「救急搬送先がなかなか決まらない事案が3年で4倍になった。2023年には657件。しかも、その多くが山形市を含む地域で起きているんです」――山形市消防本部の担当者はそう語る。
救急車の出動は年間およそ1万3,000件。出動が続けば隊員は休む間もなく働き、帰署後も報告書作成に追われる。病院への連絡は電話、記録は紙。情報の伝達が遅れたり、何度も同じことを入力したりすることが、救急活動の大きな負担になっていた。
そんな状況を改善するために、Claris プラットフォームで開発されたTXP Medicalの救急医療情報システム「NSER mobile」を導入。業務効率化と情報共有の成果により、周辺市町にも活用を広げていった。導入のために奔走した担当者に話を聞いた。
救急搬送の課題解決に山形市消防本部が乗り出す
山形市消防本部は、中核市指定を受けている山形市と隣接する中山町・山辺町の1市2町を管轄している。人口は合わせて約26万人で、山形市を中心とする村山地域の7市7町には7つの消防本部があり、村山医療圏と呼ばれる二次医療圏を構成している。
現場の救急隊員を支える救急救命課計画推進係の尾形一氏が、山形市消防本部が直面する課題を次のように語る。
「山形市は高齢者比率がほぼ3割と高齢化が進んでおり、それに伴い救急搬送件数も年々増加しています。加えて新型コロナウイルス感染症を機に、医療機関で救急患者をなかなか受け入れてもらえない状況が増え、救急搬送困難事案(医療機関への照会回数4回以上かつ現場滞在時間30分以上)は2023年は3年前の4倍である657件に達しました。こうした状況に対して手を打ちたいとの思いがありました」(尾形氏)
出動回数や搬送困難事案が増えているだけでなく、救急隊員の業務面でも大きな課題を抱えていた。
「受け入れ要請時は医療機関に患者の状態や事故の概要を伝える際、情報を正確・迅速に伝えるのが難しく、医療機関から聞かれる内容の多さや対応時間の長さが負担に感じている隊員も多くいました。加えて、搬送後の報告書作成業務も大きな負担になっていました」(尾形氏)
救急隊員の仕事は傷病者搬送だけではなく、病院との情報共有も重要な業務である。その際、情報を正確に伝えるにはプレゼン能力が求められ、緊急時に対応できるかは隊員のスキルに左右される。
また、現場から戻った後の報告書作成は手入力で行われ、活動内容は専用PCから1件ずつ入力する必要がある。現場で紙に書いたメモをもとに作業するため、ミスがあれば元のメモを探し出す手間も発生した。
ただでさえ出動の多い隊員が現場から戻って事務処理に追われ、時には事務処理が終わらないまま次の出動要請が入る。隊員の業務負担は重く、尾形氏はその軽減を強く望んでいた。
周辺自治体を巻き込む救急医療情報システム導入を構想
尾形氏の前任者は2022年頃から全国の救急情報共有システムの事例を確認し、打開策を模索していた。当時、尾形氏は山形市消防本部から総務省消防庁に派遣されており、そこで全国各地の救急医療事情について見聞を深めていた。山形市消防本部に帰任後、前任者の話を聞き、その思いを引き継ぐ形で2023年度からシステム導入の企画をスタートさせた。
尾形氏がNSER mobileの存在を知ったきっかけは、TXP Medicalが送付したパンフレットだったという。そこには「NSER mobileにより救急隊員と医療機関で情報をリアルタイムに共有することで、傷病者の迅速・確実な搬送という救急医療の質向上を実現できるうえ、隊員の作業負担軽減・業務効率化を可能にし、救急隊の業務をワンストップで支援する」と記され、尾形氏はそれを読んで「うらやましいと思いましたし、まさか現場でこんなことができるのかと驚きました」と回顧する。
尾形氏は業務改善と市民への効果を見据え、新システム導入を検討した。その中で、特に村山地域は山形県内の救急搬送困難事案の9割を抱えているため、山形市以外の消防本部もシステムを必要としているのではないかと思い至る。加えて山形市としても、村山地域からの救急搬送先の7割が山形市内の医療機関であり、山形市単独で導入するより広域での医療圏(他自治体)も含めたほうが効果的だと考えた。
「山形市は中核市に指定されており、山形市を中心に連携中枢都市圏という自治体の広域連携を組んでいるので、その点でも医療圏内の自治体を交えた展開が理想的でした」(尾形氏)
山形市で採択され事業は始動したが、ここからが難航した。まずは医療圏内の他自治体との意見取りまとめが必要になり、2023年度内にワーキンググループを何度も開催。そのうえで各自治体の同意を得ようとしたが、当初は他の消防本部でNSER mobileの導入に否定的だったという。
そこで、山形市だけでなく他の消防本部にも NSER mobile導入によりそれぞれの地域特性に応じた効果があることを丁寧に説明していった。たとえば上山市であれば救急搬送の多くが山形市内に来るため、運用も山形市と同じシステムにしたほうがメリットが大きいことを説明。東根市の場合には、ほぼすべての救急搬送が1つの病院に集約されているため病院選定の手間はないものの、患者のデータを現場から迅速に送信できることで治療までの時間短縮につながる、そう説明した。
説明を重ね、山形市消防本部でNSER mobileを試験導入し効果を検証した。そして2024年7月に管轄する山形市・中山町・山辺町でシステム運用がスタートした。
NSER mobileの多様な機能に現場の要望を重ねてシステム構築
TXP Medicalで医療DX事業部部長を務める大西裕氏は、尾形氏から初めて連絡がきたときのことをはっきり覚えている。
「画面越しにも伝わる熱意があり、現場を本気で変えたいというその声に深く胸を打たれました」(大西氏)
NSER mobileによるシステム構築では、村山地域全体の広域連携を見据え、「地域の全救急告示医療機関の救急車受入状況や7消防本部すべての救急車位置情報を可視化したい」と尾形氏は要望。TXP Medicalと協議を重ね、Claris FileMakerプラットフォーム上でシステムをカスタマイズしていった。
TXP Medicalで山形県を担当する 中野 奏保氏はこう振り返る。
「病院ごとの受け入れ可能な患者の科目や時間帯を救急隊員がiPad上で可視化できるようにし、搬送先病院選定をスムーズにする機能を追加開発しました。現場の救急隊が医療機関と情報共有するうえで、どういった情報があれば業務効率化や救急医療の質向上につながるのかを考えていただき、当社の知見を交えて、現場で生きる機能を一緒にすり合わせていきました」(中野氏)
出来上がったシステムの導入にあたり、「現場隊員にはとにかく多く触ることで慣れてもらいました。画像のOCR機能は感動した隊員が多かったです」と尾形氏。
NSER mobileでは、傷病者の免許証やパスポート、お薬手帳を撮影してAIでデータ化し、アプリ上の適切なフィールドに自動入力される仕組みで、隊員が手入力や口頭伝達することなく医療機関にリアルタイム送信できる。血圧、心拍数といったバイタルデータもモニター画面の撮影で自動入力されるので、正確な情報を医療機関に伝えられるとともに、隊員の負担も大きく軽減してくれる。
NSER mobileでは iPadでの音声入力も採用している。これは事故概要の伝達に活用されている。「早口で話してもしっかり文字にしてくれる」と隊員からも好評だ。そのほか、事故現場の写真や動画を送付することで、あらかじめ受け入れ医療機関の医師に事故現場の状況を伝えるという使い方もされている。
当然ながらデジタル機器が不得手な年配のベテラン隊員もおり、当初システムに慣れるまで時間がかかったが、近年はスマートフォンの普及が広がり、プライベートでも iPhoneやiPadを所有する隊員も多い。「周りの若手隊員もサポートしてくれたので、導入から1年が経過した現在は問題なく使用しています」と尾形氏。
この点について中野氏は「若手隊員が先輩に教えるだけでなく、ベテラン隊員からも現場目線で『正確に入力するには(患者に)こういうふうに聞くのがいいのではないか』といったノウハウが共有され、相互で高め合っている印象です」と、助け合いながらNSER mobile が浸透していく様子を教えてくれた。
医療機関側の反応も「当初はやはり新しいシステムが入ること自体に抵抗がありました」と尾形氏。ただ、18の救急告示医療機関すべてを回って説明・操作体験を行ったところ、隊員から送られた情報を見るだけで済むという簡単でありながら必要な情報をしっかり把握できる点が評価され、好印象に話すケースが増えた。そもそも、NSER mobile は、救急車を受け入れる側で働いていた救急集中治療医の 園生 智弘氏が自らの手でローコード開発プラットフォーム Claris FileMaker で開発したアプリであるだけに、医療機関で働く医師からの評価も高い。
「言葉だけでは伝わらない状況が、写真で一目でわかる。それが救命につながる」と医師であり、TXP Medical CEO 園生 智弘氏は語る。
年間1950時間の業務短縮によって実現した傷病者にとっての「最適解」
2024年7月の導入から6ヶ月の統計では、病院決定時間が導入前の平均7.9分から5.5分に短縮され、病院照会回数も1.5回から1.3回へ減少。現場滞在時間も21.0分から19.9分に改善した。年間でいえば約1950時間の時間短縮が可能となった。
とはいえ「時間短縮自体がNSER mobileを使う目的ではありません。大事なのは、傷病者の状態について救急隊員と医療機関で正確かつ迅速に情報共有し、適切な準備をしてもらうことです。それが結果的に傷病者への最適な治療につながると考えています」と中野氏は強調する。
また、1搬送事案あたりの病院連絡回数が大幅に減り、1、2回で搬送先が決まる事案が9割以上になったとのこと。「医療機関との情報共有の精度が上がった効果がここに表れています。年間約6,000回の救急隊から医療機関への電話発信が不要になりました」と尾形氏は高く評価する。導入から6ヶ月で、6,245件の搬送のうち9割以上でアプリが使われ、OCR利用率は86 %に達した。
そしてiPad上で NSER mobileに入力した記録は、搬送時に医療機関で利用されるだけでなく、救急隊の報告書作成のデータとしても残るので以前のようにメモから紙の報告書に転記する手間が減り、書き漏れもなくなったという。また救急隊の報告書作成のためのデータ入力も今後は完全一本化を予定しており、本格移行すれば業務負担は大幅に軽減される。
病院側としても、従来は救急隊からの電話を受けて記入していたメモが不要となり、救急隊が入力したデータも電子カルテに簡単に取り込めること、加えて現場写真も見られることから文章で伝わりにくい状況を視認でき、搬送前に治療準備ができる点が好評だ。
さらに、それまで断られていた医療機関でも、外傷の様子をデータや写真で共有することで、「これならうちでも対応できる」と受け入れ可能となるケースが増えたり、患者の動画を送信することで、くも膜下出血患者の早期救命に至ったりなど、市民にもメリットが生まれている。
消防本部、医療機関、行政の連携により確立された「山形モデル」
まずは山形市消防本部から試験的に始めたNSER mobileの導入は、村山地域全体でも本格運用が始まった。まさに、地域の中核都市が率先し、その成果を周辺地域にも展開するという「山形モデル」が実現した形だ。
NSER mobileは消防管轄を越えた情報連携を実現し、搬送データは行政の政策立案にも活用されている。ダッシュボードで搬送件数や時間をリアルタイムに可視化することで、市役所や消防管理部門の意思決定スピードが向上した。ちなみに、システム導入に際して、山形市は公式YouTubeチャンネルでの案内や、地元放送局での市長出演での事業紹介、市民の理解を促進する施策も積極的に行った。その点でも「今回の取り組みは独自の『山形モデル』と呼ぶにふさわしいと考えています」と大西氏は強調する。
尾形氏は今回のポイントを「やはり山形市消防本部が単独で着手せず、周辺自治体を巻き込んでいったことが良かった」と振り返る。これについて大西氏も「今後はどの地域でも人口減少が進んでいきます。一方で救急隊業務は増えていくので効率化は必須ですが、医療圏として広域化する中、一つの自治体だけで解決するのは難しい部分もあります。今回の『山形モデル』が同様の課題を抱える地域の参考になればうれしいですね」と語る。
山形市とTXP Medicalのこの取り組みは日本DX大賞2025地域DX部門で大賞を受賞し、まさに「救急隊DX」の成功事例として注目されることとなった。山形市及び村山地域における救急医療のさらなる高度化はもちろん、全国でも救急医療の課題解決が進展することを期待したい。
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