1987年から1993年にかけて販売されたダイハツ工業の3代目「シャレード」と聞けば、「走りは活発だったが、基本的にはごく普通なリッターカークラスの実用コンパクトカー」という印象しか思い浮かばない。事実、1990年代初頭の新車価格は上級グレード「GT-XX」でも119.5万円に過ぎず、現在の中古車相場も――ほぼ絶滅状態ではあるのだが、もしも流通しているなら、せいぜい数十万円といったところだろう。
だが先日、株式会社BINGOが「A PIT AUTOBACS SHINONOME」で開催した「COLLECTIBLE AUCTION」に、落札予想額1,800万~2,300万円という驚愕のシャレードが出品された。
ラリーで活躍した1台がオークションに
お値段2,000万円級となった驚愕のダイハツシャレードは、一般的なノーマル車両またはその改造車ではない。ダイハツのワークスマシンとして1993年の「サファリ・ラリー」に出場し、見事クラス優勝を果たすと同時に総合5位にも入賞した「ゼッケン19番」そのものなのだ。
ダイハツのレース活動に歴史あり
ダイハツは日本各地で開催されていたラリーに1960年代から精力的に参加し、1979年には初めての国際ラリーとして「ラリー・モンテカルロ」に初代シャレードで参戦。1981年大会ではグループ2カテゴリーの最小排気量クラスで優勝を果たした。
その後ダイハツは、1984年大会から「サファリ・ラリー」に2代目シャレードで参戦。そして1988年大会からはワークスマシンを3代目シャレードにスイッチし、クラス優勝を重ねた。
圧巻だったのは1993年のサファリ・ラリーで、この大会に3台が出場したシャレードは1Lターボのミニマムなラリーカーであるにもかかわらず、4WDの2Lターボ車であるST185型トヨタ「セリカ GT-FOUR」に続いて、見事総合5-6-7位でフィニッシュしたのだ。
その際に総合5位に輝いた車両が、まさにこの「驚愕の2000万円級シャレード」である。
1993年のサファリ・ラリーに参戦した際に使用していた19番のゼッケンや各種デカール類などは完全に当時のまま。大会後にダイハツ ワークスチームの手によってオーバーホールされたエンジンも載っている。また、当時のダイハツワークスチームのメカニックが着用していた「TEAM DAIHATSU INTERNATIONAL」のロゴが背中に入ったツナギも、そのまま残っている。
公道は走れないけど欲しいものは欲しい
電子制御の介入がなかった時代の「生のエンジンと生の足回り」が楽しめる、しかも「ダイハツワークスチームによって作り上げられた生の感触」が堪能できる貴重かつ歴史的な1台とあっては、予想落札額が1,800万~2,300万円という水準になるのも、ある意味で当然ではあるのだろう。
だが残念ながらこのシャレード、公道は走ることができない。そのため、基本的には好事家がガレージに保管して目で楽しみ、時おり積載車を使ってサーキットなどに運搬し、クローズドな場所でその走りと伝説の残り香を楽しむ――というような使い方しかできないのだ。
だが、もしも筆者が金満家であったならば、この個体を問答無用で落札し、「自宅にワークスラリーカーがある暮らし」を手に入れたいとは猛烈に思う。大変遺憾ながら金満家ではないため、それも見果てぬ夢ではあるのだが――。