――就職して数年。新入社員の頃はあんなにやる気に満ち溢れていたけれど、最近はどうも日々の仕事をこなしているだけになっている。 目の前の仕事に追われていると、どうしても入社当時の情熱を忘れてしまいがちだ。

そこで今回は、若手世代のマイナビニュース会員にアンケートを実施し、仕事についての本音と実態を調査した。

4割は「やりたかったことができていない」!?

今回は、21歳から35歳までのビジネスパーソンの男女300人を対象に調査を行った。まず、「Q1.入社した時、もしくは今の仕事をはじめた時に、仕事上でやりたかったことはありますか?」と尋ねたところ「はい」と回答した人は79.3%。およそ8割の人が、こんな仕事がしてみたい! と夢や希望をもって仕事をはじめたことがわかる。

続いて、"やりたかったことがあった"人たちに「Q2.現在、仕事上でやりたかったことはできていますか?」と尋ねたところ、「いいえ」と回答した人が55.5%。つまり、300人のうち、約4割の人はもともとやりたかったことがあったにもかかわらず、それができていない現状があることがうかがえる。

その理由を尋ねてみたところ、次のような声が上がってきた。

「忙しいから、時間がない」、「部署が異動になってしまった」、「目の前の仕事に追われて」など日々の忙しさからモチベーションを維持できず、当初描いたような仕事ができていないと感じている人が多いようだ。中には「すっかり忘れてしまっていた」という人も。

信念を貫くって難しい……
そんな人に紹介したい第一生命創業者「矢野恒太」

そんなビジネスパーソンの背中を押してくれそうな人物をここで紹介したい。生命保険を通じて人々へ貢献することに信念を持ち続け、業界に大きな変革をもたらした男、第一生命の創業者・矢野恒太だ。

創業前には農商務省で保険業法の起草にも携わるなど官民双方で活躍し、2018年に金融庁が発表した「明治期に金融制度の確立等に貢献した人物」3人のうち1人にも選出されるなど、その功績は大きい。

そんな彼も、初めから迷わずに信念に向かって突き進んでいたわけではなかった。 医者の家に生まれた彼は、医学校に進学するも脱走したり、親に無断で上京するなど、自らの進むべき道に思い悩み、迷う青年の一人だった。

医学校を卒業後、矢野は誘いを受けて、数年間の社会勉強のつもりで保険会社の診査医となる。しかし、当時、保険会社が次々と設立されていたことから、契約者よりも利益を優先する会社もあったという。矢野は、契約の診査など、日々顧客と向き合う中で、「今の保険は本当に人々のためになっているのか」と疑問を抱いた。

その後、医師の道を捨てることを決意し、退職して保険会社の研究に没頭していく。そして海外に、利益を契約者に還元する「相互主義」の保険会社があることを知り、その実現に向けて、1年間で16の論文を発表するなど邁進していった。

そんな彼の意欲が、安田財閥の祖・安田善次郎の目に留まり、その後押しを受けて、保険先進国ドイツへと2年間留学。そこで、新たな知見を広げていった。

働き方のヒント. 1


目の前の仕事にも常に疑問を持ち、
信念をもって行動することで、道は開けてくる


留学を終えて帰国した矢野は、保険業法の制定に携わった後、官僚として、経営状態の悪い保険会社の指導・改善を進めるなど、日本の生命保険業界の近代化に貢献した。そして、自らの手で理想となる保険会社をつくろうと決意し、1902年、「第一生命保険」を創業する。

小さなベンチャー企業として誕生した「第一生命」は矢野の「お客さまのための保険会社」という信念により、業界を驚かす取組みを次々と打ちだし、徐々に世間の理解を得て成長していった。

そんな中、1923年に関東大震災が発生し、未曾有の大災害に人々は混乱していた。彼は生命保険協会長として、業界をとりまとめ、迅速に被災者の救済措置を発表し、「人々が困難な時こそ、お客さまを探し出してでも支払う」と、被災者支援に奔走したという。

自分がやるべきことは何か、顧客は何を求めているのかをシンプルに考えたからこそ、ぶれることなく、速やかな対応ができたのではないだろうか。

働き方のヒント. 2


困難な状況のときにこそ、
シンプルに、何が求められているかを考える


その後、矢野は渋沢栄一に依頼されて、田園都市の開発に携わったり、北里柴三郎とともに「国民病」と言われた「結核」の撲滅に取り組んだりと、保険会社の枠を超えた事業を展開。特に、結核の予防・撲滅については、その投資金額の大きさに、社内から「それは保険会社の仕事なのか?」と疑問の声も上がったという。それに対し、彼は「第一生命を作ったのは、保険を通して人々に貢献するためだ」と、粘り強く社内を説得した。

矢野は、何か新しい事業を進めるときに、「世間の人が喜ぶか、なくてもよいと思うかを考えよ」と繰り返した。つまり、「人が喜んでくれる仕事は世間がその価値をみとめて大きく育ててくれる」ということを示唆したのだった。

働き方のヒント. 3


新しいことに取り組むときは、
顧客目線で喜ばれるかを考える


若い頃には進む道に迷っていた青年が、「金融制度の確立に貢献した」と言われるほどの人物になった理由。それは彼が生命保険という仕組みに出会い、その時に抱いた信念を持ち続けたことであることは間違いないだろう。

「信じたならばその信念を固く抱き、確信を持って一生を貫け」と語った彼の生き様からは、信念を持ち、挑戦し続けることの大切さを再認識させられる。

挑戦の精神は受け継がれていく

矢野恒太が日本初の相互会社として設立した第一生命保険は、事業の多角化やグローバル展開を見据え、2010年に相互会社から株式会社へと会社形態を変えている。矢野のDNAは引き継がれ、変化と挑戦は続いているのだ。

■ 第一生命 特設サイト


A Journey of Innovation
― 第一生命保険 創業者 矢野恒太「挑戦の道」―


第一生命の特設サイトでは、そんな矢野恒太の残した名言なども紹介されている。気になった方はチェックしてみてはいかがだろうか。


初めの情熱を忘れてしまった方、今仕事で悩んでいる方は動画を見てみて欲しい。彼の仕事への姿勢が大きなヒントになるかもしれない。

【仕事についてのアンケート】
調査時期 : 2020年1月23日~1月24日
調査対象 : 21~35歳/会社員のマイナビニュース会員
調査数 : 300人
調査方法 : マイナビニュースインターネット調査

[PR]提供: 第一生命保険株式会社