スズキの小型車「スイフト」が2025年7月で世界販売1,000万台を達成した。スズキにとって「スイフト」とはどんなクルマなのか。スズキの世界戦略にスイフトはどんな役割を果たしたのか。考察してみた。
GMとの提携で小型車の腕を磨いたスズキ
スズキが「世界戦略小型車」として初代スイフトを発売したのは2004年11月のこと。それから20年8カ月で世界販売1,000万台に到達した。
スイフトは2004年の初代から2010年の2代目、2016年の3代目、2023年の4代目とフルモデルチェンジを続けて、日本、インド、欧州をはじめとする世界170以上の国と地域で販売されている。
そもそもスイフトは、スズキにとって「軽自動車」メーカーから「小型車」メーカーへの脱皮に挑んだ1台であると同時に、世界の自動車市場で戦えるクルマを開発したいという悲願を賭けたものだった。
スズキは米国のゼネラル・モーターズ(GM)との資本提携(1981年)に基づき、1983年にGMとの共同開発で小型車「カルタス」(シボレー・スプリント)を発売した。スズキの小型乗用車は1969年に販売を終了した「フロンテ800」以来で、14年ぶりの復活だった。カルタスは1L直列3気筒エンジン搭載の3ドアハッチバック。スズキはこのクルマの生産を始めるため、湖西第二工場を新設した。
GMとは2001年に1.5Lエンジン搭載の小型車「シボレー・クルーズ」を共同開発し、シボレーブランドで2008年まで日本でも販売した。一方のカルタスは、日本市場向けにスズキが開発を主導した2代目(1988年登場)などを展開する中で、輸出先では「スイフト」名で販売した。
GMとの資本提携のもと、GMグループの小型車分野を受け持つことにより研鑽を重ねていったスズキだが、GMがリーマンショックで大きな赤字を出したことで、2008年にはGMとの資本提携が解消となった。
GMグループから脱退したスズキだが、この経験をいかし、世界市場を視野に入れてボディ、デザイン、プラットフォームなど全てを一から開発したハッチバック小型乗用車が、2004年に登場した初代スイフトだった。「カルタス」の後継としてスズキが開発した小型乗用車の“本命”がスイフトで、特に初代は、小型車で歴史と優位性を持つ欧州市場で高い評価を受けた。
長きにわたりスズキを率いた故・鈴木修氏は1992年、東欧のハンガリーに生産拠点を構えて欧州に進出していた。このハンガリー・マジャールスズキで生産し、欧州市場に輸出したのがスイフトだった。
それまでのスズキ車は実用性やコストパフォーマンスを追求した軽自動車がメインで、市場からは「ダサい」とのイメージを持たれてしまっていた観があったが、スイフトは洗練されていて、小型車で伝統のある欧州でもスタイリッシュでスポーティーなクルマとして受け入れられた。
2010年にはJWRC(ジュニア世界ラリー選手権)に参戦し、このJWRC参戦車をイメージしたホットハッチ「スイフトスポーツ」も高い評価を受けて、市場でも人気を高めた。
電気自動車も登場! スズキならではの小型車戦略
スイフトは2023年に4代目へとフルモデルチェンジを遂げたが、初代から4代目まで「RJCカーオブザイヤー」を受賞する栄誉を受けて、日本の小型乗用車として「名車」の位置づけを確保したのである。
スズキは軽自動車市場で約4割のシェアを確保し、トップメーカーとしての地位をしっかりと守っているが、小型車領域についてもシェアを高めていく方針だ。鈴木俊宏社長は「スズキにとって日本国内市場はまだまだ成長市場だ。全体市場は減っていく予測ではあるが、登録車(小型車)の販売を伸ばして収益を高めていく。国内乗用車シェア2位を継続していく」との考えを示している。
世界戦略では「小・少・軽・短・美の理念に基づき、すべての過程でエネルギーが極小となる技術を目指し、それぞれの国・地域でユーザーごとに合う商品を提供していく」とし、インドを主力のベース基地として、アフリカや中南米などの開拓に力を入れる。
スズキの小型車商品ラインアップは、世界戦略車のスイフトを中心に「ソリオ」「ジムニー ノマド」「クロスビー」などを展開し、BEV(電気自動車)の「eビターラ」が加わるなど広がりを見せる。また、高効率ガソリンエンジンモデルからマイルドハイブリッドモデル、ハイブリッドモデルにバイオガスなど燃料対応も進めている。「スズキならでは」の小型車戦略に注目すべきであろう。








