新型「CX-5」が発売1カ月で受注1万台を達成し、勢いに乗るマツダ。株主総会で毛籠勝弘社長は、国内生産70万台を堅持し、地域経済を守り抜くと決意を表明した。前後にあった日産・ホンダの株主総会とは、全く違う雰囲気だった。
新型「CX-5」の写真を一気に見る
マツダ流良品廉価で生き残りへ
なぜマツダは、トランプ政権の関税政策を打ち返して黒字を達成できたのか。広島を本拠とし、山口県にも生産工場を持ち、“中国地方”の地域経済に大きな影響力を持つマツダは、「スモールプレイヤーとしての競争力向上」をどのように進めようとしているのか。「第160回マツダ定時株主総会」から見えた強さの秘密を深掘りする。
筆者はマツダの株主総会に前後して開催された日産自動車とホンダの株主総会を一部始終見聞したが、2期連続の大幅赤字で大リストラの過程にある日産、EV損失で巨額赤字に転落したホンダに経営責任を追求する声が寄せられたのに対し、マツダは減収減益となったものの、黒字化達成を評価する声が多かった。質問者17名に経営側も真摯に答え、株主総会は2時間7分に及んだ。
マツダの毛籠勝弘社長は、前年度(2025年度)の業績で売上高4兆9,182億円、営業利益516億円を計上し、年間配当を55円としたことについて、「マツダにとって北米が最重要市場である中で、トランプ政権の高関税は極めて大きい逆風となり、マツダの底力が試された。関税の影響は2,300億円に上ったものの、全社一丸となり、商品力・現場力・判断の速さで関税コストを跳ね返して黒字を達成できた。マツダは国内70万台体制を堅持し、地域の雇用とサプライチェーンを守り抜く」と発言。黒字達成と広島を中心とする国内工場(取引先の地場部品メーカー含め)の生産維持への強い決意を示した。
2030年に向けた「2030経営方針」で2026年度~2027年度はフェーズ2、2028年度~2030年度はフェーズ3にあたる。今後について毛籠社長は、「マツダがスモールプレイヤーとして競争力を高めるアプローチ」で「電動化・知能化の時代に協調領域と競争領域を見極めて、マツダらしい価値向上に力を集中する」と経営の考え方を明示した。
加えて、「この不確実性の時代の常態化を前提に、いろいろな制約の中でマツダの勝ち筋を描く」とし、具体的には「“マツダ流良品廉価”とは、とがった商品を生み出すこと。マツダのブランド価値経営の定義は、いかようにも“走る喜びにあふれたクルマ”を提供していくことだ」とし、スモールメーカーとして割り切ったマツダらしさに磨きをかけていくことも強調した。
山あり谷ありのマツダ史を振り返る
マツダといえば、「東洋工業」として昭和初期に三輪トラックの生産を開始して以来、広島を本拠として四輪車に進出し、軽自動車「R360クーペ」から「キャロル360」をヒットさせ、さらには小型乗用車「ファミリア」シリーズを開発。1960年代前半は東洋工業が自動車生産で首位となっていたこともある。
その後、「ロータリーエンジン」(RE)の開発・量産化に成功し、RE搭載の「コスモスポーツ」を世に出したことで、「ロータリーのマツダ」として存在感を向上させた。
そんな中、米国では1970年に排ガス規制を大幅に強化する「マスキー法」が発効。世界は第1次オイルショックに突入する。REは「ガソリンがぶ飲み」と「排ガス吐き出し」で立ち行かなくなり、当時の東洋工業は倒産の憂き目にあう。
日本の自動車産業は資本自由化の時代を迎え、アメリカ勢などとの資本提携が進んでいった。マツダはメインバンクの住友銀行を仲介として、米国のフォード・モーターと1971年(昭和46年)に業務提携を結んだ。1977年には東洋工業のオーナーだった松田耕平社長が解任されて、3代にわたる松田家経営が終焉。1979年(昭和54年)にフォード、東洋工業、住友銀行による資本提携(フォードが25%出資)が実現した。
1984年(昭和59年)に東洋工業は、ブランド名に合わせて社名を「マツダ」(MAZDA)に改称。マツダの歴史はその後も山あり谷ありで、何度も窮地を経験しており、米フォードと住友銀行に翻弄される時期もあった。
日本経済が湧いたバブル景気の末期には、国内5チャネル体制のセットアップが裏目に出て赤字に転落。フォード主導の再建に移行した。
2000年代に入り、リーマンショックでフォードの経営が悪化すると、マツダとの資本提携が徐々に薄れていく。2015年9月までにフォードはマツダ株を全て売却。これにより、36年間にわたる資本提携は終了した。
マツダは2017年にトヨタ自動車と資本業務提携で合意し、米国の生産合弁会社の設立とEVに関する共同技術開発の提携を発表した。
つまりマツダは、昭和から平成にかけて激動の時代を経験し、現在はトヨタと500億円ずつ資本を持ち合う最低限の資本提携の形で、「マツダらしさ」を追求して生き残りを図っているのだ。
「人中心のクルマづくり」に根ざす哲学として、「人馬一体」を一貫して掲げるマツダ。毛籠社長は「マツダのブランド価値は“走る喜び”に尽きる。米国市場に次いでマザーマーケットの日本、日本国内市場で反転攻勢に出る。新型CX-5投入がその先陣だ」とし、日本国内販売改革と共に、日本市場での攻勢に力を入れていくことも強調した。
マツダ国内工場の広島・宇品工場、山口・防府工場での年産70万台を堅持するには、国内販売のベースをしっかりと固めていかねばならない。新型CX-5はその橋頭堡になるもので、そのスタートは、発売後1カ月で受注台数が1万台を超え、月間販売計画(2,000台)の5倍を超えるペースで快調な出足を見せている。
マツダの代名詞だったロータリーエンジンについては、来年2027年が60周年にあたる年となる。マツダは2024年に「RE開発グループ」を復活させ、新時代に適合したREの研究開発を加速させており、来年のRE60周年のイベントにも大きな期待を抱かせるものとなっている。




