【倉本 聰:富良野風話】小百合

昔、『北の国から』を書いていた40年ほど前、酪農家は生活に苦しんでいた。牛乳の生産量がダブついて、国の命令かホクレンのお達しか、採れた牛乳に食紅を混ぜ、売れないようにして原野に捨てさせるという、何とも無茶苦茶な生産調整が横行した。

【倉本 聰:富良野風話】森の価値

 2006年から07年頃、ペットボトルのお茶や水に消費者の嗜好が移り、牛乳離れが起きた時も、供給過多の解消のため、生産調整が行われたことがある。この時は翌年からバター不足が起こり、あわてて増産に転じようとしたが、一旦規模を縮小すると牛は生き物なので戻すには3年はかかる。結局、生産調整に従わなかった農家はすぐに増産できたので利益を上げることができたのだが、命令に従った者だけが馬鹿を見たという前例がある。

 こんな前例にさらされた揚句、北海道の酪農家の間では、もはや生産調整令を無視する傾向が増えているという。しかも一方で飼料価格の高騰がある。

 日本の飼料はその6、7割が輸入飼料。ウクライナからの飼料が不足し、それに加えて現在の円安。1頭あたりの牛の淘汰に15万円の助成があると聞いて、これまで2~3%だった廃業者が今は6%、あるいは倍ぐらいにふくらみつつあると聞く。

 牛はペットではないが生き物である。

 牧場ではその誕生から生育までを、それこそ家族が手塩にかけて、子供を育てるように手厚く育てる。しかし、その牛に決して名をつけない。名前をつけると愛情が湧き、それを殺すに忍びなくなるからである。

 かつて富良野塾をやっていた時、1人のライターが『小百合』というタイトルの、秀抜なシナリオを書いてきたことがある。

 都会から観光に来た主婦のグループが、たまたま牧場で仔牛の誕生に遭遇する。その仔牛の愛らしさに魅せられた主婦たちは、その仔牛に小百合という名前をつけて定期的にその生育を見守りにくることになる。丁度あの吉永小百合サンが全盛を誇っていた頃のことであり、新聞・テレビ等のマスコミが、小百合の成長を面白半分に追跡し始める。小百合はぐんぐん成長し─それは乳牛でなく肉牛だったのだが、そろそろ良い加減のつぶし時になってしまう。

 牧場主は旨そうに育ったその小百合を、屠殺場に送るべく競りにかけようと準備するのだが、それを知った主婦たちは顔色を変えて反対運動の狼煙をあげる。無責任なマスコミはその話にとびついて小百合救済の応援キャンペーンを張る。弱り切った牧場主は突然、社会から敵視されて頭を抱えるという物語である。

 この話は、地方で日本の食料問題を支えている酪農家と、ペット感覚で動物愛護を叫ぶ都会の人間の矛盾を、鋭く突いて美事である。今の社会にはこうした矛盾が山ほどある。

 僕らは様々な矛盾の中で、矛盾に囲まれてオドオド生きている。