人口減少・高齢化が進む島根県の大田圏域では医療機関の閉鎖や公共交通機関の減少、さらにはICTリテラシーの不足といった複合的な要因により、住民が必要な医療にアクセスしづらい状況が続いている。その影響は患者側にとどまらず、医療従事者の負担増大も招いており、地域医療全体の持続性を脅かしている。
こうした課題に対し、同圏域で活動する社会医療法人・仁寿会、ケーブルテレビ事業者の石見銀山テレビ放送、NTT西日本島根支店、地域創生Coデザイン研究所(以下、Coデザイン研究所)が連携し、新たな解決策として「医療MaaS」による実証に取り組んでいる。
本記事では、実証の中心となる仁寿会、医療MaaS車両の運用を担う石見銀山テレビ放送、支援を行うNTT西日本島根支店とCoデザイン研究所に、取り組みの背景や成果、連携によって生まれた価値、そして地域実装に向けた展望を聞いた。
移動困難、従事者負荷、そして体制持続という地域医療課題
仁寿会は中国山地の山あいにある川本町に本拠を置く社会医療法人だ。1938年創立の加藤病院を中心に、介護老人保健施設、グループホーム、ホームヘルパー・訪問看護ステーション、医療近接型住まいなどを運営する。2011年には国が定める公益医療の「へき地医療」を担う社会医療法人に認定され、通常の医療・介護・保健予防活動に加え、巡回診療や公立のへき地診療所への医師派遣などを手がけてきた。「地域の人々をもっとも良く知り、その善き人生に貢献することで地域社会を変えていく」という理念を掲げ、地域に根ざした医療を続けている。
理事長の加藤 節司氏は、大田圏域(大田市・川本町・美郷町、人口計約37,000人)の医療課題を次のように語る。
「大きく分けて三つの課題があります。一つ目は、移動手段を持たない高齢者を中心に、必要な医療にアクセスしづらい状況が生じている点です。医療・介護を必要とする方も多く、医療アクセスの確保が大きな課題となっています。二つ目は、生産年齢人口の減少による医師や看護師をはじめとした医療・介護従事者の不足で、業務効率化が重要なテーマとなっています。そして三つ目が、医療・介護提供体制そのものの持続可能性です」(加藤氏)
さらに、高齢者が多い地域特性から、デジタル活用にも高いハードルがあるという。
「デバイスを容易に扱える人が少なく、独居の自宅にインターネット環境やICT機器を導入してオンライン診療を行うことは難しい状況です。以前から訪問診療や無医地区への巡回診療でも対応してきましたが、二つ目の課題で挙げた医療従事者不足の影響から人的リソースにも限界があり、別の解決手段が求められていました」(加藤氏)
こうした課題を踏まえ、加藤氏が着想したのが「医療MaaS」という選択肢だった。
「診療環境そのものを車両に搭載し、自宅まで届けることができれば、医師は病院にいながらオンライン診療を提供できます。限られた時間を有効活用することで、医療従事者の働き方改善や生産性の向上にもつながると考えました」(加藤氏)
この着想を起点に、NTT西日本島根支店との連携による医療MaaSの実証プロジェクトが動き始めた。
オンライン診療×車両活用がもたらす新たな解決策
加藤氏は「医療機関だけでは解決が難しい課題であり、さまざまな関係者と仲間になって取り組むことが必須だった」と振り返る。NTT西日本島根支店では、通信インフラだけでなく自治体や地元企業との連携を通じて、地域の課題解決に取り組んでおり、大田圏域のように高齢化が著しく進む中山間地域においても、医療、交通、教育、防災など多様な分野で新たな仕組みづくりに携わっているという。中でも「移動」に関わる部分を重要視してきたと同支店の福山 一夫氏は語る。
「かつては自由に移動できた地域でも、高齢化や人口減少によって交通手段がなくなり、移動が制限されています。その状況に対してどのような仕組みを提供できるかは、当社としても大きなテーマでした」(福山氏)
持続可能な医療提供の仕組みを作るためには、費用対効果の検証も欠かせない。そこで同社は経済産業省の実証事業活用を提案し、Coデザイン研究所と共に医療MaaS の実証に向けた動きを開始した。Coデザイン研究所 主任研究員の高橋洋司氏は、取り組み開始当初の流れを振り返る。
「実証に必要なコストをすべて自前で賄うのは困難だったため、まずは国の実証事業への採択に向けて動きました。仁寿会さま・NTT西日本島根支店と議論を重ねながら、現状の課題をリアルに伝え、それを解決できる手段として医療MaaSを用いることで効果が出せるよう準備を始めました」(高橋氏)
対面同等の「診療の質」は担保、しかしマネタイズに課題
この取り組みは、令和6(2024)年度の経済産業省「地域新MaaS創出推進事業」に採択され、「地域医療MaaSを活用した医師・看護師の代替者によるオンライン診療(D to P with X)の有用性に関する実証」として本格的にスタートした。
“D to P with X”とは、オンライン診療(Doctor to Patient)の際に、患者側に医療従事者(X)が付き添いサポートするモデルで、今回の実証では“D to P with N”(NはNurse=看護師など)を検証した。
令和6年度の実証事業では、車両内におけるオンライン診療で「対面診療と同等の質」が確保できるか、医療従事者の業務負担軽減につながるか、住民に受容される医療提供の形かどうかの3点を主に検証し、課題抽出・整理を行うことで、医療MaaSの社会実装をめざした。
進め方としては、仁寿会が軸となってオンライン診療を提供し、さらに実証に関する医療従事者及び患者への調査取りまとめを行った。そこに、国・自治体との関係構築や実証事業・補助金事業に経験を有するNTT西日本島根支店のノウハウを活用。さらにCoデザイン研究所は、各パートナー間および地域での合意形成を調整する役割を担い、プロジェクト全体の管理やKPIの設定・分析を通じて、実証の推進を伴走型で支援した。
令和6年度の実証の結果について加藤氏はこう語る。
「まず“診療の質”については対面と同等の質を担保できることを証明できました。医療従事者の負担軽減にも効果が確認でき、住民の皆さんからも『この仕組みを活用したい』という声が届いて、このスタイルの医療を受け入れていただける感触を得られました」(加藤氏)
しかしその一方で、大きな課題も明らかになったと高橋氏が付け加える。
「大型車両を採用したのですが、山間部の狭い道路では通行できず、患者の自宅にたどり着けないケースが多く見られました。患者がそこにいるのにたどり着けないのでは医療を提供できませんし、目標とした診療数の確保も厳しいため、この課題は次回事業で対処することとしました。また収益化の面でも厳しい数字が出ました」(高橋氏)
2年目は新たな検証項目も加え、実装に向けた手応えを獲得
初年度の課題を踏まえ、翌令和7(2025)年度には「複数医療機関・車両タイプによる医療MaaS車両共同利用モデル確立に向けた実証」事業が行われた。令和6年度との違いを加藤氏が解説する。
「令和6年度は大型車両のみでしたが、令和7年度は大型車両と小型車両を用意し、狭い道でも問題なく通行できるようにしました。また、令和6年度は仁寿会(加藤病院)のみでしたが令和7年度は複数医療機関が参加。さらにマネタイズの課題についても、事業を持続可能なものとする観点で検証を深めていきました」(加藤氏)
医療MaaS 車両の運行・配車管理を担う役割として、新たに参加したのが地域のケーブルテレビ局・石見銀山テレビ放送(通称:ぎんざんテレビ)だ。同社の総務部と営業部で副部長を務める米 卓哉氏は、実証に参加した背景を振り返る。
「当社の軸はケーブルテレビ事業ですが、人口と世帯数が減少すると売上も減っていくため、常に新たな事業を模索しています。その中で、令和6年度の実証で課題となっていた車両運用の話を伺い、当社の地域ネットワークや訪問サポートの知見が活かせると感じ、令和7年度の実証に参加しました」(米氏)
石見銀山テレビ放送では、サービスエリア(大田市内)の各家庭からテレビやインターネットに関する相談を受けるため、地域の事情に精通している。「家の中まで入れる数少ない事業者」の一つとして、地域の高齢者や移動が困難な方の話も聞き、離れた病院に通うのが難しい事情についても理解していた。加えてインターネットや携帯通信の導入・運用にも長けていることから、「(医療MaaSには)もともと親和性が高かった」と米氏は語る。
そこで令和7年度の実証は、実証用に用意した大型・小型車両各1台に可搬型の電子聴診器などのオンライン診療で利用する機器を持ち込み、車両の予約・管理・配車と実際の運行を石見銀山テレビ放送が担う形で実施された。
高橋氏は、令和7年度の実証結果について次のように評価する。
「小型車両でも大型車両と同様に、対面と同等の“診療の質”を確保できました。小型車両は山道でも走行しやすく、導入・運用コストも抑えられるため、マネタイズの面でも大きな効果がありました」(高橋氏)
車両が医療用として稼働しない時間は、石見銀山テレビ放送が通常の自社業務で使えるのはもちろん、他のサービスでも活用できるため、事業としての持続性も向上した。
「車両には通信設備を搭載しているため、多目的に利用すれば医療MaaSにかかるコストを最適化でき、ビジネスとして持続的なマネタイズができそうだとの感触を得られました」(米氏)
複数医療機関での車両利用の可能性も見えてきた。大田市立病院は、当初は診療所に車両を横付けしてオンライン診療を行う方法を想定していたが、仁寿会が訪問診療でも活用している話を聞き、住民宅にも配車し、診療を行う方向へ実証の幅を拡大していったという。
加えて令和7年度は、経済産業省から自動運転の可能性に関する検討も加えてほしいとの依頼があったと福山氏が語る。
「NTT西日本島根支店では令和6、7年度に同じ大田圏域の美郷町で自動運転の実証事業を実施しました。その結果をもとに、大田圏域における医療の持続性の観点から自動運転技術を活用できるかどうか、自動運転実現のための遠隔監視センター設置や通信技術導入にどういった費用が発生するのかなどを令和7年度の医療MaaS実証でフィードバックし、地域の医療MaaS継続に自動運転が貢献できる可能性について提言を行いました」(福山氏)
この自動運転に関する検証結果としては、降雪した冬季間や山間部の狭い道路でのすれ違いにおける制御などに関し、いますぐ自動運転技術を導入することについては課題があるとの結論に至った。
「ただ、課題が明確化されたため、医療MaaSに自動運転技術を搭載するうえでのハードルについては示すことができ、参加メンバーの中でも理解を図れました」(福山氏)
永続的な医療提供の仕組み実現へ、挑戦は続く
2年の実証を終え、「各参加メンバーの役割がうまく組み合わさり、取り組みを進めることができました」と福山氏は振り返る。またプロジェクト全体を管理する立場にあった高橋氏は「初めての取り組みということで、みなさんには不安や懸念があったはず。それを内に抱えたまま進むとどこかでハレーションが起きるということは過去の経験から感じていたので、初期の段階で心置きなく話せる関係づくり、雰囲気づくりを行ったうえで、不安があればすぐに話してもらい、改善していく。そうしたことを心がけて伴走支援を行いました」と振り返る。
そして今後、この2年の経験をどう活かして医療MaaSを発展させ、実装していくのか。加藤氏、米氏、福山氏、高橋氏がそれぞれの思いを語る。
「医療の領域で最も重要なことは永続性の保持であり、医療法人にはその使命があります。その意味で医療MaaSをこれからも続けていけるかどうかが、まさに問われていると感じていますが、ここまでの取り組みが今後の希望につながっていくことを確認でき、手応えを感じています。併せて医療アクセスの面では、山間部に住んでいる方だけでなく、例えば働いている人の時間を阻害しない医療アクセスも確保する必要があると感じており、医療MaaSは今後そうした部分にも広げていけるのではないかと期待しています。また、こうした取り組みは地元自治体との連携も重要です。コンパクトシティに向けた流れが進む中で、山間部も含め、住みたいところに住み続けられる環境を整備することも行政の大事な役割だと考えています。その点もご理解いただきながら、重要なインフラとなり得る医療MaaSに引き続き関心を寄せていただければと思っています」(加藤氏)
「加藤理事長が話すように、やはり始まったものを継続することが大切です。当社としてもビジネスの面は見続けながら、今後も協力していきたいと考えています」(米氏)
「NTT西日本島根支店では島根県全体でICTを活用した社会課題解決の取り組みを行っています。今回の取り組みも大田圏域にとどまらず県全域への展開を含めて捉えており、今後は県内での拡大を検討しながら、仕組みを継続するための仲間づくりも引き続き進めていきます」(福山氏)
「全国に同様の課題感を持つ地域は数多く存在するので、今回の取り組みをモデルケースとして、自治体や医療機関にアプローチしていきたいと考えています。併せて医療機関自体の業務改革も求められているので、病院DXの観点でも取り組みを強化していきます。自治体や医療機関の方から、よく“今はなんとかなっている”という話を聞きますが、5年後にはどうなっているのか。今回の取り組みも実証に2年を費やし、仮に次年度で実装できたとしても3年かかることになります。その間にも地域の課題は進行するので、やはり解決への着手は早ければ早いほどいい。そういった視点で地域の課題を今一度見直していただければと期待しています」(高橋氏)
大田圏域の地元医療機関と地域事業者、そしてそれを支えるNTT西日本島根支店及びCoデザイン研究所の共創・協働のさらなる深化にこれからも注目したい。
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