あなたは、“瀬古利彦“というマラソン界のスーパースターに、どのようなイメージを抱いているだろうか。「修行僧」とあだ名されるほど練習に打ち込んだ現役時代の走りをテレビで熱狂的に見ていた世代は、きっと真面目な表情でじっと前を見ながら走る姿を思い浮かべるだろう。逆に若い世代が想起するのは、バラエティ番組で親しみやすくよくおしゃべりする柔和な人柄かもしれない。

瀬古さんに取材をしたところ、印象はテレビで見る楽しい人柄そのままだった。きっと現役の頃も、性格は変わらなかったに違いない。しかし、お話を聞くにつれ、当時テレビの前で多くを語らず、女の子と遊ぶことも控える修行僧に徹していた理由が分かった気がした。瀬古さんがマラソンにどのような気持ちで向かい合っていたかを知ることができたからだ。

現役引退後の現在はDeNAランニングクラブの総監督を務める瀬古利彦さんに、現役当時のトレーニング方法や、勝つためにどのようにメンタルを作っていたかを詳しく聞いた。また、後半では消化吸収速度が緩やかな天然の糖・「パラチノース」の感想についても伺う。

生活の全てがトレーニング

瀬古利彦さん。1956年7月15日、三重県桑名市生まれ。現役時代は国内外のマラソンで戦績15戦10勝。トラック競技においても5000mからマラソンに至るまでの日本記録を総ナメにし、25,000mと30,000mでは世界記録を樹立(当時)した。2013年4月より、DeNA Running Club の総監督を務める

――私自身、瀬古総監督のことはもちろん知っていましたが、今回の取材前に、83年の福岡国際マラソンの走りを改めて動画で拝見しました。イカンガーというタンザニアの選手と最後、2人きりになる展開でしたが、トラックに入って残り100mのところで、瀬古さんが圧倒的なスパートをかけて、ぶっちぎりで勝った大会です。これはほんとに伝説だと思いまして、見ていて鳥肌が立ちました。

セコいとは思わなかった? 42㎞走って、最後の100mだけ頑張ってるじゃんって(笑) 一応、あの最後の100mは12秒台で走っていたと後で聞きました。

―― 今日は、そのあたりのラストスパートの秘訣を伺えればと思っているのですが。色々と調べさせていただいたんですが、瀬古総監督は元々は野球少年でいらして、中学から陸上を始められたとか。

本格的に陸上をはじめたのは、高校からです。中学生のときは野球寄りで、陸上と両方をやっていました。高校では800mとか1500mとか、中距離をやっていました。

―― それで大学からマラソンを始めたと。

中村清監督から「世界へ通じる人物になるなら、君はマラソンをやりなさい」と言われて、「はい」と答えました。ただ、最初の2年間くらいはマラソンの練習はできませんでしたね。体力がなかったから。

――中村監督はすごく厳しい方だったと聞いています。当初は「体力がなかった」というお話ですが、そこから強いフィジカル・肉体を作っていくためにどんなトレーニングをしたのでしょうか。

昔は、今ほどフィジカルを鍛えるための科学的なノウハウがなかったんですよ。ただ、最初に教えられたのは、「いいフォームは走っていても作られないから、歩きながら作りなさい」。それで、握りこぶしぐらいの大きさの石を持って、歩きにくい革靴を履いて歩いていました。フルマラソンを走ったことがある人ならわかると思いますが、足だけでなく、肩から肩甲骨あたりにかけてすごく張るんですよ。5時間ずっと、チカラを入れた状態だから。つまり、体は枝葉を鍛えるだけではダメで、芯をしっかりしないと。すると枝葉もちゃんと動かせるようになる。昔は「体幹」という言葉はなかったんですが。私のフォーム、動画で見てどう感じました?

――背筋がピンとしていて、ぶれていない印象でした。

走っているのに上下動がなかったでしょう? それは、歩いて体幹をしっかりと鍛えていたからです。プロのファッションモデルは歩く時に上下動がないんですが、私も同じように、石を持ちながら道路の白線をまっすぐ歩く練習をしました。そうして体幹をトレーニングしていたんです。これを、現役時代は、いつもやっていました。歩くときは必ず。ムダな時間というものは、ないんです。全てがトレーニング。寝ることも、いわば明日のためのトレーニングだから。1時間も1分もムダするな、というのが中村先生の教えです。自転車に乗ったりはしません。5㎞以内なら歩いて移動です。東京都内であれば、5㎞くらいなら車や電車で行くより走ったほうが実際、早いんですよ。

――日々全てトレーニングということですね。

そうです。エチオピアやケニアの選手に勝つためには、そういうことをしなければいけなかったから。普通の人が真似するのは難しいと思うけど、一駅歩くようにするとか、会社まで走って行くとか、日常にトレーニングを持ち込む方法はいくらでもあると思います。公務員ランナーの川内優輝選手の写真を見ましたが、背広を着てリュック背負って走っていましたよ。スゴく良いなと思いました。だからフィジカルなんてどこでも鍛えられるわけです。今ならウェイトトレーニングをやったりとか、どこでもやれるんです。その気になればね。

――意識が大事だと。

ジムに行かなきゃトレーニングできないとか、決してそんなことはないんですよ。生活の中でできますから。強くなろうと思ったら、人と同じことをやっていたら強くなれませんから。人と違うことをやるから人に勝てるんです。同じことをやっていたら、素質のある人に絶対に負けてしまいます。