文化財を未来へ受け継ぐうえで、修理そのものと同じくらい重要なのが、修理の履歴を残すことだ。どの時代に、どのような材料と方法で手が加えられたのか。その記録は財産となり、また次の修理の際どのような手段を講じるかの判断材料になる。
文化財の修理記録は長年にわたり、国や自治体、博物館・美術館、文化財所有者、修理技術者などのもとに個別に蓄積されてきた。しかしそれは研究や修復の際、横断的に参照しにくいという弊害があった。そうした状況を変えるため、独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所は2025年3月末、文化財修理記録に関するメタデータを集めた「文化財(美術工芸品)の修理記録データベース」を公開した。その構築を支えたのが、ローコード開発プラットフォームのClaris FileMakerである。
文化財修理記録のデータを、どのように整理し、構造化して、公開へつなげたのか。文化財情報資料部 文化財情報研究室長・小山田智寛氏、客員研究員・田良島哲氏、アソシエイトフェロー・山永尚美氏に聞いた。
文化財の保護と継承のためには「修理記録」が不可欠
文化財修理というと、災害や経年劣化などで傷んだ文化財を直す仕事を思い浮かべる人が多いだろう。だが、文化財を長期にわたって良好な状態に保つために行う定期的なメンテナンスも大切な仕事のひとつだ。
田良島氏は、文化財修理の実態をこう語る。
「文化財を良い状態に保とうとすると、定期的な修理が必要になります。文化財の場合はその周期が100年、200年という単位になります。鎌倉時代に作られた仏像が、室町時代に修理され、さらに江戸時代に修理されて、今また修理する、というぐらいのスケールです」
日本の文化財には、紙や絹、木材など脆弱な素材でできたものが多く、石やレンガ、油絵具などを素材とする欧米の文化財と比べると、保存のための取り組みがより重要になる。また、修理には技術だけでなく、それを担う人材、材料、道具も必要だ。文化財保護のための技術を持つ人が減っていくなかで、今回の修理記録データベースの公開は、修理の記録を集約・活用する取り組みであると同時に、そうした技術や人材を守り、継承を支える基盤づくりの一環でもある。
未来に行われる修理のためにも記録は重要だ。田良島氏は、その理由を次のように説明する。
「記録が残っていないと、100年前にどんな修理をしたかがわかりません。そうすると次の段階で、正しい対策を見つけ出すのに余計な手間がかかるんです」
例えば、60~70年前に当時は効果的だと考えられた化学物質や合成樹脂を使った修理が行われたとする。そのせいで後の時代に不具合を起こしたとしても、前回何を使ったのかがわからなければ対処は難しい。修理に用いた材料や道具の選択によっては、1000年にわたって受け継がれてきた文化財が一挙に失われてしまうことすらある。あるいは仏像などの欠損部分についても、それが当初から欠けていたのか、後世の修理で付け加えられたものなのかで、判断も変わってくる。修理記録があるかないかで、修理の効率も妥当性もまるで違ってくるのだ。
修理記録は単なる履歴ではなく、文化財そのものの来歴を証明する記録でもある。小山田氏も、「修理し続けてきたことが文化財の真正性の証明になる」と話す。
修理記録は存在しても、横断的に参照できる基盤はなかった
では、なぜこれほど重要な修理記録が、これまで一元的に管理されてこなかったのか。田良島氏は、その背景を制度面から説明する。
「国宝や重要文化財の修理記録については国が集めて管理すべきと思われがちですが、修理の主体はあくまでも所有者です。国はそれを補助金でサポートする立場なので、修理報告書自体は提出されますが、その情報を集約してデータベースにしようというインセンティブは比較的少なかったんです」
修理記録そのものは存在していても、それは補助事業の妥当性を示す資料や、各所有者の記録として保管されてきたにすぎない。記録は国や自治体、博物館、美術館、所有者、修理技術者のもとに分散しており、それらを横断的に閲覧できる仕組みは整っていなかったのだ。そこで文化庁と東京文化財研究所が実施する「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」の一環として、文化財修理記録のアーカイブ化が目指されることとなった。この修理記録データベースの構築・公開は、文化財修理における長年の課題を解消する試みなのである。
今回公開されたデータベースは、公刊された修理報告書や関連文献、修理事業のリストなどを対象に、名称、区分、所在地、所有者、修理年度などに関するもので、文化財の過去の修理情報を検索できる。修理期間や施工者、典拠情報を文化財単位でまとめて確認することも可能で、タイムライン表示で修理の時系列も視覚的に把握できるようにしている。さらに将来的には、修理時に作成された文書等をデジタル化し、閲覧可能にすることも視野に入れている。単に記録の参照にとどまらず、情報を次の修理に活用できる形で蓄積していくことも、このデータベースが担う役割だ。
項目も表記もそろっていない情報をどう構造化するかが課題だった
もっとも、修理記録を集約するといっても、既存のデータをそのまま並べれば済むわけではない。山永氏が担ったデータ作成の現場では、その点こそが最大の課題だった。
「修理報告書はもともと、データベース化を前提として作られたものではなかったため、項目も表記も統一されていませんでした。そうした記録を構造化し、データベースに落とし込んでいく必要がありました」
プロジェクト初期には、国や博物館などが公刊してきた修理関係の刊行物からデータを拾う作業が進められた。だが、OCRで対応できない古い資料も多く、手入力に頼らざるを得ないケースも少なくなかったという。加えて、珍しい漢字が使われていたり、現在は存在しない住所が記載されていたりといった課題もあった。そうした資料を目視で確認しながら、過去の記録が現在のどの文化財に対応するのかを一つひとつ突き止めていったという。
山永氏はこう振り返る。
「データ化すること自体は機械的にできる作業ですし、この先どんどん自動化されていくと思います。ただ、過去と現在の文化財の情報を紐づける部分などには専門知識が必要で、そこに一番時間がかかっています」
資料ごとに情報の粒度が異なる文化財修理記録を、一つのデータベースに統合することは容易ではない。だからこそ、データを収集しつつ、試行錯誤しながらデータベース化していける仕組みが必要だった。
Excel、FileMaker、WordPressを連携させてデータベースを構築・公開
このプロジェクトで東京文化財研究所が採用したのは、Excel、FileMaker、WordPressを役割分担させる方法だ。初期段階では、まずExcelでデータを作ることから始めたという。項目がまだ定まっておらず、とにかく拾える情報を起こしていく必要があったからだ。
そうしてデータがある程度蓄積されると、Excelだけでは対応しきれなくなった。そこで導入したのが、FileMakerである。
小山田氏は、FileMakerを選んだ理由についてこう話す。
「FileMakerは、Excelファイルをドラッグ&ドロップするだけで、とりあえず見える形にしてくれます。項目が完全に決まっていなくても手を動かす(作業を進める)ことができるので、初期構築の手間が格段に省けました」
東京文化財研究所の文化財情報資料部では、長年にわたりFileMakerを活用しており、知見の蓄積があることも大きかったという。
FileMaker側では、Excelで起こしたデータを取り込み、構造化・正規化を進めていった。文化庁の「国指定文化財等データベース」と照合しながら、指定文化財テーブル、修理記録テーブル、修理年表テーブルなどを組み合わせてリレーションを構築した。
データベースの公開については、研究所で2014年から活用してきたWordPressを採用している。ただし、WordPressは本来、タイトル・本文・日付を中心に管理するCMSであり、複数の項目で構築したデータベース公開にそのまま向くわけではない。そこで、FileMaker側で必要なフィールドを組み合わせたHTMLを作成し、WordPressの「本文」として登録する方式を取った。Excelがデータ作成、FileMakerが構造化と出力、WordPressが外部への公開という役割分担だ。
「作って、見せて、直す」サイクルにFileMakerが最適だった
今回の取り組みにおける特徴的な点は、データの収集範囲や共通項目といった要件を、データベース構築と並行して進めたことだった。
そのなかでFileMakerは、要件を具体化していくためのプロトタイプとしても機能したという。小山田氏はこう振り返る。
「私はデータベース担当者で、文化財の専門家ではありません。ですので、当初は修理記録データベースのユーザーニーズを捉えきれない部分がありました。前例のないデータベースだったので、当初は完成形も決まっていませんでした。だからこそ、まず作って他の人に見てもらい、必要ならその場で修正するという進め方が必要だったんです。そういった進め方には柔軟性の高いFileMakerが合っていて、手戻りをあまり気にせずに進められたのは大きかったです」
この「作って、見せて、直す」サイクルを回し続けられた点が、今回のFileMaker活用における真価だった。さらに小山田氏は、文化庁の国指定文化財等データベースの情報をFileMakerで参照・取り込みができるようになったことも利点として挙げる。ウェブデータベースの情報をFileMakerで直接取り込めたため、より効率的だったという。
そうして最終的に出来上がったのが、「文化財(美術工芸品)の修理記録データベース」だ。過去の修理事業を体系的に把握でき、修理報告書などの蓄積された情報が将来に向けて活用可能な形で整理・公開されている。
これまで各所に分散し所有者ごとに保管されてきた修理情報をウェブで一元化し、誰もが通覧できる形にした。そのこと自体が、文化財を守り次の修理を担う人々への「引き継ぎ」になっている。
文化財の記録を活かす、その基盤としてのFileMaker
データベースの公開は、さまざまな効果をもたらしている。その一つが、修理記録を一元管理するデータベースの存在が周知されたことで、修理技術者をはじめとする多くの関係者から修理データについての問い合わせを受けるようになったことだ。今後は、より様々な種類の修理データを取り込めるよう、書式やデータ構造等の共有も視野に入れながらシステム設計を進め、データベースのさらなる充実を図っていくという。
文化財修理の世界では、100年後、200年後に参照されることになる情報を、どのような形で残しておくかが常に問われてきた。未来を見据え、修理記録を「残す」だけでなく「活かす」ために、柔軟で持続可能な仕組みが欠かせない。
長い時間を生き抜いてきた文化財と、現代のデジタルサービス。その間をつなぐ基盤として、FileMakerは修理記録の集約と共有を支えている。情報が集まり、使われ、次へと引き継がれていく——この循環をFileMakerは静かに支えている。
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東京文化財研究所の皆様
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