追悼 ライフコーポレーション創業者・清水信次さんを偲んで

消費者と共に…

 社会にしっかり根を張り、挑戦し続ける庶民派経済人─―。

 2022年度の営業収益(見通し)は7630億円、日本一の食品スーパー『ライフ』を創りあげた清水信次さんの人生を振り返る時、こんな言葉が浮かんでくる。

 ライフコーポレーション創業者で名誉会長の清水信次さんが亡くなった。96歳だった。

 1926年(大正15年)4月三重県生まれ。現在の津市で木錦や錦糸、綿布などを生産販売する会社を営む家に生まれた。

 昭和初期の混乱の中で、家業が破綻し、一家は大阪・天満に移り住む。両親は一生懸命に働いたが、借金取りに追われる日々。この時の体験から、「わたしは自分の家族や両親にこんな思いはもう二度とさせまいという決意を持った」と述懐。

 本人は1941年(昭和16年)太平洋戦争開戦と同時に大阪貿易学校(当時)を繰り上げ卒業し、陸軍の戦技特別研究要員を経て召集される。そして、終戦の年の1945年(昭和20年)1月、陸軍の鉄道隊に配属。

 筆者にも、この時の話をしてくれた。

「津田沼近郊を機関車で走っている時、グラマンの機銃掃射を受けた。グラマンは何度も何度も折り返してきては、わたしたちの機関車席を撃ってきた。この時は本当に死を覚悟した」

 清水さんの真骨頂は、戦争中にどんなに死線をくぐるような危険な目にあっても「わたしは生きるのだ」という強い意志を持ち続けたこと。そういう人生だから、一期一会の出会いを大事にする人であった。そして、「現状には満足しない」「小成には安んじない」という性格。

 戦後、父に倣って食料品事業を起こすわけだが、「もっと未知の仕事を切り拓きたい」という思いは強かった。

 1956年(昭和31年)、現在のライフコーポレーションの前身となる清水実業を設立。1961年(昭和36年)に念願のスーパーマーケット1号店(大阪・豊中店)をオープン。以来、ひたすら挑戦を続け、一代で日本一の食品スーパーをつくりあげた。

 行動の原動力となったのは「消費者のために」という信条。1986年の『売上税』構想が持ち上ったとき、清水さんは日本チェーンストア協会長を務め、時の中曽根康弘政権と激しく対峙。

 70歳代半ばになると、後継者として、当時の三菱商事で英国駐在だった岩崎高治氏(2006年より社長)に目を付け、後を託した。この時、清水さんはロンドンにまで足を運び、岩崎氏と話し込んだ。

 自らの事業経営だけでなく、日本の行く末を案じ、「国家百年の計が必要」と、企業人だけでなく政治家をも叱咤激励。

 2001年には『政治家は国のために死ね!』(財界研究所刊)という著作も手掛けた。

 晩年は2011年に発足した「国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)」の初代会長に就任。消費者と共に生きる流通業のありかたを最後まで模索。

 闘魂豊かな経営者であった。

 合掌

初の商社出身会頭、日本商工会議所・小林体制が始動