理化学研究所は、プロパルギルオキシ基を持つエステルが、がん細胞内で「ポリアミン」と選択的にアミド化反応を起こすことを利用して、がん細胞を正常細胞と区別して見分けることに成功したと発表した。

哺乳類の細胞内に存在する主なポリアミンとして、スペルミン、スペルミジン、プトレシンがある。ポリアミンは細胞内で、核酸やタンパク質合成を促進し、細胞分裂や細胞増殖に必要不可欠である。細胞増殖が盛んながん細胞では、ポリアミンが過剰に生産されている。(出所:理化学研究所プレスリリース)

同研究は、理化学研究所田中生体機能合成化学研究室の田中克典主任研究員、Kenward Vong、坪倉一輝、理研-マックスプランク連携研究センター疾患糖鎖研究チームの谷口直之チームリーダー、北爪しのぶ副チームリーダー、早稲田大学理工学術院の中尾洋一教授、大阪大学医学系研究科の野口眞三郎教授、多根井智紀助教らの共同研究チームによるもので、同研究成果は、5月31日付けで英国の科学雑誌「Chemical Communications」オンライン版に掲載された。

細胞内には、分子内に複数個の1級アミンを持つポリアミンという分子が存在しており、細胞内のポリアミンの濃度は、ポリアミンの生合成や分解、細胞内外の移行を通して厳密に保たれている。細胞が分裂し増殖するには、ポリアミンが必要不可欠だと考えられていて、特にがん細胞のように増殖が盛んな細胞ではポリアミンが過剰に生産され、高い濃度で存在しているといわれている。つまり、ポリアミンの細胞内での存在量はがん細胞を識別する指標(バイオマーカー)のひとつと捉えることができ、もし細胞内のポリアミンを選択的に反応させることができれば、がん細胞を選択的に標識したり、がん細胞の増殖を押さえることができると考えられてきた。

プロパルギルエステルにさまざまな生体内アミンを作用させたときに生成するアミド結合の割合(生成量)。(出所:理化学研究所プレスリリース)

これまでに田中主任研究員らは、アルコキシ基を持つ電気的中性のエステルのうち、プロパルギルオキシ基を持つエステル(プロパルギルエステル)だけが、適度な疎水性を持つ直鎖の1級アミンと混ぜ合わせると、触媒を用いずに室温でアミド結合を形成することを見いだしていた。この反応では有機溶媒中だけでなく、水中でもエステルが加水分解されることなく、80~90%の高収率でアミド結合が形成される。

そこで共同研究チームはまず、プロパルギルエステルと生体内(細胞内)に存在するさまざまな生体内アミンとの反応を検討した結果、プロパルギルエステルはタンパク質のアルブミン、アミノ酸のアルギニン、ヒスチジン、リジンの側鎖のアミノ基とは反応しなかった。さらに、神経伝達に関わる生体内アミンのエピネフリン(アドレナリン)、ヒスタミン、ドーパミン、その他の生理活性アミンであるフェネチルアミンやスフィンゴシンとも反応しないことが分かった。一方、プロパルギルエステルはスペルミンやスペルミジンとは速やかに反応し、アミド結合を効率的に形成することが分かった。

3種類の乳がん細胞(MCF7・MDA-MB-231・SK-BR-3)、正常乳腺細胞(MCF10A)、およびリンパ球に対してTAMRA蛍光基(赤色)で標識したプロパルギルエステルを作用させ、蛍光顕微鏡で観察するとがん細胞を選択的に赤の蛍光色素で識別することができる。 (a)培養細胞に蛍光標識したプロパルギルエステルを作用させる。 (b)3種類の乳がん細胞の蛍光色素染色。 (c)正常乳腺細胞、およびリンパ球の蛍光色素染色。(出所:理化学研究所プレスリリース)

次に、蛍光標識したプロパルギルエステルを3種類の乳がん細胞(MCF7・MDA-MB-231・SK-BR-3)、正常乳腺細胞(MCF10A)、免疫反応を担うリンパ球に対してそれぞれ作用させた後、これらの細胞を蛍光顕微鏡で観察した結果、がん細胞のMCF7、MDA-MB-231、SK-BR-3では、細胞全体に蛍光染色が認められたのに対し、正常乳腺細胞であるMCF10Aとリンパ球では蛍光がほとんど認められなかった。さらに蛍光染色されたがん細胞を破砕して、プロパルギルエステルが反応したアミンを調べたところ、ポリアミンのみがアミド化されていることが分かった。これらの結果は、蛍光標識したプロパルギルエステルが、がん細胞内で過剰に発現しているポリアミンと選択的に反応してアミド化反応を起こしたため、がん細胞だけを選択的に蛍光標識できたことを示しているということだ。

これまで、生体内(細胞内)に存在する多種多様な生体内アミンの中から、ポリアミンだけを選択的に反応させることは不可能だったが、同研究のプロパルギルエステルによるアミド化反応を用いることで、細胞内ポリアミンに対して蛍光標識基だけでなく、さまざまな機能性分子や創薬分子を選択的に導入することが可能となる。ポリアミンをターゲットとした生体内有機合成反応は、今後、がんの診断や副作用の少ない治療法としての利用が期待できるということだ。