生きていくためには手段を選ばず! コスプレ系遊女も……江戸時代の不思議な娼婦たちの実態

女性京都では昼は御所で働く下級職の女性たちがこっそり夜間に外出し、「畳わづかに三四畳並べ」た粗末な店で売春するのを「御所うら」と呼んでいたそうです。これを記した滝沢馬琴によると、19世紀はじめにはすでに絶滅したタイプの娼婦だったそうですが。
今回は、江戸時代の不思議な娼婦たちについて触れようと思います。
そもそも尼さんを見てすら、彼女が実はパートタイムの娼婦かもしれないと考えなくてはならないのが、江戸時代の常識でした。
江戸庶民たちから信仰をあつめ、そのお札がありがたがられた熊野大社の比丘尼(尼)を自称する、尼姿の売春婦もおりましたからね。
その伝統は中世にまでさかのぼり、古くは信仰の大事さを説いてまわる巡礼的な存在が熊野の比丘尼でしたが、そのうち歌を歌って聞かせるようになり、やがて売春業も兼ねるようになった……とか。芸能分野に手を染めると、それは身体を売り買いすることも認めたも同じという感覚は、現代ではちょっとありえませんよね。

※この記事は2015年07月12日に公開されたものです

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