高畑充希の身長は158cmだという(Wikipedia情報)。もう少し小柄に見えるのは、個々のパーツが小ぶりだからだろうか。過日、高畑は自身のインスタで『同期のサクラ』(日本テレビ系 毎週水曜22:00〜)の同期役の共演者たち(橋本愛、新田真剣佑、竜星涼、岡山天音)と並んだ写真をアップ、「同期のみんなのスタイルが良すぎて、私だけ違う種族なのではないかと自問自答する日々です。最近の若い子はヤバイです」とコメントしたことが話題になった。高畑充希の場合、現代の高身長な若者たちと違ったスタイルであることが、彼女の価値を高めていることを、本人も十分、自覚しているのだろう。

彼女の「永遠の少女性」が現代のドラマの主人公にピッタリ。というのは、昨今、ドラマでラブストーリーが好まれなくなっていることと関連性がある。なぜか。

  • 高畑充希

    高畑充希

ラブストーリーが好まれなくなると、妙齢の女性が主人公にしたドラマがつくりににくくなる。妙齢――お年頃の女性というのはどうしても女性性を意識した存在になり、そこには恋愛、結婚などがついてきがち。ところが『同期のサクラ』は恋愛要素皆無で、仕事に向き合うこと、仲間のことなどを主として描いて、高視聴率を獲得している。高畑演じる主人公のサクラが第一話、いきなり病院で寝たきりで、その衝撃と謎とで視聴者をつかんだ。さらにクライマックスに来て、彼女が目覚め、リハビリに励むという感動譚もあるとはいえ、やっぱり高畑演じるサクラのキャラクターに現代性があるのだと思う。

サクラは人一倍、一生懸命、仕事や仲間に向き合っている。不器用で、ひとつのことしかできないところがあるが、だからこそ、折につけ抜群な集中力を発揮する。その健気さに、誰もが手を差し伸べたくなる。そうして、最初のうちは彼女に対してやや困惑していた同期たちがいつの間にか彼女をなくてはならない存在に思うようになり、彼女を中心にひとつにまとまっていく。

■不器用な人物がハマり役に

高畑充希は近年、この手の、ひとつの物事に夢中になる不器用な人物という役がハマり役になっている。2020年1月2日にスペシャルドラマが放送される『忘却のサチコ』(テレビ東京 18年に連ドラとして放送された)も、『孤独のグルメ』女性版のようなもので、黙々とひとり飯を食べる役だ。食事をするサチコの儀式めいた所作は、茶道や華道、書道などの「道」に通じるものがあって端正だし、機能性重視のスーツ姿や、食事を評価する言葉もきりっとしている。『同期のサクラ』の脚本家・遊川和彦が書いた『過保護のカホコ』(17年 日本テレビ系)では両親に溺愛されて育ったため自分で物事を考え行動することができなかったが、愛する人との出会いによって徐々に人格形成がされていく役だった。サチコやサクラと違ってちょっとだらっとしているが、真っ直ぐな気性は共通点。無心な無垢さをもったこの手のキャラのブレイクポイントとしては朝ドラ『ごちそうさん』(13年 NHK)があるだろう。ヒロイン(杏)の夫(東出昌大)の妹役で、おとなしく言いたいことが言えないが歌を歌うことで感情を吐露できるようになるというエピソードが感動を呼んだ。このとき、杏と東出という高身長カップルと高畑の身長差がやっぱり微笑ましく、小柄な高畑の生きる場所が出来上がったという感じがする。

高畑充希は中学生のとき、ホリプロ主催の『山口百恵トリビュートミュージカル プレイバックPart2〜屋上の天使』の主演オーディションに合格、澄んだ歌声で山口百恵の楽曲を舞台で披露して、十代の頃は舞台を中心に活動していた。名作ミュージカル『ピーターパン』もやっている。デビュー時のショートカットがちょっと少年みたいな感じもあったからか、永遠の少年ピーターパンもお似合いで、朝ドラ『とと姉ちゃん』(16年 NHK)では、父が亡くなってなら父代わりとなって母とふたりの妹を支え、生涯結婚しないで編集者として生きた主人公を演じた。女性の幸福を描く朝ドラで生涯独身の役は珍しく、でも、高畑演じた主人公はたくさんの視聴者に好意的に受け入れられた。そのあたりから、高畑充希は女性性や恋愛、結婚を全面に出す役が目に見えて減っていったように感じる。その前の『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(16年 フジテレビ系)はゆるふわパーマでしっかりメイクしてラブストーリーの登場人物らしかったのだが、『とと姉ちゃん』がヒットしたからか、ちょうどラブストーリーの時代の終焉が語られていたからか、大人の女性よりも、少女性を残したままの役が増えた。星野源の音楽バラエティー『おげんさんといっしょ』(NHK)にいたっては、短髪の男のかつらをかぶってほんとうにお父さん役をやっている。星野源がお母さん役で、性の役割が逆転してしまっているのだ。

■少女性を素でやっているわけではない

さすがにお父さん役はバラエティーだから成立するもので、通常のドラマでは難しかろう。それは無理でも、永遠の少女性ならいける。

『忘却のサチコ』のサチコは折り目正しい社会人だが、カホコとサクラはかなり庇護欲をくすぐるキャラだ。その路線には『メゾン・ド・ポリス』(19年 TBS)のシニア世代が集まったシェアハウスにひとり住み込む新人刑事・ひよりも加えたい。おじいちゃん刑事たちと孫世代のひよりの関係性はいい雰囲気だった。そう、高畑充希は「永遠の少女」性を生かして「孫」も似合う。『同期のサクラ』も故郷のおじいちゃんとFAXでやりとりしていたし、『過保護のカホコ』でもおじいちゃん(じぃじ)に可愛がられていた。

テレビを見る者がどんどん高齢化するため、一話完結の医療もの、刑事ものが増えるなかで、そうはいっても若者にも見てほしい。そうだファミリー、できれば三世代で見られるものがいいと、昨今、登場人物の年齢層に幅をもたせたドラマも増えている。そんなときこそ高畑充希である。同世代にも愛されるし、朝ドラでつかんだ高齢層にもばっちり愛される。

ファミリー路線ドラマで、孫くらいの女の子役を子役で賄うことも可能だが、どんなに昨今の子役がしっかり演技ができるといってもやれることに限度があるので、そこは幅広い芝居に対応できる大人の俳優で、かつ少女性をもった高畑充希は引く手あまたであろう。17年、ブルゾンちえみの格好をしたドコモのCMなどは大人っぽいし、少女性を素でやっているわけではなく確たる演技なのだと思う。なにしろ、実年齢では大人の女性に脱皮していくその時期にあえて、そこにいかない、それこそが彼女の演技力である。語り口、姿勢、歩き方や走り方がみごとに考え抜かれている。

現在27歳。JRA やケンタッキーのCMなどでは、年齢相応なメイクで女子を感じさせながら、高畑充希はまだまだ永遠の少女性を武器に活躍できそうな気がする。少なくとも、今は理想の「日本人の孫」を演じられる稀有な俳優として活躍してほしい。彼女が再び、女性性を感じさせる役をやるようになったとき、時代はまた替わり目に来たと言えるだろう。

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