【倉本聰:富良野風話】老人たちよ

「老人への提言」という一文を、僕の主宰する富良野自然塾の季刊誌『カムイミンタラ』のために書いた。主旨は以下のようなものである。

 切迫している地球環境問題のために世界の世論が動きかけている。スウェーデンのまだ10代の活動家グレタ・トゥンベリさんの呼びかけに世界の若者が反応し、日本の若者にもこれに呼応する動きが出てきた。なのに日本の政治家識者、いわばこの国を動かす壮年層は寝呆けたように目覚めようとしない。こういうことで果たして良いのか。

 残念ながら我々老人世代は、ここに至る太平の豊饒を自身で作り出し、そして享受し、今の環境危機を生み出してしまった、いわば犯人・元凶であり、贖罪をせねばならぬ立場にある。のんびり老後を楽しんでいないで、せめて立ち上がった若者たちに応援の旗印を上げようではないか。それもしっかり明確な形で。それが僕の書いたことの主旨である。

 2030年、2050年の未来に対する対策として、この国の持ち出している様々な案は火力発電を減らす案だったり、自然再生エネルギーの利用法だったり、即ち今のエネルギーの生産方法にばかり言及し、そもそもの使用量をいかに減らすか、減らせるかというもう一方の重大な課題には一向触れようとしていない。そういうふうに僕には見える。

 我々老人はかつて敗戦時の貧国を経験してきた世代である。敗戦時とまではいかないまでも、スマホのない時代、コンビニのない時代、パソコンのない時代を経験し、そうした新兵器が現われる以前には、それがなくても何の不思議もなく、何の不満も感じずに人生の倖せを謳歌してきた筈だ。その時代を一寸思い出せないか。少しだけ過去に戻れないか。それが今我々老人にできる、せねばならないことなのではあるまいか。それが僕の書いた提言の主旨である。

 我々が今、地球の温暖化を招くCO2の排出量を減らすどころか、増やす方向へ進めてしまっている根源は、もっと景気を、もっと消費をと経済のことばかり考えて止めない社会全体の仕組みにある。この考えに根本的にブレーキをかけることはできないのだろうか。進み過ぎてしまった文明社会は、アクセルの改良のことばかり考え、ブレーキそしてバックギアのことは誰一人考えていないかに見える。交通事故の多発する危険な社会が拡がっていくのは火を見るよりも明らかである。

 NASAの宇宙衛星から、夜の地球を撮った写真がある。限られた都市部のみが煌々と眩しく、残りの大地は暗黒である。北朝鮮は闇の中だが、日本列島はその全てが眩しいばかりに輝いている。

 明るいことは倖せなのだろうか。

 スピードは幸福を生んでいるのだろうか。

 今そのことを僕は考える。

 仕事を終えた老人たちよ。あなたたちは今こそ立ち止まって自分の遺したまちがいに対し、贖罪の方法を考えられないか。

【倉本聰:富良野風話】ああ!國政