アナウンサーから絵本作家への転身を発表し、TBSを退社することを選んだ伊東楓さん。3月19日にはデビュー作となる詩集「唯一の月」を出版し、今後はドイツで絵本作家を目指すために学んでいくという。なぜ彼女は今、挑戦することを選んだのだろうか。本の出版を前に、その胸中をたっぷりと語ってもらった。

伊東楓さん 1993年10月18日生まれ。富山県出身。
TBSにアナウンサーとして入社後、数々のバラエティ番組やラジオ番組を担当。2021年にTBSを退社。
デビュー作となる詩集「唯一の月」を2021年3月19日に出版。

子どもの頃は活発な体育会女子……でも絵への興味も

――子どもの頃はどんなお子さんだったのですか?

伊東さん:男勝りで、自由奔放な子どもでした。男の子に混ざってスポーツをやったり、中学生になっても柿の木に登ったりしてたりしましたから(笑)。
あと、小学4年生からバトミントンのジュニアチームに所属していて、高校まで続けていました。当時日本一だった方がコーチをしてくださっていて、チームメイトも全国大会に行くような人がいたんですよ。学校が終わったらすぐに練習に行って、土日は遠征に行って……もう、夢中でしたね。

――活発な体育会女子だったんですね。当時は絵や芸術に興味はありましたか?

伊東さん:給食の牛乳パックに絵を載せてもらえる「牛の絵コンクール」というものがあったんです。それにどうしても載りたくて、毎年挑戦していました。結局2位止まりで、牛乳パックにはならなかったんですけど(笑)。当時を思い返してみると、絵を描くときに、影の色は黒じゃないから紫色にしようとか、動物や人間の毛の流れとかを、すごく意識していましたね。色と流れには昔から興味があったように思います。

――その経験が今につながっているように思います。

伊東さん:でも、今思えば……という感じです。絵をメインにして仕事をするなんてまったく考えていませんでしたから。私自身、今の自分に驚いています。

「向いていない」と思ったアナウンサー

――そもそも、アナウンサーを目指すきっかけは何だったんでしょうか。

伊東さん:小学生の頃に朝の情報番組を見て、さわやかな笑顔で「おはようございます!」と伝えてくれる女性アナウンサーのことを、とっても素敵だな、と思っていました。でも当時は、なりたい、っていう気持ちじゃなくて、漠然とした憧れでした。それで大学2年生の時、ミスコンに声をかけていただいたんですが、その時に表舞台は向いていない、と思ってしまったんです。緊張はしなかったんですけど、誰かと比べながら自分が選ばれるように頑張る、っていうことに向いていなかった。実は、就職活動を始めた時も、メインは広告代理店だったんです。

――そうだったんですね! アナウンサー志望の方は、それ一本で目指すイメージがあったので意外です。

伊東さん:私がアナウンサーの採用試験を受けたのは、「絶対にアナウンサーに向いているから受けてみなよ」って言ってくれた知り合いがいたから。私は「絶対無理」って否定派(笑)。でも、自分で何が向いているかなんてわからないし、人が向いているって言ってくれたなら1回は挑戦してみよう、と思いました。

TBSの採用試験は本当に楽しくて。本来15分の面接で、40分も話し込みました。あとは、履いていったパンプスがブカブカで、今の佐々木卓社長に『靴のサイズがちょっと大きいよね?』なんて笑いながら話しかけられて「母が買ったものなんで、私にはマッチしてないですね」と答えた覚えもあります。本当に、そういう雑談のような話ばかりで面接が終わっちゃいました。

――緊張せず、リラックスして臨んでいたのが分かるエピソードですね。

伊東さん:私としては、落ちて当たり前だと思っていましたから(笑)。でも、採用試験をやりながら、こんな楽しいお話ができる方たちと一緒に仕事をしてみたい、と思うようになったのは正直な気持ち。採用試験が進むほどに、それが確かな気持ちになっていったように思います。

人に恵まれたからこそ気づけた“ターニングポイント”

――今、アナウンサーという仕事を離れ、絵の世界に飛び込もうとしています。そのターニングポイントはどこにあったんでしょうか。

伊東さん:私はアナウンサーとして働いたのはたった5年未満の時間でしたが、最初の1~2年目は、朝の帯番組にバラエティ、土日にはロケに行って……と、正直なところ何が何だかわかっていなかったんです。そういう私の状況に、周りの人たちは気付いてくれて。何か仕事を外そう、お前のやりたいようにやればいいから何がしたい?と、当時の上司たちが言ってくれて、それで私は一度すべてリセットしたい、と言いました。

それで3年目から坂上忍さんや伊集院光さん、中居正広さん、博多大吉さんなど、今の私を支えてくれている人との番組が始まりました。でも、がむしゃらに働く時間も、私には必要でしたね。やらないと分からないことも多かったし、私はオールマイティーで清楚な王道アナウンサーになると思っていたんですから(笑)。でも、伊集院さんが「もっともっと楽に、迂闊な発言をたくさんして!」って言ってくれたんです。坂上さんも、中居さんもそういう私のハミ出し発言をたくさん拾ってくださった。私が描いていたアナウンサーとは違うけれど、楽しい、心地いい、と思えるようになったんです。周りにいる人が私の道を示してくれたし、私は本当に人に恵まれていると思います。

――絵を披露することになった番組も3年目の頃からでしたね。

伊東さん:大学生の時に、母に勧められて似顔絵師の資格を取ったんですけど、そこに番組のプロデューサーが目をつけて、中居さんの番組で絵を描くことになりました。アナウンサーとしては謎の仕事です(笑)。その仕事があって、練習のために本格的に絵を描くようになりました。

――絵の仕事を選ぶことに対して、せっかくアナウンサーになったのに、という声もあったのでは?

伊東さん:女子アナってとても安定した職種ですし、いろいろな考え方があるとは思うんですけど、多少のガマンがあれば生きていける。だから、私が大きな夢に向かって歩き出した時に「絶対に失敗する」「そんな無謀なこと」と、否定する人も確かにいました。でも、何か大きなものを手に入れるためには、それと同等のものを手放さないといけないと、私は思っています。私にとっては、アナウンサーという安定した仕事を手放したこと自体に、ちゃんと価値があるんです。

『唯一の月』に込めた“正しさ”

――アナウンサーという仕事を手放しても、夢に近づくことができる選択が、伊東さんにとっては正しいということですよね。3月19日に出版される「唯一の月」の中でも、その想いが見えてくるように感じました。

伊東さん:そうですね。本の中では“正しさ”という言葉をたくさん使ったんですけど、正しさって人それぞれ。他人が何と言おうと、自分の心が幸せであることが一番。自分の心が求めている“幸せ”に気付いてしまったら、もう戻れない。私は、誰かと話すときには、“私の物差し”で誰かを絶対に測らないように気を付けています。私に見えている部分は一部分だし、私に言えない葛藤や思いは絶対にあるはずですから。

  • 『唯一の月』。帯には坂上忍氏、まえがきは伊集院光氏が寄稿している

――「唯一の月」は、どのようにして生まれた本なのでしょうか。

伊東さん:この数年の間は、自分の心が揺らいだ時に、すべてメモをしていたんです。私が葛藤して、誰かの救いがあって、そして今未来に希望を抱いている――それを一冊で見せようと思って描きました。アナウンサーという職業では、本当に一面的な伊東楓しか、世の中には広まっていかなかった。今回の本はターニングポイントになるものだし、本当の私を知ってもらいたかった。

伊東さん:本に描いてある作品一つ一つに、私の経験や対象となる人がいます。でもそこを具体的にせず、抽象的にしたのは、余白をつくることでみなさんに自由に解釈してほしかったから。みなさんに委ねられる形として、詩をという形を選びました。もしかしたら、万人に刺さる本ではないかも知れません。でも私は、私と同じように何かから抜け出したいと思っていて、抜け出し方がわからなかったり、まさに今抜け出そうとしていたりする人にこの本を届けたい。そういう人と一緒に幸せを探っていきたいと、本気でそう思いましたし、そういう本になったと思っています。

「私、こっそり泣きました」伊集院光さんと坂上忍さんからのコメント

――本の前書きを伊集院光さんが書かれていて、帯には坂上忍さんがコメントを下さっていますね。

伊東さん:お二人には本当に感謝しかありません。本を出したいと思い立って、最初は自分ひとりで走っていたので全然うまくいかなかったんです。そんなときに、背中を押してくれたのが伊集院さんでした。本を出したいという私の悩みを聞いてくれて、すぐにラジオのオープニングとエンディングで「伊東楓が本を出したいんだって!」って言ってくれました。その優しさに応えたい、必ず形にしたいと、やる気になりましたね。作家活動のためにドイツに行きたい、って言った時に、全面的に「いいね、行きなよ!」って言ってくれたのも伊集院さんと坂上さん。だからこそ、私は決心できた。本当に力強く、背中を押してくれました。坂上さんの帯と、伊集院さんの前書きを読んで、私こっそり泣きましたよ。

活動の地にドイツを選んだワケ

――今後は、ドイツに移住して見識を広めたいとのことですが、なぜドイツを選んだんでしょうか。

伊東さん:直感なんですよ。考えてみたんですけど、言語化するのが難しくて、いい言葉が見つからなくて。実は、ドイツにも行ったことが無いんです。知らないから、知りたい。昔から、知らないものを知りに行く、っていう好奇心が人一倍強いんです。自分が今まで居なかった場所に、ひとりで乗り込んでいくのが好きなんですね。ドイツは知らない国だけど、歴史とかを勉強していると、いろいろな衝突もあったし、国として深みがある。それを自分の肌で感じたい、とシンプルに思いました。観光のような気持ちではなく、そこに住んでいる人たち、そこに息づいているものを感じたい。ヨーロッパって名画という名画に触れながら過ごすことができる環境なので、そういう場所で生きてきた人がアートをどう考えているのか、すごく興味があります。

今後は個展も開催

――人の言葉に背中を押されて自分の信じる道を見つけてきた伊東さんが、ドイツでどんな人と出会い、どんなものを描き出していくのか、楽しみです。直近では、本の原画展をはじめ、企画展なども開催されるそうですね。

伊東さん:そうなんです! 本当に、一生懸命、責任をもってやっていたら、誰かが手を貸してくれるものなんだと思いました。みんなが数珠つなぎでつながって、展示などが実現できました。出会いって不思議ですね。ちょっと身の丈に合っていないんじゃないか、という気持ちにもなりましたが……私は強い味方が手を差し伸べてくれるから、生きていけるんだと思います。

まずは、3月19日に書籍を出版して、その原画展を3月19日から28日まで東京・外苑前「Nine Gallery」で開催させていただきます。その後、新作書下ろしの企画展を、「atmos pink flagshipHarajuku」「atmosSendagaya」で行います。

「atmos」での企画展では、展示されている絵などを絡めたアパレルも限定数で販売予定です。もう少ししたら、みなさんにお知らせできるんじゃないかと思いますので、Instagramをチェックしていただければと思います。

Instagramには、私の絵をたくさん投稿しているんですけど、私は恋愛のつもりで描いていないのに「楓さん、彼氏と別れたんですか?」とか、みなさんからの反応があって、めちゃくちゃ面白いんですよ(笑)。展示をやったら、そういうみなさんの反応を生で観られる。ソーシャルディスタンスを保ってなので、なかなか難しいところもあるかも知れないですが、今はそれが一番楽しみです。

  • 伊東楓 著 「唯一の月」(光文社刊)は3月19日より発売

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