土居征夫・国策研究会理事長・世界のための日本のこころセンター代表を直撃「今、求められている『日本型リベラルアーツ』とは?」

日本人が古来から持つ「こころ」

 ─ 自国第一主義を標榜するトランプ第2次政権が発足し、世界で分断と対立が進んでいます。今を生きる日本人にはどんな価値観が求められますか。

 土居 私が必要だと考えるのが「日本型リベラルアーツ」です。日本型リベラルアーツとは、全ての学問のベースとして大学などの専門教育の前に学ぶべきものです。そして、リーダーを役割と考え、一部のエリートだけではなく、全ての人が早くから幼児初中教育の段階から学ぶべきものと言えます。

 言い換えれば、「日本のこころ」とも言えるでしょう。日本人は独特な風土と恵まれた自然環境の中で、長い古代文明の時期を経て豊かな精神文化を育んできました。それは世界に遍在するアニミズム(人間以外の生物を含む木や石など全ての物の中に魂が宿っているという思想や信仰)の要素を持つ古神道となり、その上に仏教や儒教のエッセンスが取り入れられ、自然観と美意識が豊かな日本のこころを形成したと考えられます。

 ─ 日本人が古来から持っている価値観とも言えますね。

 土居 ええ。人間には生命体としての生存本能や強い自己愛の要素があると同時に、他者や自然、環境などを思う利他心も備わっています。日本のこころは歴史上、前者が勝ち過ぎたために起こった戦争という時期があったとしても、本来的には後者の要素が強く、利己心を超えて真・善・美を希求し、世界・人類の全体最適を願うものであると考えられます。

 ─ そういった日本型リベラルアーツの重要性を教育機関などは気づいているのですか。

 土居 私立大学ではカリキュラムに盛り込まれ始めていますが、実は東京大学などの旧7帝大が研究者による専門教育に特化していて、入試もペーパーテストだけで、学生の人間性や人間力の学びの機会となっていません。リベラルアーツは基礎知識を横断的に学ぶプログラムですが、一方で今の日本の大学教育は学科や研究科で縦割りになってしまっています。

 そのため、教授たちも自分たちの弟子を育てるのに精一杯になってしまった。その結果、学生たちは、幅広い見識や人間性を育てる環境が用意されずに専門家として育つだけになってしまっている。諸外国やかつての日本では国立研究機関が大学とは別にあったのですが、それを企業が基礎研究をやらなくなってしまったために、大学がやることになった。そういった背景もあります。

 これを変えるためには、国民レベルから政治を動かす議会開設運動のような国民運動で世論が変わる必要があります。大学が変わらなければ、高校以下の教育は変わりません。かつては寺子屋や私塾などがありましたが、大学教育が変われば、これらが大きく復活できます。

教育における財界人の役割

 ─ 社会教育が必要だと。

 土居 その通りです。ですから、こども家庭庁の後援で「日本再生てらこや・全国ネットワーク」という組織を立ち上げ、子どもの頃から親子や社会人が参加して、人間性を養う学びの場を提供している日本全国の団体を集めて組織化しています。

 難関大学のペーパーテストに受かるためだけの高校以下の学習環境が変わるためには、大学入試での面接導入などで大学の学生選抜方式が変わることが必須で、これがチョークポイント(戦略的要点)となります。

 そして何よりも国の政策が進まないのは、行政が自分たちの管轄内の予算や制度の改廃で追いまくられ、その先にある国家ビジョンといった100年タームで国のあるべき形を考える余裕をなくしてしまっているためです。それは産業界でも同じです。

 ─ 経済人が国家運営に対しても具申していました。

 土居 ええ。戦後は松下幸之助さん以来、元経済団体連合会会長の土光敏夫さん、日本商工会議所会頭を務めた永野重雄さんなど、日本の先の絵姿を見定めて、当時の首相にも直言するような経済人がいました。しかし、今はいかがでしょうか。官にいないだけでなく、民にもいない。政治も国民から不信を買っている。

 実は米国の政治学者のケント・カルダー氏は米国の社会学者のエズラ・ヴォーゲル氏の著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を次のように分析しています。

 ヴォーゲル氏は著書の中で1980年代に日本が世界に冠たる経済大国になれたのは、当時の通産省(現経済産業省)が長期戦略を持っていたからだと指摘したのですが、カルダー氏はそれを否定し、当時は官だけでなく、民間人の中にも長期的な視点に立った人がいたことが大きいと強調したのです。

 つまり、国の将来の絵姿を見る産業人がいたから、官民一緒になって諸外国に負けないような国をつくったのだというわけです。しかし、今はそれができていないとカルダー氏は指摘しています。いま日本の問題は、国に中期のビジョンしかなく、国家の長期ビジョンがないことだというのです。

 ─ 自社の経営のみならず、国家運営にも精通している経済人が役人と力を合わせたと。

 土居 そうです。石破茂首相が「令和の日本列島改造」と銘打ち、地方創生政策を再起動させる方針を掲げました。まさにこれは長期ビジョンです。ですから、石破首相はそういった目線を持っているということなのでしょう。大都会では人の心がすさみ、文化が枯渇する。だからこそ、新しい地方再生が長期的な方針として掲げられているのです。

 その意味では「新しい資本主義」も同じです。金融資本主義だけでは国民がついていきませんし、人は幸せにならない。かといって、社会主義も行き詰まる。ですから渋沢栄一が出てくる。「論語と算盤」のように、日本人にはもともとバランスを取った精神的な価値が備わっていると。それをリーダーが考え始めているということなのです。

 ─ 米国ではそういった体制が構築されているのですか。

 土居 もちろん、トランプ氏の予測不能な言動がありますが、米国はまだ社会自体がしっかりしています。シンクタンクもたくさんあり、長期的に国家を見る機関が充実しているのです。

 中露などの専制大国はご承知のように、版図拡大の100年タームでの壮大な長期ビジョンで国家戦略を進めています。

 日本のメディアも政局ばかりに引っ張られて、物事の本質を見失っているように思います。そういった意味も含めて、日本人は劣化しているように思います。私は明治以降の教育が物質主義・科学主義になり、右脳を忘れてしまったことが遠因としてあるように思います。

劣化してしまった今の日本人

 ─ 哲学や倫理といったものが忘れ去られてしまった?

 土居 昭和の失敗とも言えるかもしれません。大正末期から昭和初期にかけて物質主義が幅を利かせ、帝国主義に対抗しないと日本は滅びる。だからこそ戦力強化と富国強兵が叫ばれるようになりました。

 ところが富国強兵といっても、そこに「こころ」がなければ相手に勝つことはできません。精神主義で戦争して負けてしまったとして、戦後になると今度は精神主義を完全に否定するようになってしまいました。精神主義だけでは駄目で、科学技術で対抗するまで力を付けなければいけないということになりました。

 本来であれば、そういったところのバランスをとる感覚を日本人は持っていたはずなのですが、いま申し上げたように切り替わりが極端に行き過ぎてしまった。教育現場でも先生は生徒を奮い立たせることが、その役割です。しかし今は教壇の上から教科書で知識を教え込むばかりになっています。ですから、子どもたちも追いこまれて受け身になり、自分自身の生きる基軸を持てなくなっている。

 ─ かつて北海道開拓の父と呼ばれたクラーク博士が「Boys be ambitious」と言って新渡戸稲造などの優秀な人材が輩出しました。

 土居 そうです。明治くらいまでの日本には、そういった人がいたのです。それに比べて今の日本人は劣化してしまっている。この原因の1つが教育ですし、もう1つが家庭です。

 実は人間は育った環境によって必要な脳神経細胞だけが残ると言われています。10歳になるまでに何兆とも言われる脳細胞のうち、生きるために必要な細胞だけを残して強くし、成長していくというのです。今はその成長の過程で受験勉強に合格するための能力ばかりが増え、他の能力を失ってしまっているのです。

 ─ 本来、人間に備わっている能力を最大限発揮していないとも言えますね。

 土居 はい。逆に文武両道で運動部に入って運動神経を鍛えてもいいわけです。運動は全身を使わなければなりませんし、右脳の直感力も必要です。何よりもやる気が求められる。そういった生きる力を育てないのが今の日本の教育環境なのです。それは学校教育制度だけのせいではありません。

教育を変える国民運動を

 ─ 社会全体ですね。一方で、今は生成AIが誕生し、テック企業の経営者の存在感が高まってきています。

 土居 それが世界の潮流になっていますからね。そういった潮流を引っ張っていくためにも、右脳を鍛えなければなりません。しかし、そういった教育が今は足りていないのです。世界でも日本だけが取り残されてしまっている。例えば脳科学者の茂木健一郎さんなども、そういったことを指摘しています。

 AIは人間に近づくことはあるかもしれませんが、決して人間にはなれません。その上でAIが戦争をするかもしれないといった、とんでもない話もあります。それに対する社会的なコントロールは人間がやらなければなりません。特に日本人には利他的なこころを持っています。そのこころをAIにも取り入れていくことが大切です。

 ─ デジタル社会になっても人間の役割は大きいですね。

 土居 私もそう思います。先ほどの茂木さんは「日本のこころ」を説明するため、『生きがい』という書籍を英語で著し、海外で大評判になっています。日本人は皆、生きがいを持っている。どんな貧しい者であってもです。つまり、生きがいという小さい幸福が積み上がって知恵になるのです。その意味でも、これからはAIに東洋文化が入っていくことによって、AIが次のステップに進んでいくのではないでしょうか。

 ─ そういったことも含めて教育について、その在り方を見直す必要がありますね。

 土居 ええ。教師や教育関係者だけでは限界があります。経済界でも経団連や経済同友会では教育問題に関心を持ち、教育が議論のテーマになっていることは確かです。ただ、餅は餅屋ということで、教育制度を抜本的に変えようとするほどのパワーはありません。

 やはり国民1人ひとりが本気になって声を上げ、社会全体に改革の流れをつくらなければ、日本の将来を担う子どもたちの教育を変えることはできないのです。ですから、財界人や音楽家、スポーツの専門家、ノーベル賞受賞者などにも理解が広がり、若い世代にも訴えて、教育を変えるための国民運動が澎湃(ほうはい・物事が盛んな勢いでわき起こるさま)として起こるように、関係者と準備を急いでいるところです。

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