手繰り寄せ



「さっみぃ…」

4月半ばの仕事休みの平日。
昼間は暖かくて、下手したら半袖でもいけるくらいだったから油断していた。


ロンTに七分丈のジーンズ。
そんな姿で夕方から出かけて、日が沈んで辺りが薄暗くなってきた頃に辿り着いた丘の上。


出掛ける前、服を着て鏡の前に立った時は同僚の佐々木を思い出して苦笑いしたっけ。

広告デザイン系の職種にあたるうちの会社は、私服で仕事をする事が許されている。その為、佐々木は冬でも七分丈のパンツを履いている事がしょっちゅうで。


丘に立った今、佐々木の凄さを実感する。



…足首、寒ぃよ。



風が吹き、目の前の大きな木がザザァっと揺れる。


「相変わらず、凄いっすね…」

その木を見上げ、呟いた。





横浜駅で京急線の京急久里浜行きに乗り換えて揺られること数駅の井土ケ谷駅で降りる。そこから数分、登り坂を歩くとある公園。

そこの丘のてっぺんにその木は立っていた。

とても大きなその木は俺が幼い頃から大きくて、子供の頃は『せかいでいちばんおおきな木』と信じて疑わなかった。

そして何故かその木といると心が落ち着く気がして、頻繁にここに遊びに来ていた。

仕事に就いて横浜を離れてからは頻繁に来る事はできなくなっていたが、それでも大きな仕事が終了した後や繁忙期を過ぎるとここに足が向いた。


「マジ寒い…」

また呟く俺の声に反応して


「クスクスクス」

誰かが笑う声が、俺が立つ幹の反対側から聞こえる。


「さっきからそればっかり。どんだけ寒いんですか」


幹の横から出て来た少したれ目の顔とふわりと揺れる肩位までの髪。いたずらっぽく笑うその笑顔に、独り言を聞かれていた恥ずかしさも手伝って、体中が熱くなるのを感じた。


「よかったらどうぞ」

差し出された赤いチェック柄のブランケット。

受け取るのに躊躇していると、彼女は軽いため息と共に側まで来て俺の胸元当たりにブランケットを押し付けた。

俺の鼻上位の背丈でたれ目ながらぱっちりな目。薄暗いこの時間帯でも瞳が煌めきを有している。


「この時間から更に冷え込みますよ?」

雰囲気からして、同じ歳位な感じがするけど、警戒心ゼロだな、この人。

どうすんだよ、俺が変な奴だったら。

戸惑う俺をよそに受け取ったのを確認するとにっこり笑って木の下に戻り腰を下ろす。立ち尽くしている俺に、また木の幹から顔だけ出して「ここ座ります?」と自分の隣りをポンポンと叩いた。



不意に風が吹いて、ザザア…っと木が枝を揺らした。


この時

俺はその大きな大きな木の魔法にかかったのかもしれない。




何故か、その笑顔に妙に惹き付けられて足が勝手に動いてた。


隣に腰を降ろすと彼女はこっちを見てふんわり笑ってから景色に目を移す。


「綺麗ですよね。ここから見える街並み」

街頭に照らされて映し出された彼女は暗がりで見た時よりもずっと綺麗。 俺の視線に気がついて、また柔らかい笑顔と共に「ん?」と小首をかしげるその仕草に心音が意志とは反して高鳴る。


”…ヤバい。”

久しぶりに本気でそう思った。

普段、女と目が合って小首をかしげられたくらいでこんなに動揺しないだろ。



そう…これは魔法。
今、俺たちを見守っている、この大きな木の魔法なんだ。


めちゃくちゃな言い訳を頭の中に並べて気を落ち着かせようとするけど、まっすぐ俺を見る彼女の瞳がとても綺麗で思わず顔を近づけてしまう。


いや…彼女の方から近づいて来た?


そう思った瞬間、彼女の手が俺の頭に伸びて来た。


「葉っぱが、ついてますよ」

くすくす笑いながら、俺の顔の前にそれを差し出す。


…酔わしといて、邪魔すんのかよ。


自分のしようとした事を棚にあげて、受け取った葉に少し八つ当たり。


そんな俺の気持ちを分かっていないであろう彼女は

「新緑でも風で落ちちゃうんですね」

笑いながら少しはだけていたブランケットを丁寧にかけ直してくれた。





その後、暫く彼女は特に話しかけてこなかった。

木の前に座ってそこから見える街を互いに眺めているだけ。
それでも不思議と、隣に座る彼女と繋がっている気がしてとても心地よかった。


日が沈み、暗闇が写し出す街の灯りはとても綺麗に見えた。


どれくらいその景色を眺めていただろう。

…そういや、名前聞いてないな。
聞いていいのか?いや、いくら何でもそのくらいはOKだろ。

名前を聞くぐらいで戸惑ってる自分に笑える。


「あのさ、名前、聞いてもいい?」

一瞬驚いて俺の方を見たけどすぐにまた笑顔に戻る。

「美咲。深谷美咲です」


…まじか。苗字同じじゃん。


「俺、深谷亮太って言うんだけど…」

「え?!苗字が同じなんですね!」

驚きつつも笑顔の変わらない…美咲、ちゃん。


「私達が結婚しても、変わらないですね!」

いたずらっぽく言う彼女に「確かに」って短く返したけど絶対顔がニヤけてる。
誤魔化す様に掌で口元を押さえて目の前の景色に目を向けると、隣で微かに息を吐く音が聞こえた。


「…まあ、苗字はもうすぐ変わっちゃいますけどね」

「…え?」


再び見た彼女の表情は穏やかで唇が綺麗に三日月を描いていた。



「私、もうすぐ結婚するんだ」




引力



ザアアア…

不意に強めの風が吹き抜けて頬を冷やしていった。




「それは…おめでとう?」
「なんで疑問系?」

笑う彼女から目を逸らして見た目の前の景色

所々にある街灯や店の看板の灯りが煌めきを放って街全体に輝きを与えていた。



「…深い意味は無いけどさ」


遅れて呟いた自分が明らかに動揺しているのがわかる。

格好悪いな…



「そんな幸せど真ん中な人が、なんで1人寂しくこんなとこに来てんのよ」



”本当は気が進まない結婚なんだ”

可能性的が0に近い答えを心のどこかで期待している。

最低だな俺。



「結婚前だって色々考える事があるんですよ」

彼女もまた、こっちを見ずに目の前の景色を見ながら答えた。



「亮太さんは?」

「俺は寂しい独身です。予定もありません」

「じゃあ…きっと、そういう時がくればわかりますよ」

「そういうもんかな」

「そういうもんです」


やり取りが面白いのかクスクスと笑う彼女。

人のものってわかった後なのにやっぱりそのふわりとした髪に手を伸ばしたい衝動に駆られて、思わず息を吐き出した。

いや

届かないって分かったから余計に伸ばしたくなったのかもしれないけど。



「亮太さんて不思議ですね」

「そう?至って普通な奴だと思うけど」

「何て言うか…落ち着いていて、居心地がいい感じがします」


…この状況でそういう事言うかよ。


何で彼氏がいんだよ。
しかも結婚てさ…。


俺を笑うかのように、また風が吹き、木がザザアっと音を立てた。





それから俺たちは、ぽつり、ぽつりと、他愛も無い話をした。


「えっ!亮太さん、広告作っているんだ!凄いですね…」

「児童養護施設で子ども達と長い時間を共に過ごすって方がよっぽどすげーと思うけど」
「子どもと居るのは楽しいですからね。気がついたら一日終わってる感じ…。あ!そうだ、絵が上手い子が居てね…?」

「あーそれ、色味の問題かも。明るい所と暗い所だと色の見え方がさ…」

「なるほど…」


互いに仕事の職種が全く異なっているせいか、それぞれの仕事の話は盛り上がったけど、美咲の彼氏の話は全くしなかった。


そこを知った所で、どうしようもないし。


真剣に話をしたり聞いたり、笑い合ったり。二人だけの何とも心地良い今を大事にした方がいいって思ったから。

そうやってどのくらい時間が経ったんだろうか。


「やっぱり夜は冷え込むね」

腕をさすりながら、美咲が少しぶるっと震えた。

「結構厚着してきたんだけどな…」

俺がブランケットとっちまったからな。

「ん」

膝にかけてたブランケットをはいで、美咲の肩にかけようとすると俺の腕を静止してそれを押し戻す美咲。

「いいよ。亮太さんの方が明らかに薄着だから。ホッカイロもあるし」


いや、それで美咲が風邪をひいても困るんだけど。


じゃあ…

二枚折りになっていたブランケットを広げるとそれを俺から美咲まで覆うように背中にかけて、その肩を引き寄せた。


美咲が驚いて俺を見上げる。


「このままだと、押し問答になるだけでしょ?」

それに精一杯、紳士の笑顔を作って向けると美咲は何も言わずに恥ずかしそうにただ俯いた。


”戸惑ってはいるけど、拒まずに俺の腕に収まってくれている”


それが嬉しくて、もう片方の腕を前からまわして彼女を抱き寄せた。


彼女から、かすかな甘い香りが届いて顎には彼女のふんわりした猫のような柔らかい髪の毛が触れている。風が運んで来る寒さが俺の腕の中にいる彼女のぬくもりを際立たせ、街の灯りに目を向けたまま、俺はそれに酔いしれた。





どの位の時間そうしていたのかはわからない。

長い長い沈黙の後、先に口を開いたのは彼女だった。


「…もう終電、行っちゃったよね、きっと」

腕時計に目を落とし、小さく「そうだね」と呟くと腕に力を入れ直す。


「…始発列車、一緒に待とう?」

もっとずっと美咲と一緒に居たい、それだけ。


「…うん」

美咲は俯いたまま少し微笑んだ。




二人で一枚のブランケットにくるまっている事以外、その前と変わらない空間。

ぽつり、ぽつりと他愛も無い話をして、二人で微笑み合う。



最初、美咲に惹かれる気持を『木の魔法だ』なんて思ったっけ。


それならそれで、魔法が解けなければいい。
この夜が、ずっと続けばいい。

今となっては心底そう思ってる

そうすれば、ずっとこうやって美咲を抱きしめたままでいられるんだから。


だけど

俺の願いとは裏腹に暗闇一色だった空は少しずつオレンジに色づいてくる。


どこからともなく聞こえてくる車のクラクションの音


「朝だね…」 「…うん」


朝もやに包まれた街の方から電車の警笛が聞こえて来た。



「電車、走り始めたみたいだね…」


”まだ、離れたくない。でも、帰らなきゃ”



「亮太…さん」

不意に顔を上げて俺の顔を見た美咲の瞳が潤んでる。



…この丘をおりたら、それぞれ別の…元の自分の世界に戻って行く。



ザアアア…

風に煽られ、木の葉が少し強く揺れた。



どうか、どうか、今だけ。

夢を見させて…



ザアア…

また、木の葉が揺れる



次の瞬間

互いの唇が重なった。





一度触れてしまった甘さは、簡単に俺の枷を外した。


唇が離れて俯いた美咲の瞼にキスを落として、驚いて上を見た彼女の唇をまた塞ぐ。


「ん…っ」

美咲の声が少し漏れた。

「りょ、亮太さん…」

少し乱暴なキスに、息の乱れた彼女が俺の名前をかろうじて呼んで胸元を手で押した。


「ごめん。もう少しだけ…俺といて?」

俯いている美咲を覗き込む様にして、掬い上げる様に唇をまた塞ぐ。



ザアアア…

木の葉が風で揺れる


辺りは明るくなって、街並が早朝から朝の顔へと変化していく中で、車が行き交う音に電車が線路を通る音が何度も混ざった。


美咲の唇を離し、おでこ同士をくっつける。


…別れなきゃ。
元の世界へ返してあげないと。

俺一人の我儘で、彼女の未来を留まらせちゃいけない。


「…そろそろ帰ろうか」

呟いた俺に

「うん…」

美咲も小さく頷いた。









丘を下り、戻った井土ケ谷駅。

美咲と俺は反対ホームだった。



『1番ホームに電車が参ります。白線の内側へおさがりください』

線路を挟んでただただ見つめ合う中、電車のアナウスが流れて俺のホームに電車が入って来た。

電車に乗り込み、窓から見た美咲は泣きそうなのを必死に押さえて、微笑んでいた。


…いや、微笑んだように見えただけかもしれないけど。

その位、弱々しいものだったから。


電車が無情にも動き出して彼女の姿がだんだん遠ざかって行き、見えなくなった。



また会う事があるのかな。
いや、無いよな。

彼女は、結婚して幸せな人生を歩んで行く。


そうだよ。
それでいいんだよ。
今更、俺がどうこうって話じゃないんだよ。


「……」



美咲の優しい、ふわっとした笑顔が過ぎ行く景色に重なる。


きっと…ずっと忘れない。



目頭に熱さを感じて視界がぼやける。
ドアに凭れて瞼を臥せると、電車の揺れに身体を委ねた。



<後編は、9月26日(月) 掲載予定>
その他の受賞作品はこちら


<京急グループ小説コンテスト入賞作>

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「京急グループ小説コンテスト」は、マイナビニュース、京浜急行電鉄、小説投稿コミュニティ『E★エブリスタ』が共同で、京急沿線やグループ施設を舞台とした小説を募集したもの。テーマは「未来へ広げる、この沿線の物語」。審査員は、女優のミムラ、映画監督の紀里谷和明などが務めた。

(マイナビニュース広告企画:提供 京浜急行電鉄株式会社、マイナビニュース、エブリスタ)