェアが開発している映像通訳サービス「みえる通訳」だ。導入の経緯と効果について、佐久市役所 市民健康部 健康づくり推進課の原啓太氏、千葉千里氏、そしてNTT東日本 長野支店 第一ビジネスイノベーション部の小竹康太氏に伺っていこう。

通訳者とAIのいいとこ取りができた「みえる通訳」

佐久市は、新型コロナワクチンの集団接種会場として「イオンモール佐久平」を利用するという面白い試みを行っている。最初はホテルの宴会場を接種会場としていたそうだが、「若い方にも気軽に、積極的に接種を受けて欲しい」という思いから、テナントに空きができたイオンモール佐久平に特設会場を設け、"何かの用事のついで"にワクチン接種を受けられるようにしたそうだ。

だが、ワクチン接種に対しては市民から多くの不安の声が届いていたという。とくに外国人は、『接種したくても情報が読めない』『接種したいという意思を伝えられない』という状況にあった。情勢を鑑みたNTT東日本は2021年3月上旬ごろ、佐久市役所 情報政策課にサービスを紹介。これが健康づくり推進課との接点となった。

「日本人のみなさまと同じように、マイノリティである外国の方が主体的にコロナワクチン接種に関する質問や希望を出せる環境の整備が必要だと考えました。そのためには現場でコミュニケーションが取れるサービスが求められます。一刻も早い接種会場への導入という観点で見たとき、『みえる通訳』は非常に良いサービスではないかと思いました」(NTT東日本 小竹氏)。

  • NTT東日本 長野支店 第一ビジネスイノベーション部 第一バリュークリエイトグループ バリュークリエイト担当 小竹康太氏

昨今はAIを用いた機械翻訳の精度も向上しており、多くの方が実際に利用している。それでは各言語特有のニュアンスや各国の制度に基づいた用語、文化的な背景まで踏まえた翻訳はまだまだ難しく、そういった機微な対応には通訳者が求められるのが現状だ。とはいえ、地方においては通訳者の絶対数が不足しており、また自治体の予算にも限りがある。

こういった悩みにこたえるべく、ICTを利用して必要な時だけ遠隔で通訳者に通訳を依頼できるようにしたサービスが「みえる通訳」だ。スマートフォンやタブレットを介してオペレーターがリアルタイムで通訳を行う仕組みで、最大13カ国語と日本手話の通訳に対応できる。すでに企業や行政機関、小売店の窓口、交通機関、宿泊・観光施設、医療施設などで多数実績があるという。

  • タブレット端末から言語を選ぶと、リアルタイム通訳を行うオペレーターにつながる

「通訳者の常駐は現実的ではない、医療行為に関連するためAI通訳まかせにできない、さらに短期間での導入が求められるという中で、タブレット端末があれば利用できるシンプルなサービスは非常にバランスが良かったと思います。ワクチン接種会場で外国人や聴覚障害者の方と意思疎通を図ろうとすると、会場スタッフも翻訳サービスをスムーズに利用できなくてはなりませんが、操作方法で悩むスタッフはいなかったと思います」(佐久市役所 原氏)。

  • 佐久市役所 市民健康部 健康づくり推進課 新型コロナウイルスワクチン担当 原啓太 氏

検討からわずか2カ月強、2021年5月から接種会場に導入された「みえる通訳」。具体的な使い方は、接種会場の受付にタブレット端末を置いておき、アプリを立ち上げて通訳に繋いでから必要な方に手渡すという形だ。事前に「みえる通訳」の存在を周知していたわけではないが、これまでのところ言語が壁になり接種できなかった例はないという。

  • 接種会場の受付に設置されたタブレット端末

  • 受け取ったタブレット端末を持ち歩いてワクチン接種を進めていく

  • ワクチン接種後に体調を観察するための待機スペース

「ワクチン接種後には15~30分の待機時間がありますが、万が一体調不良が発生した時に言葉が通じないというのは非常に危険ですから、対応はAIではなく人でなくてはならないと考えています。実際に利用されるのは週に一桁程度ですが、まとまって来られる方が多いので、必要に応じて必要なだけ利用できる『みえる通訳』はとても使いやすいと感じました。手話通訳にも対応しているので、聴覚に障害をお持ちの方も躊躇なく来ていただけて、本当に良かったと思います」(佐久市役所 千葉氏)。

  • 佐久市役所 市民健康部 健康づくり推進課 保健予防係 千葉千里氏

外国の方にも分け隔てなく行政サービスを

いまも佐久市の新型コロナワクチンの集団接種をサポートしている「みえる通訳」。佐久市役所の原氏は、迅速な導入に踏み切った思いを次のように伝える。

「ワクチン接種を早急に進め、いち早く感染症を防ぐことが最大の目的でした。一人でも多くの市民に接種していただきたい、そのために接種会場も工夫しました。『みえる通訳』をはじめとしたさまざまなサービスを取り入れながら進めていますので、みなさんには安心して接種を受けていただきたいと思います」(佐久市役所 原氏)。

現在、「みえる通訳」は集団接種会場でのみ利用されているが、市役所内ではその活躍を聞いた他の課から貸し出しを希望する声も上がっているという。佐久市では今後、ワクチン接種のみならず、さまざまな行政サービスでの利用を検討しているそうだ。

「コロナ禍のような機会がなければ、『みえる通訳』を知ることもなかったでしょう。非常に便利で、だれでも簡単に扱えるサービスだと思います。市役所の窓口などに常設したら、職員も市民のみなさまも助かるでしょうね。また、健康診断や市民向けのイベントなどでも役に立つのではないでしょうか。外国の方にも分け隔てなく行政サービスをご提供できるよう、今後とも活用していきたいと思います」(佐久市役所 千葉氏)。