丸和運輸機関・和佐見勝の「共に成長の輪をつくる!」(第12回)

「桃太郎文化」はどのようにして生まれたのか?

 ―― 丸和運輸機関グループで共有する「桃太郎文化」に対する和佐見さんの想いを聞かせてください。

丸和運輸機関・和佐見勝の「共に成長の輪をつくる!」(第11回)

 和佐見 「桃太郎文化」は、わが社が成長するための根本になります。そもそもこの「桃太郎文化」は、わたしが43歳のときに「虎の門病院」(東京・港区)に入院したことが1つのきっかけでした。身体には自信があったのですが、働き過ぎたせいか胃潰瘍で入院することになったのです。

 手術は無事に終了し、手術を担当してくださった院長先生と副院長先生からは術後、「和佐見さんの身体は非常に剛健ですね。強い身体です。早く退院できますから、どんどん歩いてください」とアドバイスをいただきました。

 その言葉を聞いて、手術した翌日から歩き始めたのですが、単に平面のフロアを歩いているだけでは物足りない。そこでワンフロアをぐるぐる回り、さらには朝、目が覚めたら非常階段を使って地下3階から病室のあるフロアまで昇り降りするようになりました。そんな運動を継続して続けていたら、とんでもないことになりました。

 その運動が原因で、手術で縫った傷口が剥がれてしまったのです。しかも、その傷口から菌が体内に入り込んでしまって、40度以上の高熱でうなされるようになりました。

 その結果、再起不能な状態になるかもしれないという状態にまで陥ってしまったのです。お見舞いに来て下さった方も、わたしがあまりにも痩せこけてしまったので驚いていました。

 ―― どれくらい体重が減ったのですか。

 和佐見 24日間で32キロ減りました。それまで90キロ近くありましたので、まるで別人のような顔立ちでした。それでもこの高熱の日々を何とか乗り切るのですが、病床でわたしはこう考えました。「このままではいけない」。万が一、わたしが会社に帰れないことが起こり得るかもしれない。

 そういった場合を考え、今までわたしが言葉にしてきたことを成文化しようと思ったのです。その成文化したものが「桃太郎文化」になります。

 40度以上の高熱を出しながらベッドの上で点滴を受けつつ、「桃太郎文化」の意義とは何か。「桃太郎文化」を実践することの目的とは何かをまとめていきました。

和佐見勝・丸和運輸機関社長

 入院期間は2カ月ほどになりましたが、その間に、これだったら会社に残せるなというものに仕上げることができました。

 ―― 自らの命の危険もありましたが、会社のためを思って書いたわけですね。

 和佐見 そうです。病床でも社員の顔が次々に浮かんでくるわけです。さらに社員の先にはその家族がいます。つまり、社員とその家族を路頭に迷わせるわけにはいかないと。

 わたし自身が会社に迷惑をかけてしまうわけにはいかないと思って、ベッドの上で必死に考え抜いて書いてまとめたのが「桃太郎文化」なのです。

「桃太郎文化」にはわが社の経営理念があって、私の思いが綴られています。経営への取り組みに対する思いを文章という形に残したわけです。そして高熱を出しながらの24日間をかけて、これだったら誰が見ても理解していただけるというところまで書き上げたのです。

 この「桃太郎文化」を書き上げた翌日、つまり高熱が出てから25日目の朝を迎えると、急に熱が下がったのです。これには驚きました。初めて「助かった」と実感しましたね。

 ―― 迫力がすごいですね。

 和佐見 まさに「桃太郎文化」がわたしを退院できるようにしてくれた形です。退院後、会社に出社したとき、この冊子を社員の皆さんに配布しました。冊子を見た社員の皆さんにとっては、日頃わたしが申し上げていることが成文化されているわけですから、理解度が非常に高まったようです。

 そして次は実行・実践です。この「桃太郎文化」の教育にも力を入れていくようになりました。やはりこの背景には、わたし自身が中小企業大学校に通って経営を勉強していた折、経営理念の必要性を学んでいたことがあると思います。経営理念がある企業は成長するということが頭に残っていたからです。

 ―― 冊子を受け取った社員の反応はどうでしたか。

 和佐見 朝礼でわたしが皆の前で読み上げました。社員の皆さんは真剣に聞いてくれましたね。そして、今後はこの「桃太郎文化」を社内で勉強してもらい、それを実行・実践していきたいと申し上げたのです。皆さん、賛同してくれましたね。

「桃太郎文化」の一節に「お客様第一義」という言葉があるのですが、わたしは普段から「お客様を大切にする」「お客様に感謝する」といった言葉を使って、様々な場面で話をしていました。そして、創業時から「社員を幸せにしたい」。わたしの考えは「社員を幸せにしたいんだ」と。当時から「幸福企業づくり」と言っていましたね。

以下、本誌にて