東京建物・小澤克人の「東京・八重洲周辺をガラリと変える」、日本橋、京橋と連携した「八日京」戦略

堅調な不動産市場に死角はないのか?

「足元の状況は全般的に非常に堅調に推移している」と話すのは、東京建物社長の小澤克人氏。

 国外では米トランプ政権による高関税策や地政学リスクの高まり、国内では日本銀行による利上げなどもあり、世界及び日本経済の先行きには様々な見方がある。

 そんな中、オフィス賃貸市場については、コロナ禍では空室率が上昇する局面もあった。リモートワークが浸透する中で、「オフィス不要論」が一部で叫ばれたのは、この時期。

 しかし、その後「企業と社員の関係性の中でリアルの重要性が再認識され、オフィスへの出勤へ、揺り戻しの動きが出ている」と小澤氏。この流れの中で空室率の低下傾向が続く。

 賃料も反転上昇。そして今後は緩やかなインフレ基調の中で、不動産が持つ「インフレヘッジ」の機能から、さらに賃料が上がることが予想されている。

 ただ、一部の再開発ビルで、なかなか入居が進まない事例も散見される。この問題をどう考えるか。「お客様であるテナント企業は、いかに採用に有利になるようにオフィスを構えるかを考えている。オフィス移転は今や企業にとって『投資』になっている」(小澤氏)

 また住宅、特にマンションに関しては首都圏、関西圏などの大都市圏の立地のいい物件について「明らかに需要過多」(小澤氏)と見ている。マンション適地減少によって供給が減り、需給環境は非常にタイト。

 そのため、マンション価格は高騰を続けているが、これを夫婦共働きの「パワーカップル」、さらには夫婦共に高額所得者である「スーパーパワーカップル」と呼ばれる層が高い利便性を求めて購入。さらにはシニア世代も郊外の戸建てから、駅近のマンションに移り住む事例も増えている。

 住宅購入に影響を与える金利引き上げについて小澤氏は「想定以上のスピードで上がってきている」と見ている。その一方でキャップレート(期待利回り)に変化がなかったり、物件によっては金利上昇局面で下がるケースも出ている。

 全般的に堅調だという市場の中で〝死角〟はないのか。「唯一、懸念されるのは建築費の高騰。2024年の1年間で急激に上がってきたと感じる。今のところ、収まる気配はない」と小澤氏。今は、収益が好調のため、影響を吸収できているが、特に事業の期間が長期にわたる再開発事業でコストが急激に上がった場合には「吸収し切れない」と小澤氏。「計画の修正など、手を変え、品を変え工夫している」と苦労を語る。

 案件ごとに、その工夫は異なるが、例えば地下の工事を一部縮小したり、外観に影響のない形で外装の部材を変更したりといったことを進めている。プロジェクトの進捗に遅れが出ている面もあるが、収益性を保つ努力を続ける。

東京・八重洲の「新たな顔」

 こうした様々な環境変化がある中、東京建物は東京・八重洲で巨大再開発事業に参画している。25年3月3日、東京建物は再開発組合の一員として推進してきた「東京駅前八重洲一丁目東地区第一種市街地再開発事業(A地区・B地区)」の街区名称が「TOFROM YAESU」(トフロム ヤエス)に決定したことを発表した。

「トフロム」は英語の「TO」と「FROM」を組み合わせた造語。26年竣工予定の大規模再開発で、東京駅直結という利便性が売り。商業施設などが入る10階建てのA地区と、51階建ての高層タワーが建つB地区で構成され、オフィス、医療施設、商業施設、バスターミナルに加え「劇場」を設置。

 この再開発は250人の権利者と、25年の歳月をかけて進めてきたもの。「長い年月をかけて調整し、進めてきた。我々だけでなく再開発組合の理事長さんを始め役員の皆さんは我々以上に、事業に強い思い入れを持っておられる。我々にとっても万感の思い」(小澤氏)

 長期間にわたる開発で最も苦労したのは、権利者間の調整。小澤氏は開発の途中、「自分たちが会社にいる間に完成するのは難しいのではないか」という思いを抱いたほど。

「トフロム ヤエスを八重洲・日本橋・京橋(八日京、YNK)の1つの象徴として完成させ、運営していきたい」と小澤氏は意気込みを語る。

     「TOFROM YAESU」の完成予想図

 コンセプトは「ウェルビーイング」(心身ともに満たされた状態)。「トフロム ヤエスで働く方々に働きやすい場所を提供し、そこにいることの満足、真の価値を感じてもらえるような取り組みをしていきたい」(小澤氏)。温泉ミストによる湯治体験が気軽にできる「喫泉室」や瞑想・仮眠プログラム、入居企業の従業員を対象にウェルビーイング向上を図る共用スペースも用意。

 また、長距離バス向けとして日本最大のバスターミナルを設置する他、元々、東京駅の新幹線は八重洲側。地方から東京に訪れる際の利便性が向上する。

 先を展望すると31年開業予定の羽田空港アクセス線(仮称)、つくばエキスプレスの延伸なども計画されており、さらに利便性の向上が見込まれる。

 オフィスは現時点で約60%が内定。小澤氏は「竣工時点で60~70%を目標にしていたので想定以上の進捗」と話す。トフロム ヤエスのコンセプトに賛同した企業が入居を決めている。

「このオフィスでの取り組みは、企業の成長にきっとつながっていく。この循環をトフロム ヤエスから八重洲、日本橋、京橋、さらには他のエリアにも発展させていきたい」

 八重洲は歴史的に町人・商人の街。そのため区画が細分化されていたことから、なかなか街の潜在力を発揮できずにきた。一方、駅の反対側の丸の内、大手町には武家屋敷が連なっていたため、区画が大きい。また、再開発に参画している権利者は長く、この街に住んでいる人が多く、街の歴史を継承して欲しいという思いが強かった。

 23年3月に開業した三井不動産の「東京ミッドタウン八重洲」、今回の「トフロム ヤエス」、さらに周辺の再開発が続き、街はその姿を変えつつある。賃料も丸の内・大手町に拮抗するくらいの水準にまで上昇している。

「劇場」の設置は東京駅周りに不足していた「エンターテインメント」を持ってくるという意味で付加価値が高い。東京建物は、東京・池袋の旧豊島区庁舎跡地に劇場・シネコンを擁する複合施設「ハレザ池袋」で賑わいを生んだ実績があり、八重洲での取り組みも期待されている。

呉服橋、京橋で続く再開発

 東京建物ではトフロム ヤエスの後にも、大型再開発が控えている。

 旧みずほ信託銀行本店などの跡地を再開発する「八重洲一丁目北地区第一種市街地再開発事業」(呉服橋プロジェクト)、京橋駅近くで、警察博物館、自社開発のビルやホテルなど、低層建物が複数立地していた場所を再開発する「京橋三丁目東地区市街地再開発事業」(京橋三丁目プロジェクト)などがある。

 いずれも東京建物が重点エリアとする「八日京・YNK」エリアの潜在力を掘り起こす再開発。「江戸時代からの歴史、美術商、骨董品店などが連なった街並みなど、よさを残しながら新しい再開発を立ち上げて、混在させていく。日本の中でもユニークなエリアになるのではないか」と小澤氏。

 そして小澤氏は、この八日京エリアの開発は「対丸の内・大手町ではない」と強調する。東京駅周辺に、新たな魅力を付加し、日本の顔としての東京駅の魅力をさらに高めていくことを目指している。「我々は想いをつなぎ、新しきを育むをテーマにしている」

 東京建物は25年1月に、25年度から27年度の中期経営計画を発表。同時に、20年に2030年頃を見据えた長期ビジョン「次世代デベロッパーへ」を発表していたが、この達成年限を2030年に確定させた。

「長期ビジョンを達成するために、新中計の3年間で集中的に取り組んでいく」。政策保有株や保有資産の売却の他、収益物件を投資家に売却する「資産回転ビジネス」のストックなどを生かして資本効率を高めていく。また、中計最終年度の27年12月期には配当性向を40%に高める方針。

バブル崩壊などの危機を経験して……

 小澤氏は1964年2月神奈川県生まれ。87年慶應義塾大学法学部卒業後、東京建物入社。17年取締役、23年代表取締役専務執行役員を経て、25年1月に代表取締役社長に就任。重要な節目での就任だが「ビジョンの実現に向けて、社員のみんなに力を発揮してもらうために、いかにモチベートできるかが自分の役割ではないかと思う」と抱負を語る。

 大学卒業時、当初は金融機関なども視野に入れていたというが、「自分の生活に近いところ、根ざしたビジネスが性に合っているのでは」と感じて不動産業界を志望することになった。

 当時の東京建物は全社員合わせても300人程度の規模だったため、「いろいろな意味で、自分も役回りを担わせてもらえるのではないか」と考えて入社に至った。

 入社後は横浜支店に配属され、不動産鑑定の補助業務に携わった。

 ほどなく、分譲住宅開発の部署に異動になった。だが、折しも日本ではバブルが弾けた時期。初めて担当した物件を開発し、販売するというタイミングで、90年3月に大蔵省(現財務省)は「総量規制」(不動産向け融資の伸び率を貸し出し全体の伸び率を下回るよう求めた行政指導)を打ち出した。

 そのため、「分譲は無理だ」ということで止めざるを得なくなってしまった。地権者と東京建物の共同事業だったが、東京建物の持ち分を、ある個人投資家に買ってもらおうということになった。小澤氏は若手ながら様々なツテを辿って投資家探しに奔走。最終的には個人の資産家に買ってもらうことができた。

「バブル崩壊に直面する中、売却できたのが90年末のことだった。本当に痺れる経験だった」と振り返る。

 その後、人事部を経て、まさに日本で幕開けを迎えていた「不動産証券化」を担当する部署に異動し、「J-REIT」の立ち上げに携わった。

 J-REITの第1号上場は三井不動産系の日本ビルファンド投資法人と、三菱地所系のジャパンリアルエステイト投資法人だった。上場日は2001年9月10日。

 東京建物も、続いてJ-REITの上場を準備していたが翌11日には、米ニューヨークで同時多発テロ「9・11」が勃発。「マーケットがガタガタに崩れた」(小澤氏)。

 上場を延期せざるを得ず、結局半年遅れの02年6月に何とか上場に漕ぎ着けた。途中、主幹事証券会社の1社が出してきた仮条件が低すぎて、とても上場できないとして、上場直前に交代するといった紆余曲折もあった。

 小澤氏はこの経験を「不動産会社に入社したこともあり、それまでは金融、資本市場への知見はなく、非常に勉強になった。危機を経験したことで、『市場の感覚』を吸収できたように思う」と振り返る。

 座右の銘は「満は損を招き、謙は益を受く」。慢心する人は損をし、謙虚な人は益を受けるという意味の中国の古典『書経』にある言葉。

 不動産業界に身を置く中で、業績好調だった企業の状況が悪化していく様を目にすることもあった。「慢心は禍の元」ということを強く心に留めている。

 これまで堅調に来た不動産市場だが、経済の先行きに対する不確実性は高まっている。危機の経験を生かし、社内の慢心を戒めながら、目標の達成に向けて動くことが、小澤氏に求められている。