若い人へのキャッシュレス化は自然に浸透していく

野口:今般、成年年齢の引き下げが決定しました。
また、政府の施策として、キャッシュレス化が進められますが、このようなことが、今の若年層に与える影響についてのお考えをお聞かせください。

市川:2022年の4月から18歳以上が成年扱いになりますが、今の大学生にとってはあまり身近な話と考えていないようです。学部によっても差があり、法学部の学生はそれなりに関心をもっていると思いますが、経営学部の学生はあまり関心がないようです。
 一方、キャッシュレス化については、政府の積極的な旗振りがなくても若い人に自然に浸透していくのではないかと思います。FinTechや、ビットコインなどの仮想通貨に対する学生の関心は高く、それらの利用を通じた決済のキャッシュレス化には抵抗感はないようです。彼らの様子からは、成年年齢の引き下げとキャッシュレス化の進展が同時期に進んでも大きな問題は生じないと思います。

 先ほど話しましたように、情報化社会の進展がキャッシュレス化を進め、それがさらに若い世代の契約・約束を遵守する意識を育んでいくような気がします。たとえば、PFM(パーソナル・フィナンシャル・マネージメント)、つまり日々の支出や収入の記録を保有している銀行口座やクレジットカードの決済情報、証券口座の資産残高などの情報を一元化して管理するソフトウェアサービスやアプリケーションの利用に興味を覚える学生が多くいますが、その利用データを自身のクレジットや融資を受ける信用データとして使う際に、クレジットの支払いの延滞などの履歴が残ると、キャッシュレス決済や通販、送金などの取引に支障がでるかもしれないことを心配する学生もいます。セルフ・コントロール、セルフ・ガバナンスの育成とでもいうのか、情報化社会、ひいてはキャッシュレス化の進展が若者の契約意識を育むかもしれないと思っています。

 もっとも、生活のまわりにFinTechやAIを使った取引、キャッシュレスの消費行動が増えてくると財やサービスに対する価値観が変わってくるかもしれません。10万円の商品の購入に手の切れるような現金で払うのと、スマホのQRコードであっさり払うのでは、商品の実感としての価値が、あるいは消費のリアリティが違うかもしれません。
 私は特別講義として「古典芸能と経済学」という講義をしていますが、明治の上方落語に「つぼ算」という話があります。買物上手といわれている男が、水壺をまず3円で現金で買います。店を出て立ち戻り、本当はもう一回り大きい壺が欲しいと言います。値段は6円。最初に買った壺は3円で引き取ってもらえます。男が言うには、店先の帳場に置いてある最初に払った3円の現金と引き取ってもらえる3円の壺で合計6円になる。これで支払いは済んだわなと納得させてしまいます。ちょっとしたごまかし、手品のようなものなのですが、他にも「千両みかん」や「ときそば」、「三方一両損」など現金のやり取りから、いろいろな価値観の交錯や錯覚、お可笑みが生じる話があります。歌舞伎でも仮名手本忠臣蔵で与市兵衛が強奪される50両。こうした話の味わいはキャッシュレス社会の住民にはわかりにくくなるでしょうね。

 外国では物乞いの人が現金のコインをもらうのではなく、自分のスマートフォンに入力してもらうといった風景がみられるとか。いずれ日本でもお年玉を孫のスマートフォンに入れてあげるようになるのかもしれません。いずれ、そうした幼年時代を過ごしてきた若者が社会の中核を担う時、そこではどんな価値観が、倫理観が支配的になるのでしょうか。
 ただし、日本でキャッシュレス化が全面的に一気に進むとは思えません。先日の北海道地震で広範囲の停電が起き、キャッシュレスのレジだけの店では買い物ができなかったということもあり、災害対策用にある程度の現金は手元に残しておくことが必要というのが国民の共通認識になると思います。