トヨタ自動車は「センチュリー」を高級ブランドとして展開していくと発表した。高級車ブランド「レクサス」よりも上という位置づけで、最初にお披露目となったモデルは2ドアクーペだ。超高級車ブランドの「センチュリー」がロールス・ロイスに真っ向勝負を挑む、という展開になったら面白そうだが……。
センチュリークーペの特徴は?
「センチュリー」はトヨタが生産する高級車の車名だ。それを今後は高級ブランドとして展開していく、というのが今回の発表だ。
トヨタが展開する高級ブランドには「レクサス」があるが、センチュリーは「アバブ レクサス」(above Lexus)という位置づけ。トヨタが展開する超高級車のブランド名が「センチュリー」となるイメージだ。
トヨタのサイモン・ハンフリーズ執行役員は、「レクサスはパイオニアとしてどんどんチャレンジすればいい」とし、「センチュリーはTop of Top、One of Oneとして、ハイエンドにチャレンジする」とそれぞれの役割が異なることを強調する。
現在のセンチュリーのラインアップはセダンタイプとSUVタイプの2種類だが、センチュリーを同社のハイブランドに昇格させることで、今後は新型クラウン群やカローラ群など、さまざまなブランド群のひとつとする戦略をとるようだ。大きく見れば、これまでのレクサス、トヨタ、ダイハツ、GRにセンチュリーを加えた5ブランド体制に再構築するものと考えられる。
鮮烈な緋色のカラーリングをまとったセンチュリークーペは流麗な2ドアクーペスタイルで、一見するとロールス・ロイスの「レイス」に似ている気もするが、助手席側には前後に両開きするスライドドアを採用していて、「何者にも似ていない2ドアクーペ」というスタイリングを強調。ショーファーカーとして3人乗車のデザインとすることで、新しい高級クーペスタイルを提案している。
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「かつて、1枚の布に魂を織り込んだ人がいた。100年後、その思いを1台のクルマにした人がいた。技術を尽くし、その車を磨き上げた人がいた。歴史がある。けれど時代は変わる。生まれ変わることでしか、歴史は紡げない。ものづくりに終わりはない。日本にしか作れないものが、きっとある。ただ一つの道を、ただ一人のあなたと」と、創業者の豊田佐吉から始まったトヨタの歴史とともに紹介された「センチュリークーペ」。発売予定のモデルではなく、コンセプトカーという位置づけだ
フロントマスクは、SUVと共通イメージの四角い4灯タイプのヘッドライトに鳳凰のエンブレムを備えたものだが、それに続く長いボンネットの中央部には膨らみがあり、その左右には2つのスリット付きエアウトレットが備わっている。
ついにトヨタは、ロールス・ロイスやベントレーが築いてきた高級パーソナルクーペの世界に、真っ向勝負を挑んできたのだ。
豊田章男会長が語ったセンチュリーへの想い?
「ジャパンモビリティショー2025」(JMS2025、会期は11月9日まで)に登壇した豊田章男トヨタ会長は、センチュリーを次のように紹介した。
「センチュリーは最高峰にして別格のクルマ。このクルマは、日本を背負って生まれたと私は思っております。ただ自動車をつくるのではない。日本人の頭と腕で、日本に自動車工業をつくらねばならない。これは、豊田喜一郎の言葉。そしてセンチュリーの開発を担当したのは、トヨタ初の主査、中村健也さんでした。同じでないこと。これがセンチュリーの開発・生産・販売のすべてにおいて一貫した、中村さんの姿勢でした」
豊田会長にとって、センチュリーは自身の父が長年にわたって乗り継いだ特別なクルマだ。
「開発がスタートしたのは1963年。『伝統は後から自然にできるもの。今までにない新しい高級車をつくろう。今の高級車のアキレス腱は新しいことができないことだ』。そう言って、斬新なアイデアや革新的な技術に果敢に挑戦いたしました。同時に、鳳凰のエンブレムには江戸彫金、シート生地には西陣織など、日本の伝統・文化を取り入れました。こうして誕生したセンチュリーを、初代はもちろん、2代目、3代目と章一郎は、生涯の愛車として乗り続けました。そして、時代時代のエンジニアに対し、『高速道路を走る時の直進性だけはしっかりやってくれ』『横風対応は大丈夫か』など、毎日のように、その後部座席から改良の指示を出し続けました。章一郎がそこまでしたクルマは、センチュリーだけでした」
豊田章男会長の父・豊田章一郎氏がそこまでセンチュリーにこだわった理由は?
「終戦のわずか3カ月後に喜一郎(豊田会長の祖父)が立ち上げた『自動車協議会』に込めた想いだったのではないか。私は、そう思っております。この自動車協議会は現在、私自身が会長を務めております『日本自動車会議所』の前身となる組織です。その立ち上げに際し、喜一郎はこう述べております。『民主主義 自動車工業 国家を建設し、平和日本の再建と世界文化に寄与したい』。この言葉が私の頭から離れませんでした。『平和日本の再建』には、自動車工業が原動力となり、日本の人々に笑顔と平和な日常を取り戻したい、という産業報国の精神が込められております。『ジャパン・プライド』。それを背負って生まれたクルマがセンチュリーだと私は思っております」
センチュリーという名称、鳳凰を象ったエンブレムの意味、そして、センチュリーのブランド化について、豊田会長は次のように話した。
「センチュリーに刻まれた鳳凰のエンブレム。『鳳凰』とは、世界が平和な時代にのみ姿を見せる伝説の鳥です。センチュリーは、単なる車名ではありません。世界の平和を心から願い、日本から『次の100年』をつくる挑戦。それこそが、センチュリーなのだと思います。章一郎亡きあと、これは、私自身の使命だと思いました。トヨタには、中村健也さんのスピリットを受け継ぐ仲間がたくさんいて、そんな仲間とともに、『センチュリー・ブランド』を立ち上げることを決意いたしました。『One of One』。中村さんの言葉を借りれば、『同じでないこと』。センチュリーは、トヨタ自動車のブランドのひとつではありません。日本の心、『ジャパン・プライド』を世界に発信していく、そんなブランドに育てていきたいと思っております」
最後は感極まり、目には光るものがあった。














