
私が起業を志したのは、大学4年生のことだ。男女雇用機会均等法が制定されて3年が経っていたが、皮膚呼吸を研究テーマに日々実験室にこもっていた私は、社会の事情も知らず、就職活動を始めた。
インターネットのない当時、地方の大学で学ぶ女子学生には、先輩からの声がけがあるわけでもなく、研究室の教授が推薦してくれる企業に面接行くか、自ら企業に電話をして資料請求をするしか方法はなかった。大阪から東京の企業へ電話をしたところ、いずれの会社も、東京に自宅があるならまだしも、地方に住む女性を雇うつもりはないという反応だった。
大学の研究室は教授以下のヒエラルキーのもと、学生は日々下働きのような実験生活だ。世間を知らない女子大生である私にとっては、会社も研究室も、若者や女性が活躍できる場所ではないと絶望的な気持ちになった。沸々と湧き上がってきたのが、性別・年齢に関係なく、活躍したい人が活躍できる会社がないならば、自分でそうした会社を創るしかないということだった。しかし、会社を作るにも何を事業にすれば良いかわからない。とりあえず、就職をして、30歳までに起業をすることにした。
キャリアは、東京の投資信託運用会社で始まった。入社日に社長から「社長室の扉はいつでも開いている。意見やアイデアがあれば、いつでも来てくれたら良い」という発言があった。それをそのまま受け止めた私は、起業に向けた当面の目標を、社長とできるだけ多く話をすることと定めた。何かと理由をつけて、ほぼ毎日、社長室に行くようになった。
その後、2度の転職を経て、27歳の時、晴れて起業した。経営も上向き、採用も始めた。面接をして驚いたのは、誰もが私のように活躍したいと思っているわけではないことだった。
お手伝いをしたい、フォロワーで良い、そんなことを言う人がいるとは思ってもいなかった。社長と呼ばれる人たちとばかり話してきた私にとって、世の中はリーダーになりたい人ばかりではないという当たり前のことに気づいた瞬間だった。
2度の起業と売却を経験して、今は大企業グループのシンクタンクの理事長をつとめている。新卒当時に目標にした社長との対話の機会は、起業後にラジオ番組に昇華し、今は、『藤沢久美の社長Talk』というポッドキャストで続いている。対話の記録だけで1000話を超える。
社長はどなたも個性的である。これまで出会ってきた社長やリーダーたちからの学びを少しずつ読者の皆様にもお伝えしたいと思う。