【政界】元首相の死で権力構造が変化 問われる岸田首相のリーダーシップ

※2022年8月4日時点

政界はまさに「一寸先は闇」。自民党最大派閥の安倍派を率い、財政、安全保障、人事などで岸田政権に影響力を行使してきた安倍晋三元首相が街頭演説中に銃撃され、この世を去った。安倍派は現体制を維持して難局を乗り切る構えだが、政権内での地位低下は避けられない。首相の岸田文雄にしても、これを機に麻生、茂木両派に軸足を移せば、これまで安倍が束ねてきた保守派から不満が噴出する可能性がある。ただ、足元ではエネルギーや物価高騰に対する対応やウクライナ危機などが山積。参院選から息つく暇もなく、リーダーとしての力量を試される局面が岸田に訪れた。

【政界】参院選後、岸田首相に問われる『覚悟』と『決断』

「保守層が逃げる」

 首相官邸の中枢の一人は7月中旬、親しい自民党議員にこう漏らしたという。「安倍派がどんな体制になるにしても、よく持って安倍さんの四十九日までだろう」

 参院選は当初から自民党の優勢が予想されたため、党内の関心は早々と選挙後の人事に向いていた。一時は、岸田が8月3日召集の臨時国会に合わせて党役員人事と内閣改造を行うという観測さえ流れたほどだ。

 しかし、投開票の2日前、安倍が凶弾に倒れ、事情は一変した。前首相の菅義偉は7月13日のBSフジの番組で「(岸田は)四十九日法要などさまざまなことに配慮するのではないか」と指摘。政府・与党内では、人事は9月上旬との見方が有力になっている。

 焦点は、岸田が政権発足時の派閥均衡型から一歩踏み出すかどうかだ。銃撃事件がなければ、安倍と官邸は今ごろ激しい駆け引きを演じていたに違いないが、官邸中枢と菅の言葉を重ね合わせると、安倍の四十九日が過ぎれば、岸田は思い切った人事が可能になるのか。

 安倍派会長代理の下村博文は参院選の翌日、BS日テレの番組で「岸田さんはもともとリベラル系。自民党のコアな保守の人たちは安倍さんや安倍派がつかんでいる。それを疎んじるようなことになったら、保守の人たちが自民党から逃げるかもしれない」と語った。人事で安倍派をないがしろにしたら黙っていないというけん制だ。

 確かに、安倍は岩盤保守層から支持されてきた。集団的自衛権の限定的な行使容認や、先の大戦の反省と謝罪を含む戦後70年談話などは、保守派ににらみがきく安倍だからこそ実現できたとも言える。下村の主張はある意味で正論だが、今となっては、安倍の威光にすがろうとすればするほど安倍派の苦境は際立つ。

 一方、岸田は人事について「内外に歴史を画するような課題が山積している。こうした状況の中では、何よりも与党の結束が大事だ。適材適所、そのぐらいは頭にあるが、それ以上は決まっていない」(7月14日の記者会見)と慎重に言葉を選ぶ。「人事好き」と評判の岸田も、現段階で党内に余計な摩擦を生むのは得策でないとわかっているからだ。

7人も双頭も消え

 衆参両院で90人を超える国会議員が所属しながら、安倍派には衆目の一致する安倍の後継者がいない。安倍が67歳と政治家としては若く、3回目の首相登板を期待する声も根強かったためやむを得ない面はあるが、突然の死でその弱点がにわかに露呈した。

 安倍は昨年、月刊誌のインタビューで「ポスト菅」候補として下村、前経済再生担当相の西村康稔、経済産業相の萩生田光一、官房長官の松野博一を挙げた。安倍の父・晋太郎の会長時代に派内の実力者だった三塚博、加藤六月、塩川正十郎、森喜朗に模して、下村らは「四天王」と呼ばれる。

 しかし、菅が首相退陣を決意した後の自民党総裁選で、4人は安倍派(当時は細田派)の総裁候補にはなれず、安倍は無派閥の高市早苗を全面的に支援した。決選投票では岸田に乗り換えたものの、当時のいきさつが、その後の岸田と安倍の関係に微妙な影を落とす。

 派内の構図は総裁選時と何ら変わっていない。安倍の死去を受け、四天王の一角が動き出した。下村と西村だ。

 下村は会長ポストが自分に回ってくるのを期待したが、派内には反下村勢力も少なくない。そこに時事通信が「安倍派は後継会長を置かず、有力者7人による集団指導体制で派閥を運営する」という内容の記事を配信し、混迷がさらに深まった。

 7人とは、四天王のほか会長代理の塩谷立、参院幹事長の世耕弘成、国会対策委員長の高木毅。下村に実権が移るのを阻止する狙いは明らかで、「西村か世耕の発案ではないか」(安倍派中堅議員)とささやかれている。

 下村と塩谷は「双頭体制」による派閥運営で対抗しようとしたが、7月19日の幹部会では、会長を空席にしたまま、安倍が指名した幹部の顔ぶれを変えないことで妥結した。内閣改造と党役員人事を見すえて派閥が割れないことを最優先した結果だ。終了後、塩谷は「(報道されたような)集団指導体制や双頭体制はない。今は喪に服している状態だ。国葬が済むまで今の体制で進む」と記者団に説明した。

 出席者によると、幹部会では世耕が「情報管理がなっていない」と激怒したという。記者対応を塩谷に絞ったのは、幹部間で意見の違いが残っている証拠だ。

 当面、安倍派の窓口役は当選10回で最年長の塩谷が務める。ただ、塩谷がそのまま会長に就任するとは考えにくい。昨年の衆院選の小選挙区で落選し、比例代表で復活した経緯から、求心力に疑問符がつくからだ。会長空席は懸案の先送りでしかない。

 安倍派には、岸信介、福田赳夫両元首相に連なる二つの系譜があり、会長交代を巡って過去に分裂を繰り返した。他派の幹部は「もともとミシン目が入っている。それがついに裂けるのか、誰かがホチキス役になるのかはまだ見えない」と安倍派の動向を注視している。

 安倍の国葬は9月27日に行われる。しかし、そのころには人事は終わっている。そこまで安倍派は結束を保てるのか。むしろ冒頭の「四十九日」説が現実味を帯びる。

距離を置く経産相

 岸田内閣の閣僚は現在、安倍派と茂木派が4人ずつで並んでいる。安倍派には「最大派閥として6人は欲しい」という期待があったが、安倍の死で不透明になってきた。

 その中で、経済産業相の萩生田は留任との見方が強まっている。冬の電力需給ひっ迫に備え、エネルギー政策が岸田政権の喫緊の課題に浮上したからだ。

 火力発電所の運転再開などによって今夏は電力の安定供給にめどが立った。それを踏まえ、岸田は7月14日の記者会見で「経産相に対し、この冬で言えば最大9基の原発の稼働を進め、日本全体の電力消費量の約1割に相当する分を確保するよう指示した」と表明した。

 9基とは、関西電力の大飯3・4号機、高浜3・4号機、美浜3号機、四国電力の伊方3号機、九州電力の川内1・2号機、玄海3号機を指すとみられる。これらはすでに再稼働しているが、原子炉等規制法に基づき13カ月に1回、定期検査のために原子炉を止める必要がある。運転再開や検査入りのタイミングを調整して今冬に9基態勢を整えるのが、首相発言の真意のようだ。原発を新たに再稼働させるわけではない。

 岸田の指示の翌日、萩生田は会見で「原発の工事や検査期間の見直しなどにより、最大9基の稼働を確保する」と述べた。同じ日、電気事業連合会会長の池辺和弘も「原発を持っている会社にとっては、きちんと冬に運転できるように工事や検査に取り組みなさいという激励、叱咤だと思う」との見解を示した。

 ただ、9基はいずれも西日本に集中しており、東日本の供給不安がこれで払拭されるわけではない。政府としては知恵の出しどころだ。

 閣内にいる萩生田と官房長官の松野は、今回の安倍派の「跡目争い」に直接絡んでいない。松野にも留任説があり、岸田がこの2人をどう処遇するかは安倍派の今後に大きく影響する。

 自民党側では副総裁の麻生太郎と幹事長の茂木敏充の留任が濃厚だ。安倍派の動揺に乗じて茂木、麻生、岸田3派が連携すれば、岸田の政権運営は当面、安泰と言える。前首相の菅は、参院選後を目指していた無派閥議員による勉強会の発足を「こういう状況になったから、そこはいろいろ考えるところがある」と見送った。

途方に暮れる立憲

 国会対策に頭を悩ませる必要がなくなったことも岸田にとっては好都合だ。立憲民主党は参院選で改選23議席を下回る17議席にとどまった。引き続き参院の野党第1党とはいえ、勢力は自民党の3分の1に過ぎない。

 選挙中、小沢一郎が安倍の死を「自民党の長期政権が招いた事件」と評したのは立憲にとって誤算だった。小沢は地元の岩手だけでなく、北海道や新潟でも側近の候補者を当選させることができず、「神通力」は失われた。宮城、福島、三重という旧民主党政権の立役者が仕切った選挙区でも敗れ、立憲の退潮は著しい。それでも代表の泉健太の責任論は浮上せず、執行部は途方に暮れている。

 一方、日本維新の会は昨年の衆院選に続いて議席を伸ばした。比例代表は8議席で立憲を1議席上回った。代表として知名度のある松井一郎(大阪市長)は10月の任期満了までに辞任する意向を変えず、8月に代表選を実施する。選挙区では重視していた東京や京都で議席を

取れず、「全国政党化」は道半ばだ。新代表のもと、来年春の統一地方選で党の足腰を強化できるかが次期衆院選に向けた試金石になる。

 毎日新聞が参院選後に実施した全国世論調査では「立憲と維新のどちらに期待するか」という問いに、「維新」との回答が46%を占めた。「立憲」は20%で、「どちらにも期待しない」の28%よりも低かった。

 自民党内の力学は変わるが、これで岸田の視界が開けたわけではない。今後は正味の岸田政権が世論の評価にさらされる。日本の針路をどうするか。来年度予算編成や防衛3文書改定など政権内でも意見が分かれる課題にどう解決策を見いだすか。それらを一身に背負う岸田自身が道を切り拓いていくしかない。 (敬称略)