古き良き東京の面影を今に残す下町・谷中。その住宅街に外国人旅行者に大人気の家族旅館「澤の屋」がある。この宿の主人が澤功さん(74)。今は外国人旅行者もてなしの「観光カリスマ」(観光庁認定)として全国で講演も行う澤さんだが、最初は英語が話せず苦労したそうだ。澤さんはどう言葉の壁を乗り越え、どんなコミュニケーションを心がけてきたのだろうか。

外国人旅行者に人気の「澤の屋」。創業は1949年と古い

44歳まで英語とは無縁な生活だった

「澤の屋」が外国人客を受け入れたのは1982年のこと。修学旅行客がホテルへ流れ、駅前にはビジネスホテルが次々と建っていた。高級志向の高まりとともに、「澤の屋」のような昔ながらの旅館は敬遠されるようになり、経営は傾いてきた。「先代から受け継いだ看板をなんとしてでも守らなければ」。そこで考えたのが「外国人客の受け入れ」だった。

当時すでに外国人客を受け入れて新しい活路を見出していた"先輩旅館"が新宿にあった。旅館の造りは「澤の屋」と変わらない。様子を見に訪ねた。その旅館の主人が使っている英語は意外なほど簡単なものだった。それでもやはり言葉は不安だった。決めかねているうちにも宿泊者は減り続け、ついには3日間宿泊客ゼロという事態に陥った。やるしかない―。澤さん44歳。大きな決断だった。

「澤の屋」のご主人・澤功さん

家族旅館ならではの温かみある雰囲気も好評だ

黄ばんだカードが物語る苦労

大学を卒業して約20年が経っていた。その間英語とは無縁。当時中学生だった息子の新さん(43歳)から英語の教科書を借りて勉強を始めた。接客に必要だと思ったフレーズはワラバン紙に何度も書いて覚えた。ところが実際に旅館に来た外国人に「Would you like breakfast?」と聞いても発音が悪いのか通じない。結局「breakfast」「menu」といった簡単な単語を並べたり、身ぶり手ぶりを使ったりしてなんとかコミュニケーションをとった。

一番困ったのは電話だった。相手の表情も分からなければ、筆談もできない。相手が一方的に話してきて聞き取れないことも多かった。近所に住んでいたアメリカ出身の女性に相談すると「こっちから質問をしていけばいい」とアドバイスを受けた。そこで宿泊日や宿泊数、人数など予約受付に必要な質問を書きこんだカードを作ってフロントに置き、それを見ながら電話に出た。会話のペースを"持ってかれる"ことは減っていった。

こうしたカードはその後も増えていった。根津駅から旅館までの道順、東京でのタクシーの乗車方法、支払い方法…。何枚もの黄ばんだ紙は今も「澤の屋」のフロントにかけられている。

次第に英語でのコミュニケーションに慣れていった澤さん。5年ほどたつと相手の言っていることがよく聞きとれるようになり、お客さんから「Your English is good!」「very clear!」とほめられることも増えた。「面と向かって話すことを繰り返しているうちに自然に話せるようになった感じです」と澤さんは振り返る。家族経営の小さな旅館。妻のヨネさん(67)も英語を話さないわけにはいかない。ヨネさんは使えそうなフレーズをノートにコツコツと書きためて自分のものにしていったという。「実は妻が高校生のころ、僕が家庭教師で英語を教えてあげていたんですけどね。今は完全に妻の英語力の方が上ですよ」(笑)。

居心地のよさそうな畳敷きの客室。一泊5,040円から

「和」を意識したお風呂も好評だ

仕事によって必要な英語は違う

外国人の受け入れを始めてから約30年。言葉の問題よりも、文化や習慣の違いに戸惑うことが多かったという。「走りながら改良を重ねた」ことで、年間稼働率は昨年までずっと90%を超えてきた。宿泊者の9割は外国人だ。ありのままの日本の暮らしを感じられる雰囲気と心のこもったもてなしが気に入り、毎年訪れる常連客も多い。

英語力については「流ちょうな英語が話せるように思われるのですが、今も知っている単語を並べて話しているだけなんです」とのこと。英語がうまく話せないと悩む読者のためにこうアドバイスしてくれた。「過去形とか過去完了とかそういったものが話せなければ外国人とコミュニケーションできないと思う人が多いようですが、単語をつなげていくだけでも英語は結構通じます。今話せる英語でもっと外国人とどんどん接していけばいいと思いますよ」

では、外国人をもてなす上で一番大事なことは何なのだろう。「『よくいらっしゃいました』という心を持つこと、国籍などで差別をしないこと」と澤さん。そしてそれは流ちょうに英語を話すことよりずっと大切なことだという。「外交官とか商社とかの人は正確な英語が必要だし、高級ホテルなら私のような英語ではダメでしょう。その仕事によって必要な英語は違っていいと思います」。

震災後に届いた世界からの激励メール

澤さんには今大切にしているものがある。3月の東日本大震災の後に届いた、世界中の常連客からの励ましのメールをプリントアウトしたものだ。「必ずまた来るから頑張って」「『Sawanoya』を絶対につぶさないで」。届いたメールは80を超えた。懐中電灯や食べ物、子ども(澤さんの孫)のためのパズルを送ってきた人もいたという。

実際、震災の影響は深刻だ。3月の稼働率は51%、4月は40%にまで落ち込んだ。5月も「50%になんとか届いてくれれば」という厳しい状況が続いている。それでも応援してくれている人は世界中にいる。震災後に「澤の屋」に泊ったカナダ人は「東京は大丈夫」だとネットで発信してくれた。最近は「なんとかやっていけるのではないか」と思えるようになった。「被災地に行って何かボランティアするとか、何千万円の寄付をするとか、そういうことはできませんが、自分のやれることをやってきたいと思っています」。

黄ばんだカードは今も"現役"

震災後に世界中から届いた激励メール