先ごろ生産終了となったスポーツカー「GT-R」は、日産自動車にとってどんな役割を担うクルマだったのか。同社が横浜のグローバル本社で開催したイベント「FOREVE“R” ~GT-Rファンは永遠に~」に参加して、会場に集結した歴代GT-Rを見ながら考察してみた。
スカG伝説から日産が受け継ぐものとは
1964年の第2回「日本グランプリ」で「スカイラインGT」(スカG)がポルシェ「904GTSクーペ」を相手に演じた名勝負から生まれた「スカG伝説」には、いろいろと逸話がある。
まずは、ポルシェを駆る式場荘吉選手が、友人だった生沢徹選手のスカGにわざとトップを譲ったのでは、という話。
当時、ホテルオークラの「カメリア」が溜まり場だった2人(徳大寺有恒氏やミッキー・カーチス氏、浮谷東次郎氏らもお仲間で、いつ行っても誰かがいたそうだ)は、レース前にそんな話をしていたことを認めている。あくまで冗談レベルの話だったとはいえ、必死にレーシングカーの開発を続けていたメーカーの技術者や上層部にとっては、聞き逃すことのできない頭に来る話だったかもしれない。
もうひとつは、なぜ純レーシングカーのポルシェ「904」が急遽、第2回日本GPに出場できたのかだ。これについては、ドライバーの式場選手への何らかの援助がトヨタ自動車からなされたのではないか、という人がいる。
前年の第1回日本GPにおいて、クラウン、コロナ、パブリカで数多くの勝利を得たトヨタは、自社のクルマが高性能であることをアピールする優勝キャンペーンを大々的に行い、その結果が販売台数に直結することがわかっていた。そのため、第2回GPでライバルのプリンススカイラインが優勝することを阻む必要があった、という見方だ。これは根も葉もないウワサなのだが、「勝てば売れる」という構図は間違いなくあり、そのために、各メーカーの技術者は高性能車の開発に注力するようになったのだ。
結果的にポルシェに敗れたとはいえ、わずか1周ながらそれを抑えて先頭を走ることができたプリンスもしかり。スカイラインの高性能さをアピールできたことで、サーキットから東京への帰路に立ち寄った何軒かのディーラーでは、クルマが売れることを確信した担当者から大歓迎を受けたという。
ただし、負けたのは事実。世界のポルシェに対抗するため、プリンスはすぐに純レーシングカー「R380」の開発に取り掛かり、1966年の第3回日本GPできっちりと借りを返しているのはすごい。
その後、プリンスは日産に吸収合併される形となってしまうのだが、レースでトップを走るという執念と技術は日産にもそのまま継承されていく。「ニッサンR380」が積んだ2.0L直列6気筒DOHCエンジンをデチューンして搭載し、1969年に発売したのが超高性能な初代「スカイラインGT-R」だった。日本の自動車界が世界を見据え始めた原点が「スカG伝説」なのである。
レースで勝つとクルマが売れる
「ハコスカ」と呼ばれた初代の4ドア「GT-R」はすぐにレースに参戦し、デビュー戦で優勝。破竹の勢いで連勝記録を伸ばし続け、約3年間で49連勝を達成した。マツダのロータリー勢に50連勝は阻まれたものの、1972年の雨の富士300kmレースで高橋国光選手が優勝し、通算50勝目を記録している。
レースで勝つことはメーカーの開発能力の高さの証明だ。「技術の日産」を標榜し、日産が黄金期を迎えたのがこの頃である。GT-Rだけでなく、「S30型フェアレディZ」や「ブルーバード510」などの高性能モデルを立て続けにデビューさせ、人気も販売も絶好調だった。
生産台数わずか197台の2代目GT-R(通称:ケンメリ)は、レースに出場する機会を得られなかった。以降はオイルショックなどもあり、日産のカタログから高性能スポーツモデル「GT-R」の名は消えてしまった。
「GT-R」の名前が復活したのは、それから16年後の1989年。日産は8代目の「R32型スカイライン」に「BNR32型スカイラインGT-R」を投入した。
この2ドアクーペが搭載するのは、RB26DETT型2.6L直6ツインターボエンジンだ。当時の自主規制値の上限である280PSを発生した。前後輪のトルク配分を電子的に無段階制御するトルクスプリット4WDの「ATTESA E-TS」と四輪操舵の「HICAS」を組み合わせた超ハイテクな足回りで“武装”していたのが特徴で、高出力と電子制御をミックスしたその性能は「技術の日産」の面目躍如となった。
R32型は当然、レースにも積極的に参加する。当時の全日本ツーリングカー選手権では、星野一義選手がドライブするカルソニックスカイラインGT-Rを筆頭に、1990年~1993年の4年間で29戦全勝という記録を達成。まさに初代GT-Rの再来であリ、新たな神話の始まりのクルマだったともいえる。
高性能な市販モデルはGT-Rだけではなく、「S13シルビア」「A31セフィーロ」「Z32フェアレディZ」「P10プリメーラ」などのクルマが短い期間に相次いで登場する。「1990年代までに、世界一の動的性能を実現する」ことを目指した日産の「901運動」を象徴する名車たちだ。日産は2度目の黄金期を迎えることになる。
進化を続けるGT-R
GT-Rはその後、R33型、R34型へと進化し、さらにハイテク化、高性能化を果たしてレースでも好成績を残し続けた。
R33型は性能の高さと居住性(4ドアモデル)を見込まれて神奈川県警のパトロールカーとして正式採用された。またR34型は、映画『ワイルドスピード』に“主役”として登場。その高性能さを観客たちに見せつけた。GT-Rは米国をはじめ欧州、中東など、世界中の自動車ファンの憧れの対象となったのだ。
2007年に登場したR35型GT-RからエンジンはVR38DETT型V6ツインターボに換装され、名称から「スカイライン」の冠が外された。毎年のように年次改良を施すことでトップモデルとしてのポテンシャルを保ち続け、レースにも積極的に参戦してきたが、2025年8月26日をもって生産が終了した。
現在は厳しい状況にある日産だが、イヴァン・エスピノーザCEOは「GT-Rは進化を遂げ、将来再び姿を表します。その日まで辛抱強くお待ちください。GT-Rをいつか復活させることが、我々日産の目標です」と語っている。果たしてどんな姿で戻ってくるのだろうか。





















