トヨタ自動車が建設している未来のモビリティの実証都市「ウーブン・シティ」(静岡県裾野市)が9月25日に開業を迎える。トヨタの豊田章男会長が社長時代に立ち上げた“肝いり”の巨大プロジェクトが目指すものとは?
どんな街になる?
「私たちは、日本の東富士にある175エーカー(約70万8,000平方メートル)の土地に未来の実証都市をつくる。人々が実際に住んで、働いて、遊んで、そんな生活を送りながら実証に参加する街だ」。2020年1月、米国・ラスベガスで開催された世界最大のテクノロジー見本市「CES」で宣言したのが、当時の豊田章男トヨタ自動車社長(現・会長)だった。
ウーブン・シティはトヨタ自動車東日本の旧・東富士工場跡地を活用した大規模プロジェクト。トヨタ子会社のウーブン・バイ・トヨタが建設、運営を担う。自動車メーカーが自動運転などの先進技術の開発を目的として、住民が実際に暮らす“街”をつくるのは世界的にも異例の取り組みだ。
9月25日に開業するのは全体のうち約4万7,000平方メートルの区域で、住宅8棟を含む建物計14棟が立地し、地下にも延べ床面積約2万5,000平方メートルの空間が広がる。将来はトヨタ関係者を中心に約3,600人が住む計画である。
英語の「WOVEN」(ウーブン)」は「織り込まれた」と訳され、トヨタの源流である豊田自動織機に由来する。トヨタ創業家出身の豊田章男会長の強い思いが、“織り込まれた街”というネーミングにも込められているのだ。
豊田章男氏の側近が書籍を刊行
ウーブン・シティの開業に先立ち、9月16日には『上司 豊田章男』というタイトルの書籍が発売となった。サブタイトルは「トヨタらしさを取り戻す闘い 5012日の全記録」。筆者はトヨタ自動車フェローの藤井英樹氏だ。
「豊田章男本」は世に多く出ているが、ウーブン・シティ開業を目前にしてトヨタの現役社員が執筆し上梓されたこの本の内容に筆者は注目した。
藤井氏は2009年5月、豊田章男氏のトヨタ社長就任直前に「広報担当業務秘書」となり、以来14年にわたって豊田章男社長のメッセージを担当。その後は「トヨタイムス」の初代編集長を経て、2021年から豊田章男社長(現・会長)のスピーチライター専任のフェローとなり現在に至る。実は筆者は、この藤井氏がトヨタ広報若手社員の頃からよく知っており、今回、この「豊田章男本」の上梓を受けて、早速お祝いのメッセージを送った次第である。
542頁にもわたるこの分厚い単行本は、豊田章男氏がトヨタ自動車社長就任直前の2009年5月から、トヨタのトップ交代を発表した2023年1月までの13年8カ月(5,012日間)を振り返り、トヨタのトップである豊田章男社長が何を思い、どんな苦闘を経験したのかについて語った一冊であり、「上司」と「部下」を超えた「仲間」としての豊田章男氏の真の姿を映し出している。
この本の帯には豊田会長自らが「フェローという言葉には仲間という意味があるんだね。豊田章男の本当の姿を言葉にして伝えようといつも隣で黒鉛筆を持っている部下ではなく、仲間。それが私にとっての藤井くんです。」と綴った。
言うまでもなく、豊田章男氏は社長在任14年間でトヨタを世界のトップ自動車メーカーの座に押し上げた人物であり、日本自動車産業のリーダーどころか日本経済界のトップ、「財界総理」としての期待も集めるほどの企業人だ。だが、トヨタ創業家の「御曹司」であるがゆえに、毀誉褒貶が相半ばする人でもある。
「マスコミ嫌い」や「裸の王様」など、アンチ豊田章男の声も多く聞かれる。一方で、社長在任14年の間に、「嵐の中の船出」から「強いトヨタ」の業績を確立させた実績は確かであり、トヨタのトップとしての仕事については、誰にも文句は言えないとの声もある。
モビリティカンパニーへの変革に向けて
筆者は、自身の著書のひとつであり2001年に上梓した『この激動期、トヨタだけがなぜ大増益なのか』の取材・執筆を進めていた際に、当時はトヨタ自動車Gazoo事業部主査の肩書きだった豊田章男氏にインタビューしている。
当時、IT(情報技術)活用戦略を重視していたトヨタは、流通版IT革命のトップランナーとされていた。Gazooとはトヨタのインターネットのポータルサイトの名称であり、同社の情報ネットワークのこと。Gazoo事業部は豊田章男氏が自ら創設した部署であった。
まだ40代半ばだった豊田章男主査に初めてインタビューしたが、その印象は「豊田家にしては、饒舌な人だな」。筆者は現役記者時代に豊田英二氏、豊田章一郎氏にインタビューしたことがあり、トヨタトップとして、あるいは自工会会長としての会見も数多く経験してきたが、英二氏・章一郎氏ともに「寡黙で重厚なタイプ」で、章男氏についての個人的な感想は「英二さん、章一郎さんと違って、よく喋る人だな」だった。
それから8年後の2009年、53歳でトヨタ自動車社長に就任した豊田章男氏には、「豊田創業家の御曹司への大政奉還」という評が常にまとわりついた。それにしては、リーマンショック後の赤字転落、品質問題でのリコール対応などにより、社長就任会見で「羅針盤のない嵐の中の船出」と自ら述べるほどに厳しいスタートとなった。その豊田章男社長就任とともに、広報担当業務秘書となった藤井氏の本には、就任以来、約14年にわたる豊田章男トヨタ社長の真髄が淡々と綴られている。
「トヨタらしさを取り戻す」「もっといいクルマをつくろうよ」という思いの源流はどこにあるのか。豊田章男氏自身が自動車レースに目覚めて「モリゾウ」を名乗り、チーム名も「GAZOO」と名付けたが、誰も賛成する人はいなかったという社内事情や、「よく喋るので、誤解されやすいタイプ」だという章男氏の真の姿を、藤井氏の著書が浮き彫りにする。
「社長とは、孤独なものだ」とよく言われるが、世間で言われるトップの孤独と「創業家」に生まれ育っての属性からくる孤独を一緒にしてはいけないとも、著者は記している。豊田章男氏独自の孤独感の中での危機意識が、社長業にまい進する上でのバネになったのだろう。「広報は敵だ」「日本のメディアに失望した」と言う豊田章男氏の本意も、著書では丁寧に説明してある。
トヨタのオウンドメディア「トヨタイムス」の萌芽と2019年1月からのスタートは「モリゾウのつぶやき」からだった。2月には「トヨタイムス編集部」が発足し、藤井フェローが初代編集長に就任した。「トヨタイムス」に関しては、TVコマーシャルも含めトヨタ社内外からの賛否両論があるし、トヨタ番記者やトヨタ寄りジャーナリストの重用なども指摘されるし、筆者も「是々非々」でトヨタを客観的に見ている。
ともあれ、トヨタの現在ある姿は、豊田章男社長在任14年間で積み上げてきたものである。藤井氏の著書でも「14年間は豊田さんにとって、決して『成功物語』ではなかった。むしろ、トヨタらしさを取り戻す、トヨタを変革するために『もがき、あがき続けた』期間だったと思う」と記している。
豊田章男氏が14年間にわたって守り続けたトヨタ社長の座を譲ったのが、レクサスインターナショナル社長だった佐藤恒治氏だ。佐藤社長に託したのは、「トヨタをモビリティカンパニーへ変革する」という大仕事だった。
ウーブン・シティは豊田章男氏がトヨタ社長時代に立ち上げた、モビリティカンパニーへの変革の中核をなす試みであり、挑戦であった。その運営を担う「ウーブン・バイ・トヨタ」には、章男氏が個人的に約50億円を出資(その後買い取り)したほどの思い入れがある。ウーブン・シティの運営責任者は章男氏の長男である豊田大輔氏だ。
豊田章男氏の構想発表から5年。トヨタの事業変革、章男会長の想いが本格始動するのだ。





