オムロンヘルスケアは、血圧計で世界トップのシェアを持つ医療機器メーカー。しかし、ニーズが多様化し競合も開発力を高めつつある中、5年10年という中長期的展望をどう描けばよいのか、トップ企業ゆえの課題が常に目の前にある。

血圧計世界シェアトップを誇るオムロンヘルスケア。今一押しの血圧計は、本体・カフ一体型HEM-7600T。本商品にも、ここで紹介するプロジェクトでの気づきが活かされている

同社はこの課題に対し、その方向性を探る試みの一つとして、あるプロジェクトを立ち上げた。従来商品の改善は継続的に行っていたが、現行モデルの部分的改善ではなく、将来的な血圧計のあるべき姿や事業の方向性を大局的に見てシリーズ全体をどう成長させていくべきかを見出すことがテーマである。同社商品事業統轄部 デザインコミュニケーション部の田邊氏と、このプロジェクトで中心的な役割を果たした「ジツケン式」メソッドを開発した実利用者研究機構 代表の横尾良笑氏にお話をうかがった。

実利用者研究機構 代表の横尾氏(左)と、オムロンヘルスケア 商品事業統轄部 デザインコミュニケーション部の田邊氏(右)

「盲野(ブラインドエリア)」を知ってモノの見方を変える

同機構が企業の製品・サービス開発に関わるプロジェクトで用いる「ジツケン式」メソッド(提供者の盲点と利用者の盲点の双方に着目したワークショップを通じて、新しい角度から抜本的見直しを行い、提供者が諦めてきた課題解決と、多様な利用者にとっての商品価値強化を同時に行う開発手法)は、徹底的な現状の見直しから始まる。といっても単に自社や競合の製品を見て考えるのではなく、製品と人との関係性を観察し、要素に分解していくのだ。

プロジェクトに参加したのは同社の企画・デザイン・設計・営業まで、商品に関わる全部門の担当者。自社製品のことは十分に理解してはいるが、製品と人との関係性を観察するためには今までと違った方法でモノを見る必要がある。最初に行われたのはその「見方」を学ぶことだった。

「今までと違う見方」とはどういうことだろうか。普段、人は無意識に必要らしい情報を優先して知覚し、それ以外は認識の外に置かれることが多い。人に言われて見落としに気付いた経験は誰にでもあるだろう。重要なはずなのに見落としたと知ったとき、それは「盲点だった」と表現される。だが、実は盲点は「点」ではなく連続的な現象として存在する可能性が高く、点を埋めるような対症療法では防ぎきれないと横尾氏は言い、これを「盲野(ブラインドエリア)」という造語で表現した。

「盲野は人によって異なりますが、視覚・聴覚などの認知科学や人間工学といった科学的知見、ケーススタディ、実体験を重ねることで、ある程度見極められるようになります。また、それを利用者の言動に応用することで、その人にとっての盲野も推測が可能です。この『見方』を身につけることで、製品と『それを実際に使う人との間に本当は何が起きているのか』を観察できるようになるのです」(横尾氏)

また、この「今までとは違う見方」を習得することで、メンバー全員が同じ視線を共有できるようにすることにも意味がある。プロジェクトに参加した同社の田邊氏は「通常のユーザビリティ調査では、同じ事象がある人には見えていなかったり、見ても解釈が違ったりするということが起こりがちなのですが、今回は事前の研修のおかげで同じように見ることができました」と振り返る。ここで同じ解釈を共有することが、後のステップにも大きく関わってくる。

同機構が提供したプログラムに沿って、プロジェクトメンバー全員を対象にこの研修が行われた。人の発想は自分の知覚が基盤にならざるを得ない。盲野を知ることは新たな発想の基盤を得ることに繋がるのだ。

言語化されない問題に迫るユーザー調査

事前研修の終了後、プロジェクトは「人と製品との関係」を見るためのユーザー調査のフェーズに入った。この調査も同機構が独自に開発したセオリーに沿った「ジツケン式」のもの。まず、本来のテスト目的や主宰社名を明かさないなど、被験者が先入観を持たない環境を用意する。他社製品も含めて30機種あまりの商品を並べて店頭の陳列棚を再現し、そこで商品選びから開梱、実際に使用するところまでを観察する。その間、被験者には常に行動中の思考を言葉に出してもらう。また、被験者は少人数にし、時間をかけて観察する。

プロジェクトチームにとって重要なのは、このような方法で、言語化された意見を拾うだけでなく、行動・発言を観察することで被験者にとっての盲野は何か、その原因はどこにあるのかを探ることだ。被験者は自分自身の盲野に気づかないまま製品を使用する。パソコンに詳しくない人が故障時に「何もしていないのに壊れた」と言うのと同じだ。「何もしていない」はずの間に実際は何をしたのか、それを知るためには行動の観察が不可欠だ。また、なぜ「何もしていない」と考えたのか、その理由を知ることで製品側の盲点も見つかる可能性がある。

今回の例で言えば、陳列の段階で計測値のグラフ化機能に興味を持ったものの、開けてみるとうまく使えず諦めてしまうケースが複数見られた。もしアンケートをすれば、グラフ化機能は「欲しい」が実際には「使われていない」という結果が出るだろう。実際にはサンプル表示を印刷した液晶保護フィルムが誤解の原因だったのだが、それもこのテストを行うまで同社も予想もしていないことだった。被験者の意見を受け取るだけでは、その裏に隠れた問題の本質に迫ることは難しいのだ。

「登る山を見つける」ということ

同プロジェクトでは6人の被験者を対象に3日間をかけてテストを行った。その結果、盲点となるポイントが138点挙げられた。これは被験者の視点、メーカー側の視点の両方から見たものだ。だが、これを反映すれば良い製品になるというわけではない。

「盲点の存在はただの情報です。これを把握した上で、そもそも何をするべきか、どうなれば成功なのか、作り手と使い手の間に『好循環』が生まれていくような成功イメージを企画、設計、デザイン、営業、それぞれの立場から一緒に考え、共有し全体の意見としてまとめていく作業がプロジェクトにとって非常に重要です」(横尾氏)

横尾氏はこれを「みんなで登る山を見つける」と表現する。具体的な作業としては、この製品がどうなったら嬉しいか・理想的かをメンバー各自が10項目以上挙げていく。これが個人にとっての「登りたい山」だ。そこから全員の意見を集約し、投票を繰り返して一つにまとめていき、最終的に「全員が合意できる、みんなで一緒に登る一つの山」を造成するのだ。

「『山』は、メンバー全員が心から実感を持って共感・共有できる成功イメージです。一般的にはここを誤って堂々巡りになるケースが多いように感じています。全員がどんなに頑張っても、目標のために一人ひとりが何をすれば成功なのか具体的に想像できなければ、目指すゴールが微妙にズレていってしまいます。ただ理想を掲げるだけでなく、全員で目指せる『山』に変換する作業が重要なのです」(横尾氏)

「山」という表現は一見抽象的なようだが、その土台には科学的な観察と現実に起きたユーザーの行動という具体的な裏付けがある。そもそも何がやりたかったのか。また、「利用者や自分たちにどのような影響が出れば成功といえるのか」。ただ数値を目標にするよりも、それはプロジェクトメンバーにとって具体的で現実味を持つのだ。

「こうありたい」を100個盛り込んだ血圧計

「登る山」が一致したら改めて被験者の視点で登山道入り口に立ち、理想的な血圧計のあり方を探る作業に入る(山を登り始める)。メンバー各自が先のユーザーテストで観察した被験者からひとりを選び、その人が売り場で何を見るか、家ではどう使うか、病院で医師とのやりとりは……など、血圧計を使うにあたって起こり得る状況をシミュレートし、こうなって欲しいと思う項目を挙げていくのだ。

ここでは「手に取ってもらいやすい陳列」「ラインナップの違いが見た目で分かりやすい」「カフを一緒にしまえるようにしたい」「出してすぐ使える」など、122項目が挙げられた。ここからさらに具体的な形に近づける段階へ入る。

122の項目はどう製品に反映されるべきか、1件ずつ検証しランク付けされる。このランク付けの作業も、企画、設計、デザイン、営業、全員で行う。メンバー全員の視点が反映されることが、それぞれが自分の持ち場に戻った時に直面する、理想と現実の両立という難しい課題に全力で立ち向かう力になる。今回必ず採用する項目は「A」、採用したいが方法は要検討な項目は「B」、今回のモデルには該当しないが今後必要な時に採用したい項目は「C」に振り分ける。そして、やらないことは明確に「やらない(D)」と決めていくことも重要だ。同プロジェクトではおよそ7割の項目がAまたはBに振り分けられた。

「企画 担当者が考えること、開発担当者が考えること、デザイン担当者が考えることは通常バラバラになりがちなのですが、このプロジェクトでは違いました。例えば液晶表示には『測定しています』『カフをぴったり巻きましょう』などの表示が日本語で出るようにしました。それまで日本語表記はコストの問題で敬遠されていましたが、メンバーが合意した『山』に登るためには、他を削ってでも採用したほうがいいという結論になったんです」(田邊氏)

最終的に、外見では分からない部分も含めて100項目程度のアイデアが反映された血圧計にまとめ上げられた。またシリーズ全体としても、従来は上位機種から順に搭載機能の数を減らす構成だったが、このプロジェクトによってモデル別に対象となる利用者像を明確にし、それに合わせた機能構成にする考え方へシフトした。プロジェクトのテーマであったシリーズ全体の方向性についても成果を上げる結果となったのだ。

今回の成果だけでなく、メンバーにとっては、「新しい見方を習得する」研修を経てプロジェクトに参加したこと自体が大きな経験になったという。田邊氏は「人が変わることで商品が変わるので、研修を含めたプロセスに大きな意味があると実感しました」と語る。

横尾氏が繰り返し述べるのは「観察の仕方を変えていくことが大事」という点だ。同じ調査を行っても、見方が違えば得る情報が違い、そこから導き出される答えも違う。自社が、競合が、今見えていないモノは何なのか。日本のものづくりには、モノと人を一から見直せる視点を身に付けることが求められている。

実利用者研究機構(旧:日本ユニバーサルデザイン研究機構)

2003年より内閣府認証の特定非営利活動法人として、企業や自治体のUD教育やUD品質向上、UD課題解決のサポートを行う。UDの理解から業務への応用までを学べる「ユニバーサルデザインコーディネーター」資格認定制度や、UDに配慮された商品や印刷物を科学的に評価する認証制度の運営も行なっている。代表の横尾良笑氏は、平成28-31年度用中学校教科書「新編 新しい技術・家庭(家庭分野)自立と共生を目指して」で紹介されている他、デジタル教科書のコンテンツ「教科書に載っている仕事人」特集(WEBにて閲覧可能)にも掲載中。

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