国際教養大学理事長・学長 モンテ・カセム「日本はアジア的価値観を大切にし、世界を繋ぐ架け橋の役割を」

現代の分断・対立世界には「共感」と「許し」が必要

 ─ アメリカでは第2次トランプ政権が始まりましたが、これにより世界中が分断対立の時代に入ったとも言われます。先生は今の世界の状況をどう認識されていますか。

 カセム まず人間社会というのは、個人の心の中にある善悪が入り混じってできているものなんですね。そこで悪を抑えて善が浮かび上がるようにするためには、社会的な規範が必要であるという思想でわれわれは社会をつくってきました。

 その人間の善と悪について、たとえば非常に生々しく表に出ているトランプ氏の発言みたいなものもありますし、上手に隠して実行している大英帝国の支配というものもあります。

 今回トランプ氏の強い主張にわれわれは戸惑っているわけですが、こうした主張や考え方は植民地支配の時代から人間社会の中にあったものです。

 ─ これまでも存在していたのだと。

 カセム はい。われわれがこれまで正義だと思っていた建て前の規範がもう通用しなくなり、どう対応すればいいのか困惑しているというのが現状への正しい見方だと思います。

 ─ カセム先生はスリランカのご出身ですが、アジアの国々は世界の現状をどう受け止めているのでしょうか。

 カセム ちょうどこの2カ月間でベトナム、台湾、スリランカなどを訪問し意見を交換してきました。肌で感じて驚いたのは、アジア的価値観には〝許す(赦す)〟ということがある点でした。

 これまでは基本的にイギリスも含めたヨーロッパ・欧米諸国の人々の思想から世界の規範が形成されてきました。正義は一つ、善か悪かの判断をはっきり下してきました。

 しかし善か悪かという見方で解決できるものは少なく、人間の活動はグレーゾーンのものが多いと思います。その中で罰するか許すかということを考えなくてはいけません。たとえば罰するにしても、いずれ立ち上がれるような余地を残しておく、許しながら良い方向に持っていくのがアジア的な価値観ではないかなという感じがします。

 ミャンマーのような軍事政権であっても、完全に排除するのではなく受け入れながら上手に圧をかけながら、時間をかけて軌道修正をする方向で努力するという生き方です。

 ─ ベトナムはアメリカとの戦争(ベトナム戦争1955-1975)も経験しています。

 カセム そうですね。ベトナムは戦争が終わった1975年から1986年頃までは社会主義体制でしたが、市場経済を取り入れて「刷新」を意味するドイモイ政策に入っていきます。そこでわたしが感じたのは、ベトナム社会はアメリカに対する憎しみがないということです。

 ─ どうしてそうなのでしょうか。

 カセム わたしは南部のホーチミンより首都ハノイに長く滞在していたのですが、ハノイはある意味で古来のベトナムの価値観を持ち続けている地域です。北ベトナム時代も含めて激しくアメリカと対立していた地域でしたが、訪ねてみると、そこにいる人たちはアメリカ人のことを憎しんではいなかったのです。それを見て、許す(赦す)という行為は実に奥深いものがあると思いました。同時にこの国は伸びると感じました。

 1980年代後半にドイモイ政策が始まった頃から既にそういう憎しみがなかったのは大変驚きました。

 ─ この価値観は欧米社会とは違うものですか。

 カセム ええ。白黒つける場合にはどうしても犯人捜しになってしまうんですね。日本の場合は、調和を軸とした規範をつくって社会秩序を維持していると思います。この根底には共感を大事にする、弱い者を助ける、今日の敵は明日の友というような価値観で、時には人のことを許しながら皆で生きていこうという価値観です。これは農耕民族であった共同体文化から来るのかもしれません。

 最近感動したのは、第26代京大総長の山極壽一先生の著書『共感革命 社交する人類の進化と未来』に書かれていたのですが、人間がコミュニケーションを取り合う以前から共感という他人を受け入れる力、異質の影響を受け入れるという力が人間にはあったと。ですから、人の間違いが気に食わなくてもそれを理解する努力をすることが、現代においての共感の革命だというんですね。

 ─ 混沌とした状況を生き抜くには共感が一つのキーワードになるということですね。

 カセム 日本の法曹界をみると、従来の西欧型裁判制度と家庭裁判所には、心構えの違いがあります。違いは「愛」なんですね。愛によって判断をしようとしたときには、許さないといけない事件もおおいに出てくるんじゃないでしょうか。

 例えば犯罪人が子どもだったらどうするか。そういう意味では、ある意味キリスト教も「愛」が基本です。愛というのは共同体を形成するために役に立つものです。古来の宗教ではヨーロッパ諸国でも欧米諸国でも愛が溢れていた時代があったと思います。しかし、現在は愛の代わりに、個の野心が強く出てきている状態です。

 日本社会は異質なものをそのまま受け入れるのではなく、用心深く扱うというフェーズに入ってきたと思います。この考え方は明治時代以降の富国強兵時に、単一国家・単一民族・単一言語という神話を植え付けられたのが背景にあると思います。

 江戸時代以前は、おそらくあらゆる違いがあっても受け入れるということが風土という概念でまとめられ、それが多様性を感じさせる活動の現場でもあったと思います。

 ─ 日本には忠恕(恕は思いやりの意味)と寛恕という言葉がありますね。そして日本では各地域に藩があり、自立しながら国全体で共生するものを持っていました。

 カセム そうですね。地球環境的にも対応しないといけない問題もありますから、もう1度日本の風土学から来る教えみたいなものを社会規範に取り入れていくと良いのではないかと思います。哲学者の和辻哲郎(1889-1960)といった方々がそういう思想を持っていました。

日本の取るべき立ち位置は

 ─ 日本の良さを持ちながら世界ではどういった立ち位置を取っていけばいいでしょうか。

 カセム 2023年にBRICS諸国が世界の購買力平価(PPP)をG7諸国より上回りました。BRICS諸国の周りには、グローバルサウスという世界経済的に恵まれていない国が集まってきているので、これからこのグローバルサウスを応援するBRICS各国がもっと力を増していくのではと思っています。そうすると、日本は従来、資本主義の秩序を作るためにつき合っていた欧米諸国の相手だけではなくて、こういうグローバルサウス、BRICS諸国とG7諸国をつなぐ架け橋として、どうこの役割を果たしていけばよいかを考えなければいけないと思います。

 日本ではODA(政府開発援助)など非常に信頼できる人道的支援をこれまでやってきたお陰で、軍事外交ではない秩序維持になる大変強力なものを持っていますから、信頼関係をベースとした外交が可能でしょう。

 ─ 日本はグローバルサウス(発展途上国)とグローバルノース(先進国)の架け橋としての役割があると。

 カセム はい。その役割を果たせると思います。信頼と友情をベースにしたものを日本が展開すれば、世界はもっと良くなると思っています。そこにおいて、われわれがいる大学も世界の学術界はつながっていますので貢献できると思っています。

 ですから国際教養大学は世界の真ん中に立ち、人々をつなぐ役割を果たせるような人材教育をベースに考えています。共感の心を育み、そうした社会をつくる土台となるものを大学では学んで欲しいと思っています。

 卒業後はいろいろな専門性を活かして、若い方々がそれぞれの場所で自分の目標を成し遂げていく。大きな調和社会の基盤に、そういった個人の経験や体験が積み重なり、やがて人類全体の叡智につながると思います。