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54 クルマのクイズ

1960年、日本の自動車メーカーが夢を託した幻のクルマ…車名は?

JAN. 04, 2026 11:30
Text : 御堀直嗣
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問題をおさらい!

  • プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

    このクルマの名前は? という問題でした

正解はこちら!

【答え】プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

答えはプリンス自動車工業の「スカイラインスポーツ」です。

  • プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

スカイラインスポーツといっても写真は市販車でなく、1960年にイタリアで開かれたトリノ国際自動車ショーに出展された試作車(ショーカー)です。スカイラインの上級車種としてプリンスが1959年に発売したグロリアがベースとなっています。

  • プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

そもそもグロリアは、1957年のスカイラインを基に、ガソリンエンジンの排気量をスカイラインの1,500ccから1,900ccに拡大した上級車なので、元をただせばスカイラインの系譜であるといえるでしょう。

このショーカーを経て、スカイラインスポーツは1962年に発売となります。

写真のショーカーは、プリンス自動車工業の意気込みを示すクルマでした。それまでのスカイラインやグロリアは、いかつい姿の4ドアセダンでしたから、2ドアクーペという洗練された外観は、カーデザインの都といえるトリノの自動車ショーで注目を集めました。

  • プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

この外観を手掛けたのは、イタリアのジョヴァンニ・ミケロッティです。ミケロッティはイタリアのフィアット、フランスのマトラ、英国のBL(ブリティッシュ・レイランド)、トライアンフ、ドイツのBMW、スウェーデンのボルボなどのほか、日本車では日野自動車の「コンテッサ1300」やそのクーペなどに携わっています。

  • プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

写真のスカイラインスポーツで気になるのは、クルマのバッジがプリンスの「P」ではなく「F」であることです。

プリンス本来の言葉の意味は、君主の称号として欧州では尊いもので、単に「P」で表すとプリンセス(王女)とも受け取られかねません。第二次世界大戦後、敗戦国である東洋の日本からイタリアの自動車ショーに出展されたクルマが、「P」のバッジをつけることが憚られたという、時代の背景があったのでしょう。

そこで付けられた「F」のバッジは、プリンス自動車工業へ社名が変わる前の富士精密工業の「F」ではないかといわれています。

  • プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

プリンスは第二次世界大戦中の立川飛行機という航空機製造会社から、戦後に東京電気自動車へ転換し、さらにその後、中島飛行機を祖とする富士精密工業と合併したことによって生まれた会社です。2つの航空機製造会社出身の人たちが集まった会社でしたから、プリンスから生み出される自動車が、技術に凝ったつくりを特徴としていたこともうなずけます。

  • プリンス自動車工業「スカイラインスポーツ」

スカイラインスポーツは、中島飛行機で技術者であった中川良一が、メルセデス・ベンツのようなクルマをつくりたいとの思いで生み出したとの逸話も伝わります。単に質実剛健や先進技術だけではない、魅力的な造形を備えたクルマへの中川の思いが、スカイラインスポーツの美しい造形につながっているのかもしれません。

スカイラインスポーツは、日本の自動車産業が欧米に追い付け追い越せという途上にあった、1960年代という時代の夢を追った1台といえそうです。

それでは、次回をお楽しみに!


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※ 本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。

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