片や超ワンマン・カリスマ社長、片や控えめながら堅実な経営者。ビジネスの世界ではいずれの場合も部下に有能な人材がいて、経営者が部下の提言を適切に聞き入れたり、社員が自信をなくしている時に勇気付けたりすることで、組織の力は最大値になるのではないかと思います。そこが機械やコンピューターと大きく異なる点です。経営者の人間力が正に企業のあり方そのものを変えると言っても良いのではないでしょうか。

1990年代にはやった「成果主義」に飛びついた企業などは、経営者の信念を問いたくなります。明治以来脈々と築き上げられた終身雇用制度も、札びらで頬を叩くような転職が持てはやされた結果、崩れつつあるように感じます。結果的に技術者の流出にとどまらず、情報(ノウハウ)の流出まで発生して、競合会社を育成することになったのではないでしょうか。今日は二人の将軍の人間像から経営のヒントを探りたいと思います。

あなたの上司はどちらのタイプでしょう

太平洋戦争中、米軍に二人の有名な司令官がいました。一人はグアム島の岬の名前にもなっている米国太平洋艦隊を指揮したニミッツ、もう一人は戦後の日本の統治を担当した陸軍大将(後に元帥)のマッカーサーです。軍事能力としては際立った二人でしたので、米国政府も太平洋の指揮権を彼らのどちらに委ねるかで紛糾しました。

苦肉の策として中部太平洋をニミッツ、南西太平洋をマッカーサーが指揮することに落ち着きました。二人の戦略にも性格からくる違いが如実に出ていました。「俺が、俺が」の性格を地で行くマッカーサーは、フィリピン、台湾、沖縄、日本本土という島伝いの早期侵攻を唱えたのに対して、ニミッツは太平洋の東西の制海権を確保することで、日本の補給路を断つという戦略を唱え、激しく対立しました。

現代の企業でも二人の副社長の意見が対立すると、会社全体として一つの方針が出せず、双方の顔を立てる意味で活動地域を分割するとか、取り扱う製品を分けるなどの中途半端な戦略が出されるのと似ています。ドライに割り切る米国ですら有能な両雄が並び立つと、このような裁定が出るということでしょうか。

マッカーサーに関しては特に負けず嫌いの気質が強く、行動も目立ちたがり屋でした。陸軍兵学校を首席で卒業し、40歳の若さで異例の准将に昇進し、これまた異例の50歳の若さで、少将の地位ながら陸軍参謀総長に抜擢されます。少将の参謀総長は前例がないということで、参謀総長就任時点で一時的に二階級特進の大将に昇格させられます。そして参謀総長退任後には、再び少将に復職となる何ともおかしな人事措置でした。

まあ世界最大級の外資系IT企業でも、営業本部長の時は執行役員だったのが、後方支援部門長に異動になったとたん理事となるケースもありますので、米国では一般的なのかもしれませんね。しかし日本では一度昇進した地位がラインを外れた瞬間に下がるというのは、いかにも世間体が悪いようで酒の肴の良い話題になります。会社もそれを配慮してか「今回の人事は組織再編の一環の措置であり、職位は役職に付与されるもので、人に付与されるものではありません」とご丁寧に社内のWebに掲示したりしますので、余計噂が噂を呼ぶことになります。因みにその外資系企業では米国本土だけでバイス・プレジデント(VP)が200人近くいましたので「犬も歩けばVPに当たる」と言われたものです。そのため出張する日本人は、肩書にGM(ジェネラル・マネージャー)が付く相手しか交渉の対象にしませんでした。

さて、異例の出世をしたマッカーサーでしたが、軍事的には大きな失敗も経験しています。まず最初は太平洋戦争開戦当初のフィリピンでの判断ミスです。真珠湾攻撃の知らせは、フィリピンの米軍総司令官であったマッカーサーにも即座に伝えられます。部下からはフィリピンに優先的に配備された空の要塞B-17爆撃機で、台湾の日本軍基地を即刻爆撃するよう進言されますが、マッカーサーはその案を無視します。マッカーサーは真珠湾を攻撃した日本軍はすぐ撃退されるものと信じていたからです。

この判断ミスによって、フィリピンに配備された米軍航空戦力の90%を日本航空隊の攻撃で失います。マッカーサーは日本人に航空機の高度な爆撃はできないと決めつけていたため、フィリピンを空襲した日本軍機はドイツ人が操縦していると語ったそうです。結果的に総司令官が捕虜になることを恐れた米国政府は、マッカーサーを単騎オーストラリアに退避させることになります。この時にマッカーサーが口にしたのが「I shall return.」という有名な言葉です。

次の失敗が朝鮮戦争での侵攻作戦です。釜山まで退却し敗色濃厚だった連合軍を、起死回生の仁川(インチョン)上陸作戦で巻き返すことに成功したまでは良かったのですが、その後中国国境付近まで調子に乗って攻め込んだのが大失敗でした。零下20度の環境下での野戦を強いられたのに加え、犠牲者をいとわない中国軍の反撃に結局大損害を出し、トルーマンに中国に原爆投下の許可を取ろうとしますが却下されます。結局このことで連合軍総司令官の地位を罷免されることになります。

一方、ニミッツも首席ではありませんが、大変優秀な成績で海軍兵学校を卒業します。マッカーサーのような派手さこそないものの、着実に作戦を展開し、太平洋戦争で大きな戦術的敗戦はありません。真珠湾攻撃直後に、ニミッツの人望と能力によりハワイの太平洋艦隊司令長官に抜擢されます。彼もまた少将から二階級特進で大将となります。

ニミッツの特に優れていた点は人心掌握術と言われています。真珠湾攻撃での惨敗に、通常ならば前任者の幕僚は更迭されるのが通例だったのを、ニミッツは前任者の幕僚を更迭せずそのまま引き受けました。このため、この幕僚たちはニミッツのため、必死に恩に報いようとしました。また最大の戦果と言われているミッドウェー海戦での米軍勝利も「戦力が優位で奇襲をする必要のない日本海軍が奇襲をかけられ負けた」と冷静に総括したと言われています。

ニミッツには政治的な野心がなかった分、軍人として純粋な印象を受けます。ニミッツがまだ士官候補生だったころに、日本海海戦で歴史に残る大勝利を収めた東郷元帥に祝勝会の場で会いました。そして東郷元帥から流暢な英国英語で話しかけられ、この上ない感銘を受けたと述懐しています。そのため終戦後、横須賀にある東郷元帥の旗艦「三笠」の提督室が、米軍士官向けのキャバレーになっていたのを大変憂い、資金を提供して記念艦として修復させた話は有名です。

正に孤高の将軍マッカーサーと人を上手に使う名提督ニミッツですが、現在の企業でもこのようなタイプの経営者がいるのではないでしょうか。

本記事は、アイ・ユー・ケイが運営するブログ「つぶやきの部屋」を転載したものになります。

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